見出し画像

タトエバ14 食べる3 -ALSだった母と暮らして-


これを書いたのは、母が死んで3週間が過ぎたころだ。

食べることに応えがない。食べても味がないよう、うれしさがないよう。食べても食べなくても一緒なようなのに、食べることはそんな味わいの無さにまるで関係なく、それ以上に当たり前で、日々暮らし続けるなかの無くならない部分として、繰り返しているものだと思い至っていた。

食べたい、と思わないのに、食べるようだった。喜びが消えていた。




食べる3  23年12月15日


うまいごはんを作るもんだ。我ながら思う。作るのは単純なものばかり、でも献立がツボを抑えている。献立を立てるのが上手だから、ごはんを作るのが苦にはならない。ごはんを作ることが性に合っている。料理の過程が好きなんだと思う。それは、母と似ているところだ。いまはまた、ごはんを作れるようになった。

ナポリタンが美味い。先日作った豚バラ大根の煮物もほんとうに美味かった。料理をするのはやっぱり楽しい。もちろん、作ったものが美味しく出来上がるからだ。でも、いまは変だ。ずっと変なんだ。美味しいと味わって食べていることに、楽しみが付いてきていない。美味しいことは分かる。食欲はきちんとある。腹が減っては食べて、エネルギーにして、そして生きている。でもただそれだけ。「食べる」ことで手に入るもののたくさんが分からなくなって、「食べる」ということが曖昧になってしまったいまがずっと続いている。

食べることの困難に立ち向かっていた母のずっと横にいた。「食べる」はそのまま「苦しい」になって、でも生きるためにそれをそのまま引っくるめて飲み込もうとする母に、介助し続けた。食べさせなければ、という思いに付かれて僕は、母の苦しさを想像している自分を脇に避けて、彼女にスプーンを運び続けた。辛くなってしまう食事を辛くないように、感じる部分を働かないようにしていたのかもしれない。食べることはとっくに形を変えていたかもしれない。食べることはずっと、自分を喜ばせるものではなかった。自分だけが、という気持ちは素直に食べることを受け入れなかった。食べても食べなくても同じよう。食べることがぼんやりと曖昧になったまま。それはいまも同じまま。

ごはんが美味くできた。母に食べさせたい、と思う。声にならない声で言ってくれる「う、ま、い」が、こちらこそ嬉しくしてくれたんだ。




いまはどうだろうか。美味しいものは美味しいとふつうに味わえている。それはずっと変わらなかったかもしれない。喜びはあるだろうか。戻っているようだ、とは思えないけれど、戻っていこうとはしているみたいだ。喜ぼうとしているようだ。

大事なことを思い出している。僕は母にごはんを食べさせたかったのだ。あんなに苦しそうに、大変そうに食べる母に、それでもどうしようもなく、食べてほしかったのだ。だから、一心に動かされていた。母はそれに応えてくれようとしていた。食べることが生きることを繋いでいく。その一番の基本を母と僕は掴んでいて、決して手放そうとしなかったのだ。

「食べる」には喜びがあった。母は僕たちに美味しいものを食べさせたかった。もちろん自分自身が食べることを楽しんでいた。最後まで、「食べる」ことを続け、「食べさせる」ことを気にかけていた。

食べるとはそういうもの。それを思い出し、確認すれば、食べることが取り戻せていくようだ、と思う。母を囲むブランチで、母が遺してくれたレシピをいくつも再現した。みんながとても美味しいと喜んでくれた。ぼくは喜びを味わっていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?