【毒親日記】子に「毒」と呼ばれる親へ
はじめに
※こちらのマガジンにて追記更新していますので、ご覧くださると励みになります。
私はたぶん望まれてない妊娠だった
私の母親は、高校を卒業する直前に私を身ごもっていたそうな。
実の父親はというと中卒で入社した会社もすぐ辞めて、点々と仕事を変えていた頃に子どもができてしまったのだから、驚いただろうな。
「デキ婚じゃねぇから」と母親は言ったけれど嘘だと思います。
私を中絶するお金がなかったのかもしれないです。
水商売していた母親
父方の祖母がスナックで働いていて、私の母はそこの水商売を手伝っていました。ずっと文句ばかり言っていました。
私が小さい頃、父方の祖母宅(足の踏み場が無いくらい物がたくさんあって、狭い家でした)に泊まらせてもらって母親を見送ったものです。
たしか小学生に上がるくらいまで、家賃を払うほどの経済力がなかったのでここに住んで居た覚えがあります。
幼い頃なので記憶がぼんやりとしているのですが、あんまり思い出したくもないので、ぼんやりと書いていきます。
坂の下の「ほらあな」に家があった
今思うと、あれは果たして家だったのでしょうか。
父方の祖母と一緒に、貧困を絵に描いたような家に住んで居ました。
というか、ほらあなに居住していました。
玄関がカーテンのみでした。
窓があったような気がしていたから、穴を掘ったわけじゃなくてぼろぼろのプレハブ小屋だったのかもしれません。
母が言うには、お風呂とトイレが外付け(?)でしたので、着替えなどを浴室内でしていた記憶があります。
雪が降る夜に外にいちいち出なければいけなかったので、とても寒い想いをしていたのを思い出しました。
「こんな奴と結婚なんてするんじゃなかった」
と、仕事が終わって明け方に、小学校に入る前の幼い私に散々愚痴っていました。
「じゃあなんで結婚したんだろう~?」って今でも思ってます。
学生である母親の瞳には、暴走族に入りバイクを毎夜乗り回す父のことがカッコよく映っていたのでしょう。
互いの価値観のすり合わせもせず、「こんなはずじゃなかった」と現在もなげく母親の思考が、私には到底理解できません。
出産後に育児ができるくらい、互いの経済力に目途が立ってから妊娠計画を始めたら良かったのでは…と思いましたが、母はきっと考えることすら放棄したのでしょう。
責任転嫁が得意な母親
いわゆる毒親って、自分に都合が悪くなると責任転嫁する傾向にあると思います。
そうして他人に責任転嫁ばかりして責任を負わないまま身勝手に生きてきた末路が私の母親です。
責任が伴わない(実際は大いにある)行動によって、周囲を巻き込み、実の子どもからも厄介がられている。
自身の狭い価値観の中で生きているから、自分が無知であることも分からない。
それによって自分の道をどんどん狭めていることにも気付けない。
だから、周囲の相手に依存しないと生きていけない。
かわいそう。
そんな生き方しかできないなんて。
きっとこの先も、無様に生きるしか能のない女なのでしょう。
あなたを好いてくれる人はたくさんいるのに、あなた自身が周囲を裏切り、「離れていく」のではなく「離している」事実にも気が付いていないのでしょう。
おわりに
あなたの人生に同情します。
私はあなたの葬式には出ないので、どうか、どこかで幸せになってください。
あなたへ何をしたら幸せと感じてくれるのか、結局最後まで分かりませんでした。
今回の記事は特に、自分の記憶を整理するためのメモ代わりに、そして血の繋がる「母」である他人のあなたへ向けて書きました。
私の前に二度と現れず、知らない所で、知らぬ間に勝手に野垂れ死んでくださいね。
さようなら。
ちょっと長くなっちゃった
おしまい
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