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タトエバ9 地域福祉 -ALSだった母と暮らして-


母は病気になってから、それまでの暮らしを終わらせ、そばにあったものを順に仕舞いはじめた。人との関係だって同じく、病気に掛かっていることを知らせた相手はほんの一部だけだった。母が病気になってから、母の世界は小さくなっていった。終わりに向けて片付けようと、自分というものが消えてしまいやすいように繋がりを解いていったようだった。

それでも、母が病気になったからこそ、はじまっていく世界、出来上がっていく世界が表れてきた。病気を理由にして、繋がりはじめる人の関係。それは母が母だということを描いて、変えられないものがあることを映していくようだった。人が生きるということはそういうことなのだ、と気付かされる。母は母なのだと確認していくようだった。まるで物語のようだと思えたわされた。

母が繋がりを作り出していく。それは地域の福祉を支える仕事をする人たちで、母が偶々出会っていく人たちだった。ケアマネージャー、デイサービスのスタッフ、訪問看護の看護士、ヘルパー、福祉用具の販売担当、薬剤師、訪問入浴のスタッフ、美容師。母は関係を作り出していく。繋がりができあがっていく。母が生きるだけでそれは紡がれていく。母が生きることがそのまま母らしさになって表れてくる。それは病気だから、という理由で始まっているものではなかった。これまで通り、ただそれだけ。母の当たり前が手繰り寄せていくものを僕たちは、これまでと同じように目にしているだけだった。

母の才能を発揮するのには、相手がかかせない。母だけの才能ではなく、母が出会うことになる相手と相俟って姿形になるもので、それは繋がりの才能だった。

こうして母との暮らしを書き綴ることにしているのは、母と母が出会った人たちとが紡いだものを物語したいからだ。だれよりもそばにいた自分がそれを一番に思っていたからだ。カタチにして留めたいからなのだ。




地域福祉  23年4月3日


火曜日はデイサービス、水曜日は訪問看護(朝)と訪問入浴(午後)、木曜日はデイサービス、金曜日はヘルパー(昼)、土曜日は訪問看護(朝)。これがいまの母の1週間。1つ1つ新しいことを増やし、内容を見直し、言語聴覚士のリハビリを終了したり、デイサービスの回数を3回から2回に減らしたり、内容は母の状態に適応させるように変遷を辿ってきた。まず最初の相談相手、窓口になってくれるケアマネージャーさん、実質的には母の状態をもっとも見守り監督してくれている訪問看護の担当さん。デイサービスでは得意な状態をもった利用者である母を積極的に受け止め続けてくれている担当さんたちと所長さん。母が信頼を置く人たちが母を囲み見守ってくれている状態は、これが当たり前なのではなく、とても稀有なありがたい状況をもたらしてくれていると、いつも思うのだ。


家族という輪郭が、家族に対してやってくる物事に立ち向かうチームの最小単位なのだけれど、チームという枠組みは家族を超えて、外側に広がっていくものなのだと、母が作りだしたチームは気づかせてくれた。家族であることは必要条件だけれど、それだけでは全然に足らない状況はやってくる。十分に家族を守っていくために補ってくれる存在が社会にはあることを知った。福祉とか、公共とか、社会のシステムとしてのサービスが広がっているという意味とは別に、それを行うのはひとなのだということに思いは巡る。サービスを受ける、提供すると、提供者と利用者として、仕事というものがお互いをつなぎ、お互いの生活を構成しているのだけれど、それだけではない、肝心なことがそれぞれの営みの土台として据わっている。ひとを動機付ける思いが福祉という姿になってぼくたちに働いていることを考える。








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