見出し画像

【風車】2#シロクマ文芸部

風車ふうしゃが回っていた。
白い風力発電用の風車が海の中に6基立っていた。
ここはそんなに風はないが海上は風が強いのだろうか?
僕はそんなことを考えながらぼんやりと眺めていた。
国道沿いにある小さな社はきちんと手入れがされていた。
鳥居前には木製のベンチが置いてある。
それに座ると松の木々の間から海を覗くことができる。
これらの木々は防風林か何かなのだろうか?
「どうしました?こんなところで」
見知らぬ男が声を掛けてきた。
40歳前後のスーツ姿の男だった。
声は柔らかく、その表情も柔和だが、隙を感じさせない男だった。
相手が僕のことを知っているのか否か、少し迷った。
テレビなどのマスメディアでの露出は少ないが、時折専門誌に顔写真が載ることがある。おかげで、こちらは知らないが相手はこちらを知っているというケースが時折ある。
少し離れたところに車が一台停っている。
よく見ると運転席に人影が見えた。
「人を、車を待っているんです」
僕は答えた。
「えっと…じゃあ、君が宵月青藍くん?」
「はい?」
僕は体を向き直してその人を見た。
「伝言を頼まれたんです」
「え?」
「君、端末の電源入ってないでしょ?」
僕は肩に斜めに掛けていた鞄の中からスマホを取り出した。
「あ」
確かに電源が入っていない。慌てて起動すると続け様メッセージが届いた。
兄がいたホテルでトラブルがあり、車を出せなくなったこと。
兄は別の場所に避難して無事なこと。
そして迎えに行ったふたりを信用して大丈夫だということ。
「避難?」
「火災が発生しましてね」
男は言った。
メッセージにはふたりとあった。ひとりはそうすると運転席にいる人物だろう。
そう思って車の方を見ると、こちらに近づいて来るのがわかった。
「兄に確認していいですか?」
「どうぞ。かまいません」
相手を信用していないと思われるかもしれないが、こればかりは仕方がない。
子どもの頃に誘拐された経験があるので、どうしても警戒してしまう。
「大丈夫。お祖父様の直下の人たちだ。俺もここまで送ってもらったよ」兄は言う。
「今日の打ち合わせは?」
そう訊ねると「真面目だな」と電話の向こうで兄が笑った。
「日を改めて行うことになった」
車がすぐそこに停った。
黒い少しだけ旧い型のイタリア車だった。
運転席の男がフロントガラス越しに会釈した。
僕は彼らに連れられて兄のところに行くことにした。
僕は後部座席に乗り込んだ。
「改めてご挨拶を。クレセントの藤です」
助手席に乗り込んだ男がこちらを向いて言う。
クレセントというのは祖父の持つ会社のひとつだ。
「フジさんはどの漢字で表記なさるんです?」
「気になりますか?」
「アクセントが」
「フジの花の藤です」
僕は口の中で「藤、藤」と唱えた。これは癖だ。
「こっちはクロウ」藤さんが運転席の男を指して言う。
「九郎判官の九郎」と付け足した。
「よろしくお願いします」
ルームミラー越しにこちらを見て九郎さんは言う。九郎さんは藤さんより大分若いようだった。だけど藤さん同様落ち着いた様子で、僕はようやく安心できた。
「同じホテルに政府関係者がいましてね」
車が走り出すと、藤さんが話を始めた。
「こんなところに?」
「選挙が近いようで」
藤さんは前を向いたまま言う。
「経済が低迷した状態ですからね。政府に不満を持つ者の中には過激なことをしでかす輩も出てきます」
つまりはただの火災ではなかったということだろう。
「だからってこんなところで、ですか」
学会の発表会できた町は、風力発電の風車が立ち並ぶ、所謂僻地である。
この町で大規模に行われているとある実験の成果の発表を聞くためにここを訪れた。
大学の研究室のメンバーも一緒だったが、彼らは他の発表も聞くため明日まで発表会場であるホテルに滞在している。
僕は隣市で行われる予定の美術展の打ち合わせもあり、メインを聞くだけで終わりにした。
さっさとチェックアウトを済ませ、
兄から連絡があるまで会場周辺を散策していたのだ。荷物は一泊分しかない。持って歩いても大した量ではない。
散策は国道を跨いだところで終わっていた。
そこから見える珍しい風景を、写真を撮ることもなく眺めていた。
静かだった。
兄の滞在していたホテルとは30kmほどしか離れていない。
僕は窓の外の風車を見た。角度が変わり、6基だと思っていた風車が8基あるのがわかった。
「あの風車だって狙われているんですよ」
藤さんも窓の外に目を向けて言った。
「破壊したからって意味はないというのに」
そう言った声はとても冷ややかだった。
「そうですね」
僕は回る風車を見て頷いた。
古いイタリア車でも音が静かだった。
そして古い車特有の振動が心地よかった。
「眠ってしまうかもしれません」
僕は言った。
「構いません。30分と少しかかります」
その声を聞きながら僕は目を閉じた。
閉じた瞼の内側でも白い風車が回っていた。