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立ち飲み屋-一陣の風のように#青ブラ文学部

三角形の敷地ぴったりに建ったその店は立ち飲み屋だった。
立ち飲み屋はおでんと焼酎、ビールなんていうイメージかもしれないけれど、そこは所謂ショットバーで、ほとんどの客がチェイサーを置き、ショットグラスでアルコール度数が40度以上の酒を喉の奥に流し込む。
その店が開いているのは夜20時から23時の3時間のみ。
オオシマはその立ち飲み屋の常連だった。
たいていの客は、そこで1、2杯を飲むと「じゃあまた」と言って帰って行く。
中には、「いつもの」と言ってカウンターに500円玉を置き、出されたショットグラスをぐいっとあおると「じゃあ」と、滞在時間1分もない客もいる。
「風のようだ」というのはこういうことなんだろうな。オオシマは店を出て行く後ろ姿を見送ることなく思う。
立ち飲み屋の主はイチゴくんと呼ばれる若い男だった。
不定休。ほとんど無休だが1日3時間の立ち飲み屋の経営で生計を立てるのは難しいだろう…とオオシマは思っている。きっと、他にも仕事があるのだろう。だけど、そのあたりは一切匂わせない。イチゴも本名なのかどうかもわからない。
客らの話をニコニコ聞いて、酒を出す。
スコッチはシングルモルトとグレーンウイスキー。バーボンは甘口と辛口。ジン、ウォッカ、テキーラ、ラム。それぞれがイチゴくんおすすめのものが並んでいる。つまみはカウンターの上のガラス製のキャニスターに入っているナッツとチョコ。それは客が好きに食べることができる。
「で、ワンショット500円ってさぁ。イチゴくん商売っ気ないねぇ」
ほとんど毎日通っているイトウが言う。
イトウは去年の春まで高校で国語の教師をしていた。
定年後は自宅で書道教室をしている。
オオシマの母もイトウの書道教室に通っている。そしてイトウはオオシマの高校時代の担任だった。
主はニコニコ笑っているだけで、それには答えない。
店にいる誰もがこの店の今の状況がとても気に入っている。
だから経営に関しては深追いはしない。
イトウもアーモンドチョコの銀紙を剥がすことに気が移っている。
客が入れ替わり立ち替わりする中、その日はオオシマとイトウがいつになく話し込んでいた。
主はグラスを洗っている。
店はあと30分ほどで閉まる。
「一陣の風のように?一陣の風のような?」
「『に』か『な』でここは文章自体、変えなきゃなんないぞ」
カウンターの上には文章が印刷されたA4用紙が2枚。
「う…どっちがいいかな」
オオシマが文字通り頭を抱える。
「イチゴくん」
イトウが呼ぶ。
主が顔を上げた時、店に3人の男が連れ立って入ってきた。
オオシマもイトウも初めて見る顔だった。
3人の中で少し日本人離れした顔立ちの男が「テキーラ。それぞれに」と言った。
「なんだ。日本人か」
オオシマは密かに思った。
主は3人の前にテキーラを注いだショットグラスを置いた。
3人はそれぞれグラスを手にすると、お互いを見て、無言でグラスを上げると一気に飲み干した。
「馳走サン」
注文した男がそう言ってカウンターに一万円札を置いた。
「釣りはいらない。俺たちの景気付けだ」
そう言うと3人は店を出て行った。
オオシマもイトウも振り返った。ドアが閉まった今となっては姿が見えるわけでもない。
主がカウンターの中からそっと手を伸ばし一万円札を取った。
「一陣の風のように去っていった…じゃないですかね?」
とふたりを見て言った。
一万円札を仕舞いながら「彼らの奢りでもう一杯如何ですか?」と言ってニコリと笑った。
オオシマもイトウも頷いた。
「たまに長居するのも悪くないな」イトウが言う。
「俺も折角飲んでいるのに先生に相談するのも…と躊躇ったんですが、訊いてよかった」オオシマが言う。
「彼らを真似て急いで飲まなくていいですからね」
主はふたりの前にロックグラスに入った酒を置いた。