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受難週の道

いつの間にか受難週を迎えている。十字架への最後の1週間は、福音書でも記述の熱いところである。
 
福音書というスタイルは、文学的に捉えても独特である。イエスの生涯を描くようでありながら、最後の1週間にエッセンスが集約されているように見える。
 
もちろん、イエスが教えを語り、癒やしなどの業を行ったその歩みは、たっぷりと描かれる。イエスの弟子、そして信仰を継承する仲間に対して、イエスの教えたことやしたことを伝えなければならない。しかし、教義を集めたというふうでもなく、イエスの生涯を描く形でそれを成し遂げたということになる。
 
四つの福音書が書かれたということの意義についても、多くの人が声を発している。私は、そのことも、福音書をそもそも読むことがそうであるように、受け止める各自がそれぞれに理解していくべきだと考える。福音書や聖書を、「それはこういうわけなんだよ」と決めてしまうようなことは、私たちにはできない、と思うからだ。そのように決めてしまえば、聖書よりその人の考えのほうが上に立つことになる。私たちは、聖書から受ける立場にあるのだ、と私は信じている。
 
ただ、できれば四つの福音書を照らし合わせて比較をし、ひとつのイエスの物語をつくる、ということはやめたほうがよいような気がする。観測者がそれぞれに認識したことから、客観的にひとつの歴史的真実を組み立てる、ということが健全であるようには思えない。
 
4人はそれぞれに、イエスと出会ったのだ。書いた人が4人である、と決めつけるつもりはないが、筆記したのは、この受難週の出来事からかなりの年数が経ってからのことであるとされている。もちろん、記録は何らかの形であっただろう。語り伝えられたほかにも、何か文書のようなもので伝えられたものがあったはずだ。それが、ひとつの大きな書としてまとめられたのは、よほど明確に教義や記録をひとつの決定版として出そうとしたからであろう。そのときに、一定の理解や解釈で、ひとつの物語が形成されていったに違いない。
 
また、ひとつができたが、他の観点や理解というものも声が挙げられ、改訂版のつもりかどうか知らないが、新たなバージョンが書かれていった。一度原型ができると、二度目からはいくらか作業が能率的になるだろう。比較的短期間で、次々と新たな福音書が編まれることとなったのではないか。
 
大きくヨハネ版が、観点を変えて生まれたが、マタイとルカは、マルコという原型をアレンジした程度で、大筋を変えたのではない、といまの研究は捉えている。学者でもない私が、それを変更するような考えをもつことはできない。但し、その成立がどうであれ、私個人がその福音書というガイドラインを通して、彼らが出会った同じ神、同じキリストに出会うことはできるのだ、とは思っている。しかも、その出合い方は、私のためにだけ選ばれた道である。
 
鰯の頭も信心から、というような宗教観が日本にあるという。登り口は異なっても同じ山の頂上に着くのだ、というように、宗教は異なれど、行き着くところは同じだ、というような喩えもある。私はそうは思わないが、その喩えを借りるならば、一人ひとりの道は異なれど、同じキリストと神につながるのではないか。人にはそれぞれの道が与えられて、神へと結びつけられるのだ。
 
客観的に説明するのが好きな人がいる。聖書にはこう書かれています、と尤もらしいことを講壇で語る。だが、その人自身の道は、全く見えてこない。つまりは、神と出会ったことがないのである。神に呼びかけられたことがないのである。
 
福音書記者は、その人なりの道が与えられた。それが書かれている。キリスト者は、とくにそのどれかに惹かれることもあるだろう。それでも、その福音書そのものだけで、記者が知っていた道そのものだけしかもてないわけではない。福音書を通して、また時に他の書簡や黙示録などを通して、私は私の道を歩む。あなたはあなたの道を歩む。
 
さあ、受難週に、その道を少し前進してみよう。それぞれの十字架を負って。

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