その1

建保の騒乱 その1

鶴岡八幡宮寺の赤橋から海に向かって一町ほど下った西側に和田氏の館はあった。若宮大路に面したその館の広さは、さすがに幕府の宿郎として侍所の別当職を預かる義盛の権勢を誇っている。

大路とは幅は狭いながら水をたたえた掘り割りを隔てていて、その掘り割りの1カ所には橋が渡され二層の櫓門も作られている。櫓の上には腹巻き姿の長槍をかまえた郎党らが篝火に照らされていた。すでに日が暮れて波の音が大きく聞こえてきている。

館には、和田氏の主な一族、庶従、百名ほどが集まっていた。その多くは、直垂姿と平服ながら、唇をきっと結び私語をする者もいない。殺気だってはいないが、これから自分たちに降りかかるであろう運命と向きあう覚悟を固めているかのようだった。

そんな一族が見まもる主殿の中央には、ずんぐりとした身体に獣のような眼光を放たせて義盛が坐っていた。義盛は和田一族の惣領として、また侍所の別当として、六十七になった今も精力的に働いていた。普段は上総にある自らの所領地に暮らしているのだが、今日はその両側に嫡男常盛、その嫡子朝盛を従えて一族を睨め回していた。

義盛に促されて常盛が話し始めた。

「皆も知ってのように、昨月、信濃の国の泉親衡の謀反が発覚した。親衡は先の将軍家の遺児千寿殿を旗頭にし、現将軍家を倒そうと画策したらしい。その親衡の与党であった安念坊という坊主が、先日鎌倉にて千葉介成胤殿によって捕らえられた。その安念坊の白状によれば、今回の謀反に加担した御家人は百数十人。伴類の者は二百人に及ぶという。問題は、安念坊が白状した謀反の輩の名に、わが弟、義直、義重が含まれていることだ。」

事の重大さからその場を緊張感が支配した。庭には大篝が焚かれ、主殿には紙燭がいくつも灯されている。静寂の中に炎のはじける音がパチパチと響きわたる。

「ありえぬこと。」朝比奈義秀が吠えるように言う。義秀は義盛の子の中でも勇猛を知られ、鎮西八郎為朝の生まれ変わりとさえ言われていた。

「で、今、義直殿、義重殿はどちらにおられる。」義秀がうなるように問いかける。

「今朝方御所に出頭を命じられ、そのまま捕縛されてしまったのじゃ。」八男の義国がくやしそうに答えた。

義盛には子が多かった。男子の数がそのままその一族の戦力の大きさを物語る当時の事、そうした意味でも和田一族の実力は、鎌倉中の御家人の中で抜きんでたものがあった。

「このようになる事を予想出来なかったのか。のこのこと御所に出かけて行って縄目にかけられるとは、いかにも浅はかな振るまいではないか。」次男の義氏が常盛を責めるように言う。義氏は普段父と一緒に上総の所領で暮らしていた。

「これは北条の手の者による策略に違いない。」義氏が続けたその言葉は、その場の誰もが口にしかけた言葉であった。

和田義盛は、頼朝が石橋山に挙兵して以来の功臣だった。寿永の合戦では、侍所別当として関東の武者を引き連れて平家と西国に戦って多くの戦功をあげた。その後の奥州の戦いでも、藤原国衡を自らの手で討つなどの輝かしい戦歴を持つ。しかも、幕府草創以来の功臣として唯一今まで生き残り、御家人たちに隠然たる勢力を誇っていた。それゆえ、独裁的権力を目指す北条方にとって、いずれ取り除かなければならない人物であったのだ。

しかし、そうした北条方の意図を未然に察知し、適切な対抗手段を考える者が和田一族の中にはいなかった。結果、今回の北条方からの先制攻撃となってしまったのだ。実際、今すぐにでも鎧に身を固め、力づくにて御所まで二人を取り返しに行こうと考える者ばかりだった。

「明日、一族そろって御所に参上する。」義盛が口を開いた。こうした場合、一族そろって将軍家の御前にて赦免の願い出をするのは、鎌倉武士の常であった。

「お待ちください。」朝盛が言う。

「まずは御祖父様お一人で将軍家にお会いになるべきです。それだけで叔父上お二人の御赦免はかなうはずです。一族そろっての願い出は、事を大きくするばかりで、北条方の思うつぼ。ぜひそのようになさってください。」

朝盛だけが和田一族の中で先の読める人間だった。

「いずれにしても、早晩、合戦は起こることと思われます。合戦になるとすれば与党を募らねばなりません。三浦義村殿をはじめとして、相模、武蔵の国々の御家人に、いざという時の味方の約束を取りつけるべきでしょう。すでに北条方では八方に手を伸ばしているはず。急がねばなりません。」

「だが朝盛、十年ほど前にも比企能員殿が一人で名越館に出むかれた事があったな。その時は北条時政によって能員殿は謀殺され、結局、比企一族は北条方によって族滅させられたではないか。」義秀が言う。

「能員殿と御祖父様では違います。むざむざと謀殺されるような御祖父様だと叔父上はお思いですか。それに私は、将軍家の近侍として普段から御所にお仕えしております。将軍家が、御祖父様の御願いを無下にされるとは思われません。」

朝盛にそう言われては、義秀はじめ一座の者は何も言えなくなってしまった。また、朝盛の考え以上の良案を述べる者もなく、とにかく明日早朝、義盛一人が御所に参上し、将軍実朝に二人の息子の赦免を願い出ることになった。

朝盛は、将軍家が難なく義盛の申し出を受け入れると確信していた。将軍家は義盛のことを気に入っていた。武辺一筋の白髪の老人の頑固さを愛していたのだ。問題はその後だ。こうして北条方が先制攻撃をしかけてきたからには、すでに準備万端整ってのことと考えるべきだった。いずれも剛の者揃いの和田一族とはいっても、鎌倉中の御家人を相手の合戦では負けは見えている。朝盛は将軍家をこの和田の館にお連れする事を考えていた。将軍家を手に入れた側が、今回の合戦の勝利を得る事が出来るはずだった。

朝盛は、和田一族の嫡流として、りっぱに一軍の将となれる器を持っていた。しかし、将軍家の近侍として実朝に仕えるにつれ、実朝の苦悩を誰よりも理解出来る立場にもあった。御台所の事も気になった。出来れば、合戦は避けたかったし、合戦となっても、将軍家に弓引く事だけは決して出来ないと考えた。ともかく、将軍家と北条義時を引き離さなくてはならい。もう一度、朝盛は強く決意した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?