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今後のたたら活動に望むこと

「たたら小町」を名乗りながらも、ここの所「竹活動」が優勢だったので久しぶりに書こうと思う。

9月の操業では、炉がつまり燃焼も悪かったせいか鉧出し不可という結果だった。(ノロも出なかった。)そのリベンジのため、2月に再び操業をした。

方法は毎回ほぼ一緒で、耐火煉瓦で炉の構造を作り内側を粘土(赤土)で丸く煙突状に塗り固める。炉の乾燥のための火入れを十分にした後、炭(松炭)と砂鉄を交互に投入していく。

その砂鉄と炭の量や時間(間隔)を毎回少しづつ変えている。

2月の操業で大きく違ったのは炉の周りの環境。寒風吹く中で炉に火入れをしたので、温度が上がるまで時間がかかった。そして、いつも以上に火のありがたみを感じた。

それと、操業前にみんなで神事を行ったこと。

操業結果としては、ここ数回の中ではかなり良い成績だった。(投入した砂鉄に対して3割程度の鉧(けら)が出来れば良い方だという。)

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この「たたら製鉄講座」は、たたら製鉄の技法や歴史を操業を通して学ぶという講座だ。なので、効率の良い操業の方法を探りより多くの鉧を出すことも目標の一つになっている。もちろん、大事なことだと思う。

しかし、正直に言うと自分が関心があるのは、どのような人たちがどのような作法やしきたりに則って「たたら製鉄」を行ってきたのかと言う点。

そちらの方が気になる。

天秤吹子(てんびんふいご)を代わる代わる踏む=たたらを踏む役目の人を番子(ばんこ)と呼んだ。これが、「代わり番子」の語源だ。

番子がたたらを踏む時に唄われていた、たたら唄の一節

〽︎夜半夜半に
でてくるものは
みやま天狗かさておそろしや
みやま天狗じゃわしゃないけれど
人の大事な目をしのぶ
もはや夜明けだ東が白む
空を眺めて青変わる
もはや夜明けだ東が白む
館々に灯がともる

ー 和鋼風土記/矢内登貴夫

一生懸命働いているけれど、お天道様の下での仕事ではない。畏怖されるような存在としての寂寥感みたいなものに溢れている。

こんな唄を口ずさみながら、操業をしてみたい。



人は、なぜ鉄を作るのか?


炎を長い時間見ることによって目は潰れ、皮膚は赤くただれる。

技に命をかけていた職人だから?


仕事だから?


信仰だから?


そんな簡単ではない、鬼気迫る何かがあったのかも知れない。

文化財や史料を読み解くのも大事だけれど、

そういった背景を、体感でイメージできる「たたら活動」をしたい。





たたら製鉄についての詳しい説明は「和鋼博物館」HPをどうぞ
http://www.wakou-museum.gr.jp/iron-01/



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