たかぱん

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たかぱん

お読みくださり、まことにありがとうございます。プロテスタントのキリスト者・父・塾教師・偏向的な本好きとして、生き生きと歩むことができるような言葉を聖書から誰かに提供できたら、と願っています。書くことに力を注いでおりますが、ここから何かを拾ってくださればなによりです。

マガジン

  • ショートメッセージ

    聖書から日々黙想をしている中で、短いひとまとまりのメッセージを書き留めています。それをおすそわけします。ご面倒ですが、聖書箇所について聖書を開くか、検索してくださると、いっそう身近に感じられるとお薦めいたします。

  • 聖書と信

    聖書はひとを生かすもの、という思いこみだけで、お薦めします。信仰というと引かれそうですが、信頼などの信として、ひとや世界を大切にする思いが、少しでも重なったらステキだな、と思いつつ伝えてみますね。

  • 教会の問題

    キリスト教会はとても居心地のよいところです。でも、満点を期待してはいけないでしょう。たくさんの問題を抱えています。とくに内側にいると見えないものを、なんとか見ようとするひねた者が、少しくらいいてもよいのではないか、と……。

  • 哲学のかけら

    哲学も少しはかじっています。なにもそんなこと考えなくてもいいんじゃない、と言われるところも、でもさ、と考えてみる、それが哲学。独断と懐疑に終わらずに常に自分の至らなさを認めるあたりは、やっぱりカントの精神なのかなぁ、などとも溜息。いま見えているものと違う景色を、楽しみましょう。

  • 本とのつきあい

    本に埋もれて生きています。2900冊くらいは書評という形で記録に残しているので、ちびちびとご覧になれるように配備していきます。でもあまりに鮮度のなくなったものはご勘弁。

最近の記事

盗むのではなく (出エジプト20:15, 申命記5:19)【十戒⑧】

◆盗むということ 盗んではならない。(出エジプト20:15,申命記5:19)   十戒の中でも、意味を分かりやすい戒めの一つです。世界中の宗教でも道徳でも、これを省くことは恐らくないでしょう。でも、どうして盗んではならないのでしょう。理屈をこねようとしたほうが、ややこしくなるかもしれません。「人を殺してはならない」のは何故か、とNews23で高校生に問われた知識人たちが、答えられなかったのと同様に、盗むことが悪であるということも、哲学的に基礎づけるのは決して容易ではないので

    • 呼びかけよとの声

      イザヤ40:9-11    「慰めよ、私の民を」と、40章はそれまでの様相を変えて、イザヤの名で新しいメッセージをもたらします。この民に呼びかけよ。主の言葉が飛びます。誰が誰に向けて呼びかけるのでしょうか。主がまず、預言者に呼びかけています。それから、預言者がイスラエルの民に向けて呼びかけています。神の言葉はこうして私たちに届きます。   神の言葉はとこしえに立つ、そんな有名な言葉が聞かれる中、この「高い山に登れ」と、あまり注目されない呼びかけであったかもしれません。これは、

      • 聖書愛読こよみ

        お気づきの方もいらっしゃるだろうと思う。私は1日おきに、聖書から「ショートメッセージ」を記しているが、これは日本聖書協会の、聖書「愛読こよみ」に基づいている。少なくとも2014年の秋から、毎日この聖書箇所を頼りに、聖書と祈りのひとときを過ごすようにしている。そこで与えられた聖書箇所を開き、B6ノート1頁に黙想を綴るのだ。   ローズンゲンという、ドイツで伝統の「日々の聖句」もあるが、「愛読こよみ」は無料で提供されているので助かるし、また週毎にテーマがあるというのも、気に入って

        • 人と神との織りなす歴史

          詩編78:12-31    「しかし、彼らは」神に背を向けました。そもそもイスラエルは、神に導かれ、恵みを受けて来たのです。ここには出エジプトの歴史から語られます。詩人は歴史を丁寧に辿り、如何に神が民を愛しく導いてきたかを描きますが、人々は神に逆らいます。神に背きます。つまり、それを「罪」と呼ぶのが、聖書の聖書らしいスタンスでありました。   「しかし、神は」がこれに応答されてきます。こういうふうに逆らわれながらも、神はまた、イスラエルを愛します。まずは赦しから入るのですが、

        盗むのではなく (出エジプト20:15, 申命記5:19)【十戒⑧】

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        記事

          逆説と説教

          「逆説」として自分が発案して説を出すとき、世間の人が騙されているのに自分だけは真理を見出した、のような心理を含んでいることがある。   はたして逆説とは何か。こういうときに、昔は決まって「広辞苑」によると……と言っていた。広辞苑信仰があった世代に染みついた性であるのかもしれない。少なくとも、それだけを権威にして寄りかかろうとはしないほうがよいだろう。   因みに、旧い広辞苑では、「逆説」について、二つの項目が設けられていた。だが、デジタル時代で見られる「大辞泉」や「日本国語大

          逆説と説教

          主を忘れないように

          申命記8:11-20    主を忘れることがないように。これが主眼です。「戒めと法と掟とを守りなさい」ばかりが目に入ってくるかもしれません。神に従え、という矢が降ってくるのを覚える心理もあるでしょう。でも、主を忘れてはいけない、ここが中心です。今の自分たちの生き方が、どうして支えられているのか、考えてみるように。申命記が誘うままに動きましょう。   確かに「炎の蛇とさそりのいる、水のない乾いた、広大で恐ろしい荒れ野を進ませ」たのは主でした。しかし主は、「あなたのために硬い岩か

          主を忘れないように

          『「死にたい」と言われたら』(末木新・ちくまプリマー新書)

          これは、テーマが重い。サブタイトルが「自殺の心理学」である。いまは「自死」という言い方が広まっており、すでに「自殺」という語が刺激の強すぎる語だと認定されつつある。だが、中高生にこの言葉を突きつけることになる。ちくまプリマー新書は、本来そこをターゲットに据えているからである。恐らく出版社側でも議論があったことだろう。だが、出した。その気概と向き合いたい。   著者はもちろん心理学畑の人である。まだ40歳になる年に書いている。だが著書を見ると自殺を中心に据えているようであり、特

          『「死にたい」と言われたら』(末木新・ちくまプリマー新書)

          カント生誕300年

          イマヌエル・カントは1924年4月22日に生まれたと伝えられている。ケーニヒスベルクの町から出ずして、世界中の情報を得ていた。大学教授としての哲学者の出現は、カントを嚆矢とする、と言ってもよいであろう。論文はラテン語の時代から、じわじわと母国語に移る時期であったが、哲学者が専門的になってゆくにはまだ早い時代であった。   つまり、カントは当初は自然科学者であったのであり、論理学は当然かもしれないが、自然地理学や人間学が一般的だったのである。地震についての論考は、いまとなっては

          カント生誕300年

          主は苦しめ、そして導く

          申命記8:1-10    主は「あなたを苦しめ、試み」たそうです。それから、主は「あなたを苦しめ、飢えさせ」たといいます。なにげない一言を見逃さないようにしましょう。これがあるからこそ、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」という命題が告げられ、私たちの目の前に突き出されたのです。   イエスが荒野で悪魔により攻撃されたとき、この言葉を以て退かせたというとき、主が「あなたを苦しめ」た、ということを踏まえていることを覚えておきたいもので

          主は苦しめ、そして導く

          沈黙の声と歌

          十字架と復活を語る春であったため、久しぶりの黙示録講解説教である。15章から再開し、その全体からの礼拝説教であった。   14章で、天使が地上に鎌を投げ入れ、神の怒りの搾り桶から溢れる血が都の外に広がった、という壮絶な場面に続くところから始まることになる。但し、ここでカメラは切り替わる。「天にもう一つの大きな驚くべきしるし」があることを、筆者ヨハネは見る。そこには七人の天使がいて、最後の七つの災いをそれぞれ携えていた。この災いは、「神の怒りがその極みに達する」ことを示すことに

          沈黙の声と歌

          結婚破り (出エジプト20:14, 申命記5:18)【十戒⑦】

          ◆性犯罪の事実 キリスト教は「愛の宗教」だと言われることがあります。眉に唾をつけておきましょう。皮肉かもしれません。キリスト教こそ、傲慢にもこれまで神の名を用いて戦争を起こしてきた張本人ではないか、と言う人がいます。言われてよいのです。言われなければなりません。   キリスト教が科学を生み出したが、その科学が自然を壊しているではないか。言われてよいのです。ギリシア文化も科学には大きく影響していますが、確かに神の栄光をあらわすために、熱心に科学を探究したのは事実です。もしこれ

          結婚破り (出エジプト20:14, 申命記5:18)【十戒⑦】

          神らしいふるまいとは何か

          私は毎年、心静めるために、一年を通して読む黙想の本を置いている。二三年同じ本を使うと、次は別の本にする。今年は何年ぶりかに『み言葉の放つ光に生かされ』という本を用いている。加藤常昭先生が2000年に著わしている。   一昨日は、ローマ書4;24-25から、引かれていた。   わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。   ここから、パウロ

          神らしいふるまいとは何か

          捜し求める牧者

          エゼキエル34:11-16    牧者は、羊の群れが散らされたとき、自分の群れを捜し出すもの。そのように、主なる神も、自分の群れを捜し出すのだといいます。イスラエルが、実際にこのような牧者を欠いていることで、主自らが動くのだそうです。主は、自分の群れを尋ね求めます。どこにいるのか、どこに行ったのか。名を呼び、絶望と闘いながら、尋ね求めているのです。   あらゆる所から救い出す覚悟を、散った側の羊はどう見るでしょうか。イスラエルの人々は、他の人間たちの間に隠れてしまっています。

          捜し求める牧者

          英語の小話を読ませてみたら

          英語だけに限らないが、そのクラスは、なかなかの強者だった。偶々優秀な子の多い学年だったとも言えるが、中一での一年間、誰ひとりそこからクラスが下がることなく、優秀な成績をキープし続けた。授業には私はふだん入っていなかったが、今年になり何度もそこに顔を出すようになり、彼らのレベルの高さを強く感じるようになった。   物知りである。また、理解度も高い。だから、私が手早く説明をしても、すぐに吸収するし、その説明に「なるほど」と肯く。これは決して当たり前のことではない。   しばらく、

          英語の小話を読ませてみたら

          従ってはならない羊飼い

          エレミヤ23:1-4    「私の牧場」と主が仰せになった。これは主のものだといいます。主の牧場の羊の向けを散らしてしまう者に、災いあれ。滅ぼすというのは殺すことというよりも、群を群でくしてしまうという意味にとりたいと思いました。そうすると、イスラエルの民が分裂したり捕囚とされたりすることを示せるようにも思えます。   エレミヤは、バビロン捕囚を知っています。だからその悲惨で困難だったことを指摘している、としてもおかしくはないでしょう。散らす牧者、つまり悪しき指導者層が非難さ

          従ってはならない羊飼い

          『説教の神学』(D.リッチュル・関田寛雄訳・日本基督教団出版局)

          原書は1960年であるというが、実はその少し後から、翻訳の話があったのだという。だが、訳者が、青山学院大学の神学科廃止の問題に巻き込まれ、翻訳へ力を注ぐことができないまま、20年が経つ。そこでようやく日の目を見るようになった。私たちに、説教に対する力強い思想がもたらされた。   リッチュルは、1929年にスイスのバーゼルで生まれた。と聞くと、やはりカール・バルトとの関係がどうか、というところが気になるであろう。確かに、その影響は大きいと思われる。この辺りの事情を、「訳者あとが

          『説教の神学』(D.リッチュル・関田寛雄訳・日本基督教団出版局)