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“備えは「身体の一部」から” 「助かっても危ない」にならないための備え

□「助かったのに亡くなる」災害関連死
災害関連死は東日本大震災で死者の17%、3676名(復興庁資料:平成30年3月31日)
熊本地震では死者の43%、204名が災害関連死といわれています。(警察庁資料 熊本県資料)


つまり、それだけの方が「助かったのに亡くなってしまった」ということ。

東日本大震災の関連死の9割が70歳以上の高齢者。
目の前で「助かった人がなくなる」なんてことは起こしたくない。

高齢者を守るには、助かってから何が危ないのか、何を知っておくべきなのでしょうか。

災害はいつどこで起きるかによってその姿は変わます。要配慮者それぞれの持つ特性によっても違います。
そして災害が起きた時、細かなことを確認している時間というのはない。
ただ情報をたくさん知るだけでは、「防災」にはならず、「防災として使える情報」にするために精査をする必要があります。

今回は「助かってからでも危ない」。要配慮者の災害関連死を防ぐためにと題して、いざという時に高齢者を守る「防災として使える情報」を考えていきたいと思います。

□被災中に手に入らないのは代わりの利かない「身体の一部」

災害時に備えて用意しているものはありますか?って聞けば最近じゃ「水とか缶詰め」なんかはちゃんと用意している人は多い印象です。東日本大震災で食べ物がほとんど商店からなくなった経験をしている人は特に。

ただ私はまずは眼鏡から準備します。

裸眼は、0.0…という世界です。もう外すと全然見えません。

災害時に眼鏡がなければ…

逃げられないかも。死ぬかも。誰が誰かも判別できないし、もし夜だったらほんとにやばい。

眼鏡・コンタクトない=死の危険 

私もかなり目が悪いので大変なことになるので眼鏡を、普段つける用、家用、非常時持ち出し袋用、職場のロッカー、実家と5つもって分散しています。

身体の一部になっているものは、なくすと、簡単には手に入らないです。

眼鏡の度数の様に自分にあうるものは自分しかもっていない。

水・食事は支援物資がとどけば手に入りますけど、でも自分にジャストフィットする眼鏡は支援物資にはありません。
特殊な眼鏡で度の調整できるものもありますが安価なものではありませんし、支援物資として大量に送られるものではありません。

自分の体に合わせたものは、災害時にはまず手に入らないと思って、常に身のそばに、緊急時に持ち出すものの中に必ず入れる必要があります。

□備えの順番は災害時に手に入りにくい「身体の一部」から。

「身体の一部」は眼鏡の様に体の機能を補うために使っているもの。

介護に目を向ければ
歩行補助であれば杖、歩行器、車いすも高さや形を、体格や身体状況に合わせたものばかり。代わが他では利きません。

補聴器や入れ歯も、もちろん調整された「身体の一部で」です。補聴器は電池がなければ動きませんし、入歯は洗浄道具や固定材がないとうまく使えない場合もあるので、電池や洗浄道具・固定材含めて「身体の一部」として必要なものといわれています。

持病などで、在宅医療機器を使っている方はその電源、バッテリーまでが「身体の一部」です。

常時、薬を飲まなければならない場合も薬が「身体の一部です」

なければ、見る、聞く、食べる、動く、場合によっては呼吸する、排せつすることができなくなってしまう。
生き続ける、生活を続けるために必要なものであり、尚且つ代わりが簡単に手に入らないのが「身体の一部」なのです。


水や食べ物ををたくさん備蓄することがいけないというわけではありませんが
ただ、備えには順番があります。

介護と防災をテーマにすると

「何からしていいかわかんない」という声も時々聞きます。


”備えは「身体の一部」から”です。

身体の機能を補助するもので、代わりが簡単に見つからないからこそ、常にもっておく、
非常時に取り出せるものをもって置く、ある程度安価なものであれば、予備を持つ作っておくことが大事です。