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モダンハウスに住めないモダニストたち

モダンハウスをいち早く受け入れたのは、進歩的な女性だった。

塚口眞佐子の『モダンデザインの背景を探る』は、シュレーダー邸やシュタイン邸といった戦前の有名住宅建築の施主を紹介して、このことを描き出しています。

塚口の見解から考えると、モダニズム建築にまつわる物語のすこし奇妙なところに合点がいく気がしました。そのひとつに、これを裏返してみると、次の仮説が浮かびあがります。

男たちーー言うまでもなくほとんどが男性だったモダニストの建築家たちは、しかし、どうにもモダンハウスに住むことができなかったのではないかと

記事見出し画像:アイリーン・グレイ「E1027」(画像出典

1 巨匠たちの家

ファンズファース邸の施主が女性だったことは、よく知られています。モダニズム建築のマスターピースとなったこの住宅も、女性の施主のもとで成立したものだったのです。

ミースがレイクショア・ドライブ・アパートメントを設計した際、ディベロッパーから部屋の提供を申し入れられたといいます。しかし、彼は断りました。ドイツを離れ、アメリカ・シカゴに移住した彼が住んでいたのは、組積造のアパートメントでした。

レイクショア

図1.レイクショア・ドライブ・アパートメント(画像出典

一方、ル・コルビュジエのアパートメント兼アトリエは、モダンデザインといえます。では、彼は例外だったのか。そうではなく、ここをショールームとして機能させるために、そうせざるを得なかったのではないかと思うのです。なぜなら、その無理が別のところで現れるからです。

それが現れるのは、カップマルタンの休暇小屋です。

2 カップマルタンの休暇小屋から

モダニズムを牽引する建築家として、モダンデザインのなかで生活せざるを得なかったル・コルビュジエ。その苦労を癒やすための空間が、カップマルタンの休暇小屋だったとはいえないでしょうか。この住宅に「近代建築の五原則」はまるで見当たりません。

カプマルタン

図2.カップマルタンの休暇小屋(画像出典

この小屋に関係する有名なエピソードがあります。隣接するアイリーン・グレイの住宅「E1027」に、ル・コルビュジエが無許可で落書きをしたというものです。

自分の住むモダンハウスを設計した女性、アイリーン・グレイは、モダンデザインを体現した建築家であったともいえそうです。どういった暮らしが肌に合うかという、生活に対する皮膚感覚は、生まれ育った環境や規範などによって決まってしまいがちなもの。ル・コルビュジエは彼女をどのような心情で眺めていたのでしょうか。

少なくとも、ル・コルビュジエにとって、「E1027」が象徴するモダンハウスは、あくまで外から眺めるものだったのかもしれません。

3 父の家ではなく

「母の家」として知られる、レマン湖畔の小さな家。この住宅が竣工してから数年で、ル・コルビュジエの父は亡くなりました。その後も長く、母が住み続けたことからそう呼ばれたのだと思いますが、この呼び名も象徴的に思えてきます。

もし父が長く生きたとしても、この住宅が「父の家」と呼ばれたかどうかーーモダンハウスの方も、女性の住み手を求めたのではないかという気さえしてしまうのです。


日本の場合は、どうだったのでしょうか。女性の住宅を考えて、思い浮かんだのは林芙美子邸と岡田邸です。それぞれ山口文象と堀口捨己というモダニストの設計ですが、どちらも和風住宅です。

生活改善運動とも関連した日本のモダニズムは、男性にも女性にも受け入れられるものだったかわりに、女性に強く求められることもなかったのかもしれません。

また、岡田邸は、ここに住んだ女性の名前がつけられてはいますが、男性の施主が愛人に買い与えたものでした。

日本のモダニズム受容の特異なかたちは、こういったところにも見られる気がしています。


以下、参考文献。


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