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映画を観て「故人」に想いを馳せること。

故人という概念に対するあれこれを描く映画をよく観る。ここ最近見たので印象に残っているものだと3作品。「スーパーノヴァ」、「くれなずめ」、「マイ・ブロークン・マリコ」など。

一昨年前に、祖母を亡くしてからようやく、こうした「死」を描く映画に当事者意識を持って向き合うことができるようになった点においては、ある意味、救いなのかもしれない。

「記憶は死に対する部分的な勝利である」というカズオ・イシグロの有名(?)な言葉があるけど、「記憶は死に対してさらなる敗北を招きかねない」という反対のことも言えると思うんですよね。

どういうことかというと、「死」に対して、勝利を収めるかどうかってのは結局、「記憶」次第であり、残った記憶が悪いものであれば、それはさらなる敗北を招いてしまうということである。(そもそも、「死」は敗北なのか、という議論も必要だと思うけど、全部綺麗事になりそう。)

映画、「スーパーノヴァ」では、そんなようなことが描かれる。認知症を患った主人公格の男性とそのパートナーである男性が思い出づくりに、とキャンピングカーで旅に出るという話。認知症が進行して、愛する人のことや自分のことが分からなくなって、しまいには、まともに生活することさえできなくなってしまい、愛する人に迷惑をかけてしまうことを案じていた、主人公の男性は、途中で自殺を試みようとしていた。ただ、パートナーの男性に気づかれてしまい、「死」をめぐる議論に発展する。

その議論の場では、愛する人の記憶に自分じゃない姿として自分が刻まれてしまうのは辛いという意見と、愛している人のためならなんでもするし寂しいから、意地でも面倒を見てやる、という意見が交わされる。最初は、「愛」って美しいもんだなぁ、と思っていたが、どうやらそうじゃないみたい。

自分の死後、愛する人に記憶としてどんな姿が刻まれるか、そこに対する恐怖と正常な自分、つまり過去への執着だった。

そう、自分の中では「過去への執着」がこうした映画を見る上でのマスターキーとなっている。

映画「くれなずめ」は、あらすじや物語の設定がかなり複雑で言語化が難しいから、観てない人は観てほしいんだけど、主人公が実は幽霊で、成仏されないまま、誰かの結婚式をきっかけに再集合した高校時代の仲間たちとわちゃわちゃして、高校時代の思い出などを振り返りながら成仏されていく、ような話。主演は成田凌。(追加で言っておくと、藤原季節、若葉竜也も出てる。)

物語の中盤に、高校の時に好きだった女子に、幽霊の主人公が思いを伝えるシーンがあって、かなり刺さった。

ある種「死」とは、人生の免罪符的な役割を持っている、という受け取り方をしている人が多いのではないか、と思うんだよね。例えば、「自殺」。もちろん、生きたくなくて死ぬ人もたくさんいるけど、死ねば何でも解決する、誰かは哀れんでくれる、そういう想いから命を断つ人もいるかもしれない。そんな価値観を持っている人、に一石を投じるシーンだったと思う。

いつまでたっても、もじもじしている幽霊の主人公に、女子側がなんでいつまで経ってもそうなんだよ、とぶちぎれる。対して、主人公は多目に見てよ、死んでるんだから、というようなことを呟く。すると、女の子は「死んでたら偉いの?」「死んでても死んでなくても変わんないんだよ」とさらにブチギレ。はっきり言おう、涙だ。涙した。

そうか、と気づいたわけですよね、死んだからといって、その人に対する記憶は美化されて良いもんじゃないんだと、そのまんま、あの時のまんま保存・記憶されていっていいもんなんだ、と。

過去や死んだ人に執着するのは、文学的には美しいことかもしれないけど、現実的には情けないことなんだよな。

映画「マイ・ブロークン・マリコ」は、親や恋人から暴力を受けていたマリコが自殺をしてしまい、彼女の遺骨を、主人公で彼女の親友のシイノが親から略奪し、生前に行きたいと言っていた場所へ散骨しに行く、という話である。

シイノは、自分を置いて先立ってしまったマリコを憎みながらも、何度もマリコの生前のエピソードが描かれる。それはまるで、死の世界から記憶としてのマリコが手を引いているかのような印象を受けた。シイノは飛び降り自殺を図ろうとするが、生の世界から助けの騎士がやってくる。窪田正孝だ。イケメンすぎた。まぁこんなところ。

そこで、窪田からこんな言葉が発され、空気に溶けていった。「もういない人に会うには自分が生きてるしかないんじゃないでしょうか」ふに落ちる前に溶けていったからあまり深く解釈できないけど、まぁ、過去に向かって飛び込むのではなく、進み続けようぜ、ということなのかな。

この作品では、故人側も残された側も過去に執着している。この過去が「死の世界」を描き、その執着を断ち切るべく、窪田正孝が奮闘するという物語でした。良かった。

どういう内容ならいいのか、という正解はないけど、「人の死」と「記憶」を描く映画を観るときはこの、過去との関係性・執着に注目してみるのが最も面白いのではないかと思いましたね。

まぁ、こんな綺麗事は置いておいて、最近面白い記事を見つけた。「平成レトロと「エモい」の深い関係 「〝時代〟は振り返っていない」 SNSで「懐かしみ」やすく」という記事。

最近、昭和レトロや平成レトロといったカルチャーが蔓延しているが、この原因はなんなのか、というもので、この記事の中では、未来に対する恐怖心から過去を振り返って安心している、という潜在意識が働いている、と結論づけている。

これって、「故人」に対して抱く感情と同じなのかも、と思ってしまった。自分も、なんか辛いことがあれば祖母をいつも思い出して、生前の楽しい思い出を振り返ったりする。でも、振り返ってばかりいて、正当化された過去と、今の自分を結び付けて正当化させることは「情けなさ」も感じるよね。

だったら、思い出すと苦しくなるくらい辛かったときの思い出と一緒にゴミ箱へ投げ捨てて、前を向いて生活したい、そう思うね。結局、綺麗事でフィニッシュ。

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