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新凱旋門と、留学の思い出

 ナンテールの大学院に通っていたころ、電車代の節約も兼ねてよくナンテールからデファンス地区まで、30分くらいかけて歩いて帰った。なぜか行きは歩く意欲が湧かないことが多く、たいてい電車で普通に移動した。

 ナンテールからデファンスまで歩くと自然に、新凱旋門(グラン・ダルシュ)に向かって進んでゆく格好になる。この新凱旋門はとてつもなく大きい。幅・奥行き・高さともに100メートル以上あって真ん中が巨大な空洞になっている異様な建築物だ。学校帰りに何度見ても、いつも新鮮な驚嘆の念を抱かせる建築だった。ナンテール、デファンス間の地区は私が大学院に通っていたころ(というか2020年の今も)開発真っ最中で、新しい街並みが徐々に形成されてゆく様子を見るのがとても楽しかった。そして移り変わってゆく風景と対照的に、新凱旋門はいつも不動の存在感を放ってそびえ立っていた。

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 大学からの帰り道は様々な感情が去来していた。フランスは事務手続きがとにかく円滑に進まないので胃が痛くなることが多いところ、何かの書類を大学事務所に提出し無事に受理されて、ほんとうに良かったと安心した帰り道。ゼミ授業でひとことも発さずに帰ってきて、これって留学してる意味あるのだろうか、と自己嫌悪とむなしい気分でとぼとぼ歩いた帰り道。面白かった講演会の内容を頭のなかで振り返りながら歩いた帰り道。パリ同時多発テロ後はじめて大学に行って生きた心地がまったくしないまま歩いた帰り道。「我々はある種、命がけでこうやって学業を続けなければならない。そうすることがテロリスムに屈しないための手段なのである。」と、その授業で教授が力強く断言するのを聴いて、フランス人とは、教育とは、学業とは一体何なのだろう、とか思いめぐらせて歩いた帰り道。研究進捗報告をさぼりまくった怠惰な学生であった私にあり得ないくらい寛容に接してくださったその教授に、感謝しつつ申し訳なく思った帰り道。日本でとつぜん就職が決まり、博士論文は出さずに帰国する旨を教授に伝え、教授は私の新しい門出を祝福してくださった、最後の帰り道…。

 色々あったけれどもやはり新凱旋門は超然としてそこに在って、学校からの帰路、デファンス地区に近づくにつれてずんずん巨大化して私を迎えるかに見えた。色々あったときも晴れの日も雪の日も暑い日も寒い日も、新凱旋門はいつも大きく開かれた門であった。私はフランスの大学でまったくといってよいほど友人を作れなかったので大学帰りは空虚で寂しい気分であることが多く、そんなときはよく、新凱旋門の真ん中のぽっかり空いた大空間越しに見える青空や夕焼け空や曇り空を凝視しながら歩いたりもした。

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 超然とそびえ立ってはいるものの、建築物なので新凱旋門もそれなりに修繕や改修が行われていて、壁面が掃除されたりガラス窓が交換されたり階段部分が取り替えられたりもしている。新凱旋門がいつもと違った様子を呈していると何となく、「きみも色々あるんだな」とか話しかけたくもなるときもある。

 パリで生活した文筆家の森有正は、自分が日々目にするノートルダム大聖堂についてずいぶん色々と書いていて、ノートルダムを自己省察の基準点にしたり、逆に、自分の心的現況をノートルダムに投影するに近いことをしたりしている。森有正と自分を引き比べるのはまったくおこがましいことだとは思いつつも、自分にとっての新凱旋門は、森有正のノートルダムに相当する建築物なのではあるまいかと思ったりもした。あと、フランス滞在中に森有正を読むという経験ができたのは私の人生のうちの最良の僥倖のひとつだったなと今、感じている。

 そういう風にして日常の景色の一部になったり心象風景の一部になったりしている新凱旋門を、ある日、建築見学の対象物として改めて眺めて写真を撮ったりしてブログ記事にしたときは、何か不思議な気分がした。「あっ。そうか、そういえばきみは建築物だったっけ」といったような感じだった。

 日本に帰ってきてから1年以上経って、たまに、ナンテールの大学からの帰り道、そしてその帰り道から見えた新凱旋門のことを思い出す。今でも新凱旋門は相変わらず巨大に、超然と存在し続けているのだろうと思う。

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