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あのバーで待ってる


 アウティングしてしまった。
 いや、ぎりぎりアウティングじゃない。
 同期の、ちょっといいなと思っていた岡田君が「佐倉さんって彼氏いるのかな?」と聞いてきたから。
 だから彼女の行きつけのバーの名前を教えた。それだけ。

 佐倉がそのバーに入っていくところは、たまたま見かけた。
 しゃれた外観の店で、私も彼氏ができたら行ってみたいと、店の名を検索した。
 そして知った。そこがビアンバーなのだと。
 岡田もバーの名を検索したのか、佐倉と会えるのを期待して店に行ったのか。
 ともかく彼は、そのバーがどんなところか知ってしまった。
 彼は口が軽い。
 翌週には、佐倉を取り巻いていた男たちがいなくなり、女たちも距離を置き始めた。
 女子トイレでは「佐倉さんに襲われたらどうしよう」と、嘲笑混じりのささやきが飛び交う。
 おとなしくてかわいいと人気だった佐倉は、社内で完全に孤立した。

 昼休み、閑散としたトイレで化粧を直していると、人が入ってきた。佐倉だ。
 彼女は隣の鏡で、化粧ポーチを取り出す。
 気まずい。
 でも、私はバーを教えただけ。アウティングしたのは岡田であって、私は悪くない。
 動揺をおさえようとしたが、口紅をぬる手が震えた。
「私の行きつけのバー、岡田君に教えたの、竹沢さん?」
 突然声をかけられ、ぎくりとした。私はそこがどんな店か知らない振りで答える。
「彼、佐倉さんのこと気になってるみたいだったから。その店に行けば会えるかもよって言っただけ。いけなかった?」
「ううん。感謝してる」
 意外に思って佐倉を見る。おとなしいはずの彼女は、見たことのない不敵な笑みを浮かべていた。
「目立たないようにおとなしくしてたのに。男たちが群がってくるの、ウザかったの」
 そう言いつつ、本心では怒っているのか。佐倉は挑発的なまなざしで私を見上げる。
「竹沢さんって、岡田君が好きなの?」
「そんな訳じゃ……」
 アウティングのことも、その動機も。彼女にすべてを見透かされたようで口ごもる。
 逃げ出したいのに、佐倉の瞳に射すくめられ動くことができない。
 彼女は一歩踏み出し、私の肩に手を置いた。
 唇が近づいてくる。
「あんな男のどこがいいの?」
 熱い唇とささやきが耳に触れ、心臓が早鐘を打ち始めた。私は女になんて興味はない。そのはずなのに、下腹の奥が熱くなる。自分の体の反応が信じられなかった。
「今夜、あのバーで待ってるから」
 にやりと笑って出て行く佐倉を、私は呆然と見送ることしかできなかった。

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