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分離派の夏

「分離派」というのは、19世紀末にドイツで起きた芸術革新運動のことである。若い芸術家たちが伝統や所属協会にとらわれない表現活動への「分離」を求めたムーブメントのことだけど、いつの時代も「分離」を推進するのは俺たちみたいな若者で、当時も彼らのことを「Z世代」(もしくはそれと同義の言葉で)と呼ぶ人がいたのかもしれない。そして、これがまさしく「若者の力」なのかもしれない。ここでどうしても対比してしまうのは現代の大人たちがよく言いがちな「若者の力」について。考えたくないけど、かなり捻くれてるし拗らせてるから(俺は)、若者の力を単なる労働力としてしか捉えていないのではないか、と感じてしまう。もちろん例外もあるんだけど。一般的に、ITリテラシーがあるとか、柔軟な発想がどうとか言われてるけど、柔軟な発想ができるのって、伝統やルールに縛られない環境にいるからで、これを「力」と捉えて大人たちが吸収してしまうと水の泡になってしまうのでは、と思ってしまう。じゃあ大人たちはどうすればいいのか、だけどもうそんなのわかんない。下手したらもうすでに手遅れなのかもしれない。文句ばかり言っている俺はというと、正直何にもできない。ただ、核心にあることはあって、それは「金のために働きたくない」だな。でも若いうちは、将来金のために働かないために、金のために働いている状態になりがちだと思う。(はじめから安定を求めている人は異なると思うが)こうした状態が長く続くといつの間にか、金のために働くのも悪くないか、という錯覚に陥ってしまうんだと思う。それが怖い、本当に。就職活動中や内定先が決まって、よく聞かれるのは何がしたいか、という愚問。俺は何かを成し遂げたいわけじゃなくて、「金のために働きたくない」だけなのに、うまく答えられないと、大したことないな、という雰囲気で見られる。金のために働かない、ということはどういうことか、それはやはり「ものづくり」なのではないか、「ものづくり」とは言っても、なくてはならないものではなくて、なくても良いけど誰かが必要としてるものを作りたい。例えばそれは、音楽なのかもしれないしこうして書いている文章なのかもしれないし、物体なのかもしれないけど、そういうことに命を燃やしたいです、私。

今年の夏は、とにかく人に縛られない自由な休暇をコンセプトに過ごした。こんな夏にぴったりだったのはやはり小袋成彬の1st「分離派の夏」だった。

https://open.spotify.com/intl-ja/album/2VoiEyYHs8DJvDZFa5IPi2?si=aZmyb7FhQE2VOSfTcahKKw

一部の批評家たちからは「説明しすぎて聴いていて恥ずかしい」と指摘されていたが、自分は好きだ。小袋成彬はキザだけど良いやつだし頭もいいしイケてる音楽作るし最高すぎるどう考えても。音楽はできないけど小袋成彬みたいな人になりたいわけ。小袋成彬とLicaxxxとハマオカモトが鼎談(よりももっとラフだが)しているマクガフィンの動画を何度も見返した。

彼はまさに「ものづくり」の人だと思った、一方で、「お金」についてもよく考えている人だ。経営者でもあるしね。「ものづくり」ができる人はお金についてもよく考えていると感じた瞬間だった。でも、前述した「お金」と彼が考える「お金」のあり方はやっぱりどこか違う。前述した大人たちがかくいう「お金」はやっぱりどこかいやらしい。投資家たちをどうにかして振り向かせて得たお金だからだろうか、まあそんな匂いがする。一方で、「ものづくり」をする人たちが大事にする「お金」って、「使ってこそ」初めて意味を持つ感じがするね。使うためのお金をどう引っ張ってくるか、それに頭を使う。似たような人もたくさんいるけどそういう人たちに出会う(一方的に知るのみだが)たびに、尊敬と憧憬の眼差しになり、同時に自分は何もできないのだ、と悲観的になる。そんな小袋成彬の1st「分離派の夏」には、1曲目と6曲目に音楽学者の八木宏之さんの語りが収録されているのだけど、その語りにいたく感銘を受けた。1曲目では「作品を生み出す意義」について、6曲目では「ものづくり」について。1曲目は、作品を生み出す作業は自分を納得させるためだ、ということ。要はお葬式、みたいなものだという話。6曲目は、ただ社会の歯車になっている自覚が芽生えて、ものづくりをすることが必要だと感じたんだという話。ちょうど「ものづくり」について考えていたタイミングで出会ったので、(以前も聴いていたアルバムだが、この夏しっかり聴いた。)非常にくらってしまった。


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