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【白い靴】#シロクマ文芸部

「白い靴を履いた男、ですか?」
「えぇ。ご存知ないですか?」
先週近くであった殺人事件の捜査だという刑事とここの社長の話を背中で聞いていた。
「目撃証言によると、走り去る男は夜でも目立つ白い靴を履いていたというんです」
「はぁ…いや。記憶にないです」
「そうですか…」
そのあとも二、三の質問をして刑事たちは帰って行った。
「なんだか物騒ですね。殺人事件とか」
「うん。5年前もあったんだよね」
「え?近所でってことですか?」
「うん。そう」
小さな印刷所の社長は改めてコーヒーメーカーをセットした。
コーヒーの準備の途中で警察が来たのだ。
2日前に路上で女性の他殺死体が発見された。
その少し前にこの付近で不審な人物が目撃されている。
新聞ではその程度の内容しか解らなかったのは報道規制かなにかが敷かれているのだろうと思っていた。
箔押しの印刷を得意とするこの印刷所にラベル印刷を頼みに来ていた。
住所でこの近所らしいと思っていたが、事件のことを話題にするのはどうかと思っていたところに警察が来た。
「そちらでは殺人事件とか、ないですか?」
県を跨ぎ車で40分。そちらこちらという距離かどうかはわからない。
「学生が多いせいか、小さなトラブルは多いですが殺人事件はないですねぇ」
「そうですか。こっちはなんか定期的に殺人事件起きます」
「定期的にですか?」
「だいたい5〜6年に一度。でも、大抵はすぐに捕まる」
「犯人が。ですか?」
至極当たり前のことを訊いてしまって、なんだか恥ずかしくなったが、社長が真面目な顔でコクリと頷いた。
「悲しきかな。大抵は身内なんだよねぇ」
社長のその言葉に、再び「犯人がですか?」と訊ねてしまった。
社長はまた真面目な顔でコクコクと頷いた。
コーヒーをテーブルに置くと、社長は目の前のひとり掛けのソファに埋もれるように座った。
「身内に犯人がいないと捕まらないんじゃないの?なんて言う奴もいるくらいですよ。まぁ、身内とか交際相手とか」
社長はこちらが差し出したラベルの新デザイン表を手にした。
「世知辛いという言葉で済ませられない世の中ですね」
「そうだねぇ」
社長は少し気のない返事をした。
そして「サンプルは週明けでいいかな?」と言うと、こちらを見た。
「かまいません」
「そっちに行く用事があるから火曜日に会社に届けますね」
「お願いします」
それで仕事の要件は済んでしまった。
「ところでさ、人を殺そうとする人間が白い靴っておかしいと思わない?」
社長はデザイン表を置くと、マグカップを手にして言った。
「被害者は背中をひと突き。凶器は肝臓まで達していて出血性ショックで亡くなっている」
そこは新聞には載っていなかった。
地元の新聞には載っていたのだろうか?
「凶器が刺さったままだったから、犯人が返り血を浴びている可能性は低いけど、路上で刃物といったら計画的犯行だと思うんだよね」
「そうですね。自分だったら全体的に黒っぽいもの。靴だけじゃなく服も黒で。しかも捨てても構わないものにしますね」
「目撃者は本当に白い靴見たのかなぁ」
社長の言葉に少しゾッとした。
「わざと白い靴と言った。とか?」
社長はゆっくりと頷いた。
「白い靴なんて持ってる?」
靴はないがスニーカーならある。そう答えた。
「スニーカーかぁ」
「でも、白い布に血がついたら最悪ですよ」
そう言うと、社長は「そうだよねぇ」とコーヒーを口にした。
「実はね」
5年前の殺人事件もまだ犯人が捕まっていないのだという。
「5年前は、首をアイスピックのようなもので刺されてたんだ」
「ドラマにありましたよね。そういう殺し方をする殺し屋」
「そうなの?」
ドラマのタイトルを言うと「今度見てみよう」と社長は少し楽しそうに言った。
「5年前も、白い靴の男が目撃されていたんだ」
「同一犯だというんですか?」
「いや。その時の白い靴の男はすぐにわかってね。君の言うように白いスニーカー、ジョギングシューズを履いていつもそのあたりを走っている男性だったんだ」
社長が何を言いたいのかわからない。
「白い靴の男を見た。は、通報者のついた嘘かもしれないなぁ…とかね」
驚いた。
「なんでそんな嘘?」
「逃げた人物を庇う。もしくは」
そこでピンときた。
「目撃者が犯人」
思わず口に出して言うと、社長が「そうだね。そうなるね」と言った。
「でも、もしも犯人が第一発見者だとしたら、ふたりの間に接点が全くない」
「社長は、第一発見者が誰かご存知なんですね?」
社長の肩がピクリと跳ねた。
「そうだね。私の知人だ」
それが誰か訊くのはやめた。
ただの知人ではないだろう。そして、そのことは警察には話してはいないだろう。そう思った。
「その人が白い靴を持っているかどうかはご存知ないんですか?」
社長は「わからない」と答えた。そして「少なくとも自分と会う時は白い靴は履いているのを見たことはない」と言った。
「じゃあ、先ほど警察に言った通りでいいんじゃないですか?」
「そうだね」
社長はそう言うとホッとしたように息を吐いた。だけどマグカップを持つ両手が忙しなくカップを撫でる。
社長の不安がこちらにも伝わってくる。
「5年前の事件はどんな事件だったんですか?」
苦し紛れに言った自分の言葉に内心舌打ちをする。
しかし、存外社長は話題が変わってホッとしたかのようだった。
つまり、社長の知人である第一発見者は5年前の事件には本当に関係がないのだろう。
5年前の事件を語り出した社長の向こうに、白い靴を履いた誰かが立っている。
そんな錯覚を振り払うべく、冷めかけたコーヒーを飲み干した。