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読めない本

「返却お願いします」
と図書館のカウンターに本を置く。
一冊は入手の難しい論文集。
大学教授をしている友人の論文が載っているという情報を得たが、一般では販売されておらず、ネットでも入手は難しいその本が図書館にあることがわかって借りた。
本の表紙裏に「寄贈」の判があった。
ひょっとしたら寄贈したのはその友人かもしれない。
英文での論文ばかりの本は発行されてから2年が経過しているのに新品同様。借りる時も閉架から持ってきてもらった。
友人の論文以外にも2、3気になる論文があって読んだ。
元々全てを読むつもりはなかったので、目的は果たした。
もう一冊は好きな作家の少し古い作品だった。
積読本がある中、偶然、その本を図書館で見つけた。
文庫本にもなっておらず、単行本も廃版にはなっていないそれは市中にはあまり出回っていない。
熱烈なファンはいるもの、ベストセラー作家と呼ぶにはマニアックなその作家寡作で、自分のような「遅ればせながら」ファンになった者が、過去作に触れるのは難しい。
ファンは買った本を手放さないから中古市場にも出回らない。
その折角借りた本を、自分は読むことなく返却期日を迎えてしまった。
延長という名で、続けて借りることができる。
でも自分は明後日から3週間の海外出張だった。
貸出期間は2週間。とりあえず、今回はこのまま返却することにした。
「やれやれ」
実はこの本を返すのは3回目なのだ。
似たタイトルの本を、機械を使って検索した時、たまたま、その本が図書館にあることを知って、借りるつもりで検索していた本と2冊を借りたのは3ヶ月ほど前の日曜日のこと。
いつも本は2冊ずつ借りる。
仕事関連の本を借りた時は別だが、図書館から借りた本は寝る前に読むのだが、1週間い1冊のペースで読み切る。
3ヶ月前も、いつも通りに読み切る予定だった。
だが、本を借りた翌日から、急遽、プロジェクトリーダーを振られ、プレゼンのための資料作りに追われ、結局2週間かけて本命の一冊しか読み終えることができなかった。
しばらく、忙しさを引きずると思って、一度、本を返した。
大丈夫。なかなか借りる人はいないだろう。
すでに本は閉架にあった。
1ヶ月ほどして、図書館に行くゆとりが戻ってきた。
まずは、この間そのまま返してしまった本を借りよう。
もう一冊は軽めのものを借りよう。そう思った。
もう一冊は画集を借りた。
が、その時は、画集を眺めるだけで終わってしまった。
ひどい結膜炎になってしまったのだった。
本を借りに行った日曜日も少し目が痒かった。
日に日に痒さが増し、水曜日、会社を定時に出て眼科に寄った。
「アレルギー性の結膜炎ですが、疲れですね。免疫力がかなり低下しています」
全治10日。翌週いっぱい休めと診断書が出された。
有給もだけど、代休もあり、10日の休みは簡単に取ることができた。
ただ、毎日同じ時間に、web会議アプリで様々な進捗状況と質疑応答がある。
「リーダー。目が辛そうです」
「辛いよ。資料はざっとしか目を通していない」
そういう状況だったから寝る前の読書は無理だった。
まだ少し痒みの残る腫れぼったい目を隠すために、滅多にかけないサングラスをして図書館に行った。
「延長できますか?」
顔は記憶しているが名前のわからない担当が「少々お待ちください」とPC端末を操作する。貸出希望の予約が入っていなければ再び2週間借りることができる。
「申し訳ございません。2冊とも予約が入ってました」
画集は新刊だからわかる。しかし…。
こういうこともあるものだと諦めた。
目がまだ完治というわけではなかったから何も借りずに帰った。
そして今回。
論文集と一緒に借りる際、どちらも閉架から出してきてもらうのは申し訳なく思ったが、出張前に両方とも読み終える気まんまんだった。
論文はベッドに寝転んで読むというものではない。
日常会話程度なら、英語は読むも話すも聞くも自信はあるが、専門用語満載の論文はそうはいかない。
単語の意味を調べながらでも、論文を読むのは楽しかった。
友人の論文を読んで終わろうと思ったが、友人の口からたまに聞く名前を見つけ、そちらも読んでみようか?と思った。
やはり単語を調べたり、言い回し的に理解ができずに調べたり、かなり時間を要したが、それでも読み終えた時の充実感はなんともいえなかった。
そして、気がついたら返却期日の前日だったのだ。
「呪われた本…とか」
読めなかった本を眺める。
「出張から帰ってきたら、この本だけ借りよう」
先週、図書館に行ったら貸出中だった。
代わりの本を借りることなく、ただ予約を入れて家に帰った。
本が返却されると、図書館から「貸し出しの準備ができました」というお知らせメールが届くが、いまだにメールは届いていない。
本当に、あの本を自分は読むことができるのか?
奇妙な不安だけが募るのだった。