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続かない一体感

人が複数集まると集団になるけど、それが何かに向かって活動すると、そこに共通の何かが生まれて「一体感」ってものが生まれますよね。

もちろんこれは一般論で、その実際の集団の人の私情は一切省くけれども。

その「一体感」って割と限定的で、儚くて脆いものだと思ってしまう。
ってことを今日はつらつらと書きなぐってこうかなと思います。

話はめちゃくちゃ前の話になるけど、
ほぼほぼみんなが経験することベースで考えたいので、
「小学校の組体操」をとってみます。

小学校の組体操って、どういった進行でフィナーレを迎えるかとか、バック音楽はどうするか、とかは先生の仕事。
実際に誰と組んで技を披露するかとか、先生が作った進行に沿って演目を成功に導く、とかは生徒の仕事。

そうやって、運動会の事前準備の段階で先生と生徒の間でのやり取りがあってそこでまず一体感が生まれる。
(これは先生の作った演目っていうドラマを生徒諸君頼んだぞっていう、バトンリレーに近いような感覚に近いと思ってる)

そして、先生は生徒の成功のために一致団結して全力サポート。
生徒も組体操成功のために一心不乱に練習する。

まさに一体感の凝縮だと思う。
(ちなみに自分の時は本当にどんな子でも組体操だけは真剣に取り組んでました。謎の魅力でもあんのかな)

そして本番はその成果も実って無事終了。
演目終わりにはハグをする人もいれば、涙を流して狂喜乱舞する人もいた。
未だに脳裏に焼き付いている。

自分は割とフラットとか冷たいとか言われるくらいには外への感情表現をあまりするタイプではないので、心の中で沸々と感動し、胸を震わせていた。

だが、運動会を終え、組体操を終え、普段の日常生活に戻った時の儚さはとてもその当時響くものがあった。少し恐怖でもあった。

あんなに狂喜乱舞していた人たち、そしてハグをしあっていた者たちは素知らぬ感じで、「ヨッ!」程度の挨拶しか交わさず、まるで組体操自体が幻だったかのように一体感が喪失したのだから。

人の優れた能力のうち、「忘れる」って能力はすごい!
という方がいるけれども、最近特によく感じて、

この一体感がすぐなくなりやすいっていうのも、
人のそういった能力なのかと思う。

いらないものは忘れて、また刺激を手に入れては貯めて、
またいらなくなったら忘れて、
を繰り返すんだろうけれども

笑った後に急に真顔に戻るあの恐怖感みたいに、
一体感というものが急になかったかのようになくなるのだけはいまだにどうも恐怖を感じる。
(たぶん、その一体感の先を見たいのに、急に目の前でシャッターを下げられて、もう今日は終わり!みたいな感じになるから?)

先は小学校の例だったけど、もちろん各ステージで少なくとも1つは一体感を得られる何かを感じたけど、全部儚く終わる。
不思議なことに、年齢が上がれば上がるほどに、終わるまでの時間が早い(笑) 神様はこうやって人をいじめるのかなとさえ思う。

ここまでづらづら書いたが
どうかどうか自分の脳はそういった一体感は忘れずに、
そしてほかの人も忘れずにいてもらって、もう少し丈夫な一体感を感じたいなと思う
そんなボヤキでした。

ここまで読んでくださった方いたら感謝感激です

それではまたどこかでお会いしましょう。

またねっ!




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