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写真集『Anonymous Sculptures』

昨今、じわじわと様々なものが不足しているとの情報を耳にしますね。半導体や木材、電力や燃料、食料や人材、年金まで、、、

何年も前からこうなるだろうと、我々は分かっていたはずなのに、本当に社会や世界のシステムにきしみが身近に現れてきました。

先日、電力需給ひっ迫警報が出ましたが、私たちが今、当たり前に使用できているインフラも脆いものです。

そんなインフラ施設の写真集で面白いものがあります。(急に話を逸れさせて頂きます。)



Anonymous Sculptures
写真家ベルント&ヒラ・ベッヒャー夫妻による写真集

表紙


給水塔などの実際に存在した建物の写真が収められていますが、どこかSFチックでブルータルな印象を受け、インスピレーションが湧きます。

ちなみに、私が学生時代を過ごした名古屋にも実際に訪れることができる給水塔が幾つかあります。

「名古屋市演劇練習館(旧稲葉地配水塔)」


「東山給水塔」


「鳴海配水塔」

給水という生活に欠かせすことができない役目を果たす建物ながら、あまり表には出てこないが、それを目にした時のあの不思議な畏怖の感覚。
様々な社会システムや環境システムに限界が見え、歪みが現れてきたこの時代。
建築界にはまたブルータリズムが復興するのでないかと予想しています。

ブルータリズムはイギリスの建築家アリソン&ピーター・スミッソンによって1953年に定義された用語で、直接的で生な素材の使い方を指向する建築理念と建築様式のこと。66年に刊行されたレイナー・バンハムの著書『The New Brutalism: Ethic or Aesthetics?』に倣い「ニュー・ブルータリズム」と呼ぶこともある。ル・コルビュジエが「béton brut(ベトン・ブリュット)」(フランス語で生のコンクリートを意味する)と呼んだコンクリートによる荒々しい仕上げを特徴とするが、同様の理念のもとに、レンガ、ガラス、鉄、石といった素材を使った例も含む。第二次世界大戦後、福祉国家として再建を試みるイギリスで、造形主義が復活し、モダニズム建築が本来の機能主義を離れる傾向があった。それを受け、真のモダニズムへの原点回帰を求め、打ち放しコンクリートのように素材や設備をそのまま見せ、ロマン主義や神秘主義を排除しようとした。50年代から70年代に隆盛し、代表的な例にル・コルビュジエによる《ユニテ・ダビタシオン》(マルセイユ、1952)、ルイス・カーンによる《フィリップ・エクスター・アカデミー図書館》(ニューハンプシャー州エクスター、1965-72)、後のアーキグラムのメンバーなどが設計に関わった《ヘイワード・ギャラリー》(ロンドン、1968)などがある。
https://artscape.jp/artword/index.php/ブルータリズム
なぜ私たちはこれほどまでにブルータリスト建築を愛するのか? なぜならコンクリートは、他のどんな建築表面とも違って、私たちの肌に似ているからだ。完璧でありながら、ダメージを受けている。そこに宿る美は、私たち人間が自己自身を知覚する曖昧さと精確に呼応する。私たちは、基本的に、存在する全てにデジタル的レタッチを施す時代に生きている。それは、滑らかさと傷、自然と人工、白黒とあふれる色彩が同時に存在する世界だ。コンクリートの硬く脆い固体性は、タフで不安定な私たち自身の写し鏡というわけだ。
https://www.ssense.com/ja-jp/editorial/culture-ja/a-10-building-guide-to-brutalist-architecture?lang=ja

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