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棚上げと卑屈

普段の生活の中で、基本的に自分が声を大にして何かを主張するなんてことはないといってもいい。

声を大にして何かを言うのってどうしても自分のことを棚に上げる必要性を感じるからである。自分はそう感じるようになってから主張をすることに一種の抵抗を感じる側面がある。

だから自制をかけて、言いたいことに蓋をする現象が板についてきているのかもしれない。

「はー?知るかよ‼‼‼ってかじゃあこのnoteは何なんだよ!」

と思った方は正解だと思います。

基本自分のnoteの投稿は主張ではなくて、掃き溜めのようなもの
ってことで読んでいただけるといいなと思っています。

話が逸れましたが、実際にあまり自分の主張をできずにいるってのは本当です。

ただ逆に主張をしろと言われることはたくさんあります。

大体そういう時は、自分の、というよりは、自分が作り出した理想の自分、の意見として主張しています。
今のところはそれが一番後味もいいし、うまくいくことが多いから。

一番よくない返し方は、そのままの自分、つまり少し卑屈な人として主張すること。

大体これだと、自分のことを棚に上げちゃいけない精神が働いて、卑屈な人ととらえられて、求められてることの答えになっていないから。

よくよく意見を求められる時があるけれど、その度に
棚に上げることと卑屈って両極だなと思います。

未だにこの両極の間をうまく立ち回ることに慣れなさ過ぎてしんどくなります。

自分が作った理想の自分として意見していると、その間にたまに我に返って心の中できっしょ!と言っているし、

かといってずっと素に近い卑屈な状態で居ると、生きづらいというか寂しいというかなんとも言えない虚無感のようなものを感じて、すぐに自分に腹立てたりするし、

なーんか、自分の中での答えはいつ出るんだろうなと思っています。
少し卑屈だけれども、奮闘はするつもり満々なので

もしここまで読んでくださった方いたらありが感謝感激です
ありがとうございます。

それではまたどこかでお会いしましょう。

またねっ!

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