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【MBTIあり】「勝手にふるえてろ」感想。

先日、2017年公開、松岡茉優さん主演の映画「勝手にふるえてろ」を観ました。観まして、衝撃というかくらってしまって、次の日に友達と飲む予定がなかったら一日中寝込んでたぞ、という感じで、いろんなことを考えてしまったので、一旦noteにて失礼させてただきます。

Amazonプライムにて、観れる作品だと思うので、観てから読むなり読んでから観るなりしてください。

あらすじとしては、拗らせすぎた(ある種のオタク的な)会社員の女性が中学の頃からずっと片想い(脳内で妄想してしまうほど)している男性を追いかける一方で、突然告ってきた(しかもそれが初告られ)同じ会社の冴えない(というかめちゃくちゃアホな)男性にも興味が湧いてしまい、どうのこうの...という恋愛映画。

ここで強調したいのは、「ラブコメ」ではなく「恋愛映画」であるという点。でも、作品のフライヤーを見ると、よくある「ラブコメ」作品のように感じ取れる。劇中もコメディ要素はたくさんあった。おそらくターゲットは、ラブコメ好きな女性に設定されたんだと思う。ただ原作は綿谷りさの小説。

劇中にコメディ要素はたくさんあったのだけど、「ギャグ」という見せ方ではなく、「ユーモア」のそれだった。松岡茉優、他の役者の演技が素晴らしいおかげもあると思うけど、ラブコメ特有の違和を感じることなく、観入ってしまった。

いいんだ、こういう映画の「枠」について言及されている文章はいくつもあるから、わざわざ俺がいうことじゃない。

いきなり本題だけど、今回、ある切り口を含めて感想を発表していきたい。最近流行りのMBTIだ。俺は日本でも屈指のMBTI信者で、「INTP」だ。説明しよう、「INTP」とは、調べてみると、恋愛や人間関係については悪口しか書いていない、最高の性格タイプだ。思いつく限り書いてみよう。

感情表現が豊かじゃない
口数が少ない、会話ができない
オタク、ニート
発言の矛盾に気づき反感を買う
変人、妄想しがち
そもそも恋愛に向いていない
理想が高すぎる

といった感じなのだけれども、勘の良い人はわかったかもしれない、「勝手にふるえてろ」の主人公、ヨシカは俺と同じ「INTP」なのだ。(根拠はないけどこれはごめん、絶対。)

https://pairs.pink/mbti

だから、その根拠となるシーンとともに、すごく私に刺さりました、というお気持ち表明をして今回のnoteは終わりです、という話にはしません。

ヨシカが「INTP」なのはもうこれは絶対。想像力が豊か、現実に絶望しているが仮面をかぶってそうじゃない風に装っている、理想が高い(中2から片思いを続けている)、普通にアタオカ、恋愛経験なし、大勢のパーティに気乗りしていない、他人の言動をかなり深く読み取っている、妄想がいきすぎて、リアルとギャップが生じた時にクソ落ち込む、などなどもう数えきれないほどの共通点がある。特に家の中ではヘッドホンで音楽・ラジオをずっと聴いて、独り言を呟いたりしていたシーンは、これ俺やん...となった。自宅にいる時と外出時で人も変わるという劇中のメタファー(厳密には、靴を脱いでいる時と履いている時)も最高だった。

色々考えたことはあるのだけど、主に3つ。

・MBTIの「I(内向)」、社会で損しかしない問題
・無意識の差別問題
・現実と理想、どっち取るか問題

まずは、MBTIの話から。まぁこれは本当にある。内向的な性格を表す「I」という診断結果だけど、自分から話かけに行けないんです〜、という話を外交的な人に相談しても無駄なんだよな。行けばいいだけ、と言われるだけなので。行くまでの過程において様々なハードルがあるというのに、行けばいい、と言われる。ただ、コミュニケーションは取らないと様々な損をする。恋愛はもちろん、大学に入って友人関係においてもそうだってことに気づいた。義務教育の時みたいに、「構ってあげなくちゃいけない」場面が減るからだ。友人が減るということは、情弱になるということと同義である。様々な情報が入ってこない。世間で何が流行っていて、何が正解とされているのか、を知らずに過ごしているのと同じなんだ、だから余計に社会との距離が遠くなる。その点、仕事やビジネスにおいては、意外と耐えることが判明した。「やらなくちゃいけない」場面しかないから、人は自分と接さないと始まらないし、自分も話さないと終わる。だからなんとか耐えるんだけど、すごく疲れる。こうしたハンデみたいなもんもあることから、内向的性格の人と外交的性格の人の間で無意識的な差別もあるのではないか、という疑問さえある。絶対下に見てるだろ、みたいなね。だからその怒りが常に自分のエネルギーや決断力の源泉である。これはヨシカも同じだと思った。うわ、これ多分「逆張り」してしまう理由にもなりそうだな、気になるから、誰か綿野恵太著「逆張りの研究」を読んでみてほしい。

まぁ逆張りなどをしてしまうと、Eの人たちに嫌われ、とうとう終末へのカウントダウンが始まる。でも我々、「I(内向型)」の人たちは好きなことで繋がれる。要はオタク同士で繋がる、というわけだな。そういう特徴を逆手に取ったマッチングアプリの「趣味で繋がろう」戦略にもずっとイライラしているわけ、結局搾取される側かよ、と。そんなこんなで損しかしていないのではないか、と捻くれ・拗らせ精神で言っていますが、多分自分の心が狭すぎるだけで、他の人は上手いことやっていけてるのだろうなと思うばかりです。絶望!ごめん、全然映画絡んでなかった。でも劇中にもさまざまな「生きづらさ」が描かれていたよね。特に、会社のヨシカは完全に、真面目にやってたら負け精神で生きていたな。飲み会にノレないヨシカ、積極的な恋愛にノレないヨシカ、同窓会でも楽しめないヨシカ、仕事が世紀末なヨシカ、デフォルト猫被りコミュニケーションのヨシカ、喋りはするけど性格タイプが全然違うから本当の意味では仲良くなれない友人の存在など。マジで損。だけど、それでも頑張るヨシカの存在が励みになった。

次、恋愛が絡んだ無意識の差別問題ね。これはまぁ俺如きが勝手に言及して良い問題でもないと思うので、そこまで触れないけれど、この映画内では、男性が上で女性が下という構図が出来上がってしまうような発言がいくつかあってその度に鳥肌が立った。俺はフェミニストでもなんでもないのだけど、気になってしまうもんは気になってしまうものだ。逆に気に入られたくて飲みの場でわざわざ下に成り下がる女性とか(それを受けてヨシカは「ファック」と言っていた)、これも本人はキレてたけど恋愛経験が少ないことがコンプレックスな女性に、ピュアで可愛いと言ってしまうとか。これは下手したらグルーミング的な危なさを孕んでいると感じた。けれども、この映画はこうしたシーンに対して、ヨシカの力強いアンサーがあってすごく嬉しかった。ピンとこない人は本当にピンとこないポイントでもあると思うから。これは現実でも結構ありがちなことだと思う。こないだカフェで彼女が何にも言ってないのに、「Aちゃんには難しい話だよね、ごめんね」と言っていきなり会話を終わらす彼氏を目撃してしまい、あー下に見てんなぁ〜、と思ったし、おそらく自分もどこかでこういう部分があるだろうから、こうした問題に、より自覚的になろうと思えました。

現実と理想、どっち取るか問題。これがこの映画の本質でした。そもそも「勝手にふるえてろ」は西野カナ「会いたくてふるえる」からインスピレーションを受けて生まれたフレーズだそうで、最高ですよね。理想の男に向かってずっとふるえてる自分を捨てて、現実にダイブするヨシカ、最高に輝いていた。とはいえ、クソみたいな現実に飛び込むことが重要であるということを伝えたかった映画ではないと思うんだよな。結果というより過程だな。一見簡単そうに見える決断も人によっては、たくさんもがいて苦しみながら勇気を持って決断しているという事を思い知った気がする。もしかしたら、いいから「二」とすぐ付き合えよ、みたいに感じる人もいるかもしれない。友達は松岡茉優が奥手すぎてイライラした、と言っていた。そうじゃないんだよな!ただ、「一見醜い現実こそ美しいのかもなぁ〜」とヨシカは言っていたが、本当にそうか?という疑問がずっと渦巻いているのだけれど、だからこそ、いつか来たるそんなタイミングが特別になるんだろうなとも思ったりした。で、結局、理想と現実、どちらを取るべきなのでしょうか?現実でしょうか。よく「なるようになる」と人に言われるがこれほど胡散臭い言葉はない。特に「INTP」の俺やヨシカにとっては。なるようになるかどうかわからなくて不安だから、先回りしてたくさんのことを考えているのに、それを「なるようになる」とピシャリと言われてしまっては、性格の所在が不明になってしまう。一方、大半のことが「なるようになる」のも知っていてすごく「ずるいよ」という気持ちになる。この映画を見て、君と同じようなヨシカがなるようになったんだから君も「なるようになる」という言葉を信じて現実に飛び込んでみなさい、と言われた気分になりました。ずるいです。まぁでもこの映画はなんとなく個人的にはこれから先もお守りみたいな存在になる気がしています。松岡茉優ありがとう。

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