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建築ブログでのささやかな達成感

 自分が見た建物を、 TATÉ-MONO というブログでアーカイブしている。
 少し前のはなしだけれど、6月28日に公開したサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ寺院の記事をもって、ローマ旅行で写真に収めた建築はおおむね記録することができた。拙ブログの「ローマ」カテゴリには記事が28件含まれているので、ローマの建築を28件紹介したことになる。

 ローマを訪れたのは2016年5月末のことなので、ローマの建築見学記録をまとめるだけで4年以上もかかったということだ。ずいぶんと時間を要してしまった。けれども、ローマという色々ととてつもない都市を歩き回って様々な歴史遺産をたずね、家に帰ってから写真編集しつつ頭の中のイメージを更新し、自分がたずねた建築をあらためて調べて記述し、最終的にローマ旅行の他の思い出もろとも消化をしてゆくのには4年という歳月はむしろちょうどよい長さだったというような気もする。
 写真に撮る、ということをフランス語で少し気取って ”immortaliser” と表現することがたまにあるのだけれど、これは “mort” 「死」に否定の接頭辞 “im-” がついて語尾に動詞化の “-iser” がついてできた言葉で、簡単にいうと「不滅化する」とか「永久に残す」という意味になる。ローマで建築写真をたくさん撮ってそれを編集してブログにこつこつまとめたことで、「永遠の都」(ローマの別称)を自分のなかで永久に残したというような気がして、最後のサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ寺院の記事を書いたときにはちょっとした達成感みたいなものがあった。
 けれども、ローマの建築遺産を網羅的にアーカイブできたなどというわけではもちろんなく、パンテオンやボルゲーゼ宮や、ポポロ広場の対になったバロックの教会(サンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会とサンタ・マリア・イン・モンテサント教会)やスペイン階段の上に鎮座するトリニタ・デイ・モンティ教会など、ブログに載せられなかった名建築はまだまだたくさんある。これらは単に訪れる時間がなかったり、訪れて写真に撮ったけれどひどい写真しか撮れていなかったので没にしたりといった事情で記事化できなかったものだ。でもそういうことがあると次回の旅のモチベーションにもなるのでよしとしたい。

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サンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会が改修中で、
ぽりぽり。と頭をかく筆者。

 ローマカテゴリ最後の記事がサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ寺院になったのには特に理由はない。ローマ旅行の写真フォルダを適当に見ながら気まぐれな順番で建築紹介していったら、最後にこの寺院が残ったというだけだ。とはいえ偶然にも、この寺院を訪れた順番も旅行の最後の方だった。ローマにいた3日間、豪奢かつ華麗なる教会建築を見まくって若干胃もたれ気味になっていたので、ロマネスク様式の大昔の寺院はまあ食後のお茶漬けみたいな感じでさらりと見ておこうか、という軽い、かつ、若干ばち当たりな気持ちで見学したら、果たしてこの建築も驚嘆すべきすばらしさだった。特に後陣のモザイク壁画は感動で心臓が震えるような心地がした。

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 ローマは最後まですごかった。と思って、帰りの空港行列車の時刻を気にしながら寺院を後にしたことが記憶に残っている。振り返ってみるとこういうふうに建物のひとつひとつに、それをじっさい見に行ったときの個人的思い出が付着している。建物は、それを造ったり訪れたりした人々がそれぞれ勝手に投影したりなすりつけたり纏わせたりする思い出なりイメージなりが収容されるハコのようなものでもあると思う。そういうイメージの蓄積は、ローマなどという世界有数の歴史都市に建つ建築であったらとてつもない総量になっていることだろう。それは本質的に計量不可能な何かではあるけれど確かに何か存在するものだ。だからこそこの街に建つ建築のひとつひとつに、眼に見えない何かの凄みが宿っているように感じられるのだと思う。また、だからこそ長い歴史を経て存在し続けている建築には尊さがあるのだとも思う。
 それはともかく、ブログのような仮想空間上に、こまかく仕切られた思い出引き出しみたいなものを勝手に形成していつでも取り出し可能なように整理しておくのは個人的愉楽であると思うのでこれからもちまちま引き出しを建て増しし続けてゆこうと思う。

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 サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ寺院の記事は以下でご覧いただけます。


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