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【小説】東京ヒートウォール 第4話:メリット、デメリット

(第1話はこちら)

ヒートウォールの足元にかなり近づいた。車の窓越しでも、気流の咆哮が伝わってくる。車内冷房の稼動音も苦しそうだ。

ほどなくして車が停まったのは、故障のせいではない。
「通行止めか。そりゃそうだな。これ以上近付いたら車も溶けそうだ」
無数の赤いライトが点滅している。
一真は再び車を動かし、迂回を始めた。

「一旦離れて、どっかで作戦会議でもするか。避難指示が出てるから、泊まるとこはないだろうけど」

作戦……
ヒートウォールに近付くにつれ、夕子の口数は少なくなった。

例えば寝ずに考えていれば、次にすべきことを見つけられるだろうか。……見つけられる気がしない。

「一真さん、今までありがとうございました。ここで降ろしてください」
「なんだ急に。他人行儀だな」

東京まで乗せてという依頼を、一真はもう果たした。これ以上振りまわすわけにはいかない。
よしんばヒートウォールの状況が変わったとしても、この先もきっと危険はついてまわる。

「一人でどうやって妹助ける気なんだ? 何か具体策があるのか?」
夕子は唇を噛み、目を閉じた。
「どうにも、できません……」
今さらだ。
言葉にするとなんと虚しいことか。

衝動的に家を飛びだしたあのとき、自分は一体どうするつもりだったのか。何ができると思っていたのだ。

呆れて涙も出ない。
成す術が、ない。

「近づけるとこまで歩いて、地道に妹を探します」
「歩いていく? ここから先を? 皮膚が火傷するぞ」
「でもこれ以上私といても、なんのイベントも発生しませんから……」

沈黙が続く。その間を繋いでいるのは、ラジオから繰り返し流れている、なんの進展もない災害情報だけ。

そのラジオが急に途切れた。
少しの間をおいて、新しい情報が流れ始める。

『代々木から発生した火災はいまだ鎮火せず、東京消防庁も甚大な被害を――各地からレスキュー及び――いまだ状況は――』

アナウンサーの声から、千石総理と記者たちの声に切り替わる。

『今回のヒートウォール発生について、政府は予測していたんでしょうか?』
『ヒートアイランド現象悪化による被害は、有識者からも提示されておりましたし、でき得る限りの対策も行ってきました。が、ヒートウォールという現象、あれだけの災害は我々でも予測ができず、発生は止められなかったと――』

千石総理の言葉に、夕子の口が開く。
「何言っているの? こうなる前に止められたはずよ」
一真が横目でちらりと夕子を見た。

『大勢の命がかかっているんですよ! 総理、今回の件どう責任を取るつもりですか!』

政治家が問題を起こすとすぐ耳にする「責任」という言葉が、夕子の神経を逆なでした。

「どうして今その話なの? 今何が起こってるかわかってんでしょう? 揚げ足ばっかり取って何かが進展するの? 誰かが責任取ってる間に朝美が助かるとでも思ってるのっ?」

一真は抑揚のない声で「そうだな」とだけ言った。

「何もやらずに相手を責めるだけなんて、行動して失敗する人の方がまだマシよ。失敗を経験してる人は強くなるわ。反省と誠実さがあるなら、簡単に辞めさせるべきじゃないのよ!」

「なるほどな」とだけ言った一真の声は、やはり抑揚がない。

「……ごめんなさい、つまらない話して」
「そんなことはない。それより今の話の続きが聞きたい」
「え? はい、えっと……政府が全部ダメって言ってんじゃないです。同じ人でも、その行いはいいけどこれはダメっていう状況、あるじゃないですか。白黒つけられないグレーな部分だってあるわけだし」

一真はまた、「なるほどな」とだけ言った。

『責任云々を申し上げるつもりはない。今は人命救助と被害の拡大を防ぐことを――』
『ではなぜヒートウォールを破壊しないんですか! 総理、待ってください! どうして自衛隊に要請しないんですか? ビル群を破壊すればヒートウォールも消滅するのでは――』

ぷつりとラジオの音声が途切れた。
一真の人差し指が、ラジオをオフにしていた。

「ちょっ、続きはっ? 一真さん早くラジオつけて!」
「聞かなくていい」
一真が車を停めながら淡々と答える。
「なんでですか! ヒートウォールを消滅できるかどうかって話を今……っ」
「だから!」
一真の語気が荒くなった。
「……夕子は、知らない方がいい」
初めて聞く、いらだった一真の声。

「どうしてですか? 私が知りたいって思うのは当然じゃないですか」

車の中から見えるヒートウォールは、相変わらず巨大で、威圧的。外の者は寄せつけず、中の者は逃さない。見ているだけで足がすくむ。

一真が頭を掻く。その仕草は面倒臭いという意味なのか、あるいは困っているときの癖なのか。

「さっきの話聞いてたろ? 政府はヒートウォールに手を出す気がない」
「どうしてですか!」

一真は頭を掻いていた手を止め、焦れる夕子をたっぷり待たせてから、重い口を開いた。

「ビルに囲まれて人も気流も逃げられない――というのは、一概に悪いことばかりではない。ある点についてはメリットがある」

一真は目の前のハンドルを見ていながら、どこか遠くを見つめていた。

「……わからない。ある点ってなんですか?」

一真がゆっくりと夕子を向き、右手で運転席の窓ガラスを、コツ、コツ、と叩いた。その手がパワーウインドーのスイッチを押し、窓が開く。肌にちりつく高温の外気が、一気に流れ込んできた。

――夕子は、一真が何を言わんとしているかを、理解してしまった。

「防火だ」

熱風に髪を煽られた一真が告げた答え。それは、あまりにも無慈悲な策略。

「……火災を外に広げないために、政府はわざと手を出さないってことですか?」

今この身を襲うこの感情を、夕子は今まで抱いたことがない。

「そういうことだ。ビルというのは内部はともかく、外壁は燃えにくい。密集して囲むように建っていれば、内側で起こった火災はビル群が防火壁の役目をして、外側には広がりにくい。風も通しにくいしな」

なんてこと……

「そのビル群を破壊すると風通しがよくなる。火は一斉に東京全土へ広がってしまうだろう。そうなればもはや消火は困難。政府が二の足を踏む理由は、つまりそういうことだ」

ナンテ、卑劣ナ――

「あの超高層ビル群は、ヒートウォールの核になると同時に、そこに踏み止まらせるための柵でもある。……おい、大丈夫か?」

目の前が真っ暗になった夕子に、一真の呼ぶ声が耳をかすめた。

そんな……
そんな、だったら――

「中に、閉じ込められてる人たちは……朝美は……、見殺しって……こと……」

――もう、お姉ちゃんは心配性なんだってば。千石氏も色々やってくれてるみたいだし。

今朝の朝美の姿が、夕子の脳裏に鮮明に現れた。

朝美、何もやってくれないよ……。何もやってくれないんだってよ千石総理大臣は!

「火傷したくないんだ政府は。だから中に閉じ込められた人間を、見限った」
「やめてっ!」
悲鳴に近い声。
「そんなの、そんなの非道だわ!」
震える手で顔を覆って突っ伏す。

一真はまた頭を掻いて言った。
「だから夕子は、知らない方がよかった」


ヒートウォールを遠くに見下ろせる小高い丘。東京にしてはあたりは暗く、ヒートウォールだけが、赤とオレンジ色の入り混じった光をまとって浮かび上がっている。

光が時々揺らぐ。
炎がまだ大きいのか小さいのかは、夕子には見ていてもわからなかった。

あのさ、と凪いだ海のような声音で、一真が口を開いた。

「夕子みたいに、妹がたまたまそこにいるっていうのは、不幸だけど、幸せでもあるよ。考えに迷いがない。助けるためにビルを壊せと言い張れる」

耳に流れ込んでくる一真の話を、夕子は助手席のシートにもたれて聞いた。時々揺らぐヒートウォールを見つめるその目に、生気はない。

「でももしも妹が、ヒートウォールの外側にいたらどうだ。同じように言えるか?」

ヒートウォールの外側に、朝美が……
見つめる先に思い描くと、夕子は目を伏せた。
「その時は、……ビルを壊さないでと、言うかも知れない……」

私は、ずるい人間か――

「どちらを選択しても、かつてない規模の被害が出る。気が遠くなるほどの大勢の命が、自分の肩に乗っている。そういう立場だったら、夕子はどう決断する?」

静かな声音のまま一真が問う。
夕子を責めているふうではなかった。

懸けるのは当事者の命だけではない。
その家族の思いもだ。
それでも妹一人のために、大勢の命を懸けられるか。

「……わかんない。わかんないよ、決められないよ! だってそれぞれの人に命があって、家族があって、人生があるのに。その人たちを犠牲にする決断なんてできないよ……っ」

一人一人に、同じだけの命の重さがある。目頭が熱くなって、夕子の目に映るオレンジ色のヒートウォールが揺らいだ。

「でも、ごめんなさい……。それでも私は、妹を助けたい――」

矛盾しているのはわかっている。
大勢の命と、朝美一人の命。
どちらが優先かなんて天秤になどかけられない。

答えなんか簡単に出るわけがない。
一生出ないかも知れない。

それでも私は、朝美を失いたくない。

私は誰より朝美が大事だ。
朝美がいなくなる人生なんて考えられない。
受け入れたくない。

だから私は他の誰よりも朝美を助けたい。
私は、私は……!

――私は、鬼だろうか。

「そうやって悩んで、迷って、苦しんで、夕子はやっぱり妹を助けたいと思う。でも苦しむってことは、夕子が他の人間をないがしろにしているわけじゃない」

唇を噛む。一真の言葉に心のどこかで、違う、と反論する。

違う、そんなきれいな話じゃない。
私はそんな人間じゃない。
そんな人間じゃないってことに、今、気付いた。

「千石だって同じ状況なら悩むだろう。あいつの肩には日本国民の生活が乗っているからな。私情を取るか、より多くの国民を取るか」

私情――耳が痛い。
夕子がビルを壊せというのは、自分の妹を助けたいからに他ならない。

「夕子はほんの少し、家族に重きをおいた。千石はほんの少し、国民全体の方に重きをおいた。どちらもきっと、同じくらい家族を思い、他の命を思い、苦しんでいる」

そこまで言って、一真がふと、「ああ、そうか……」と顔を上げた。夕子も顔を上げる。一真はあごに手を当てて、フロントガラスの向こうを見つめていた。

「俺も自分で言ってれば世話がないな」
「何がですか?」
「父親のことだ。あいつが家庭をかえりみなかったのは、面倒臭かったんじゃなく、多分、そういう心境だったのかも知れないな」

独り言のようにつぶやいて、一真は遠くの風景を見つめていた。それは目に映る景色ではなく、彼のいつかの風景なのだろう。

「母親は早くに家を出た。顔はよく覚えていない。俺は祖父母に育てられてでかくなった。金には困らなかった。父親が勝手に送金してくるから。多忙な身でできる唯一の父親らしいことが、もしかしてそれだったのかもな」

父親に無関心だった一真が、関心を示し始めていた。そのことに夕子はじんわりと胸があたたまるのを感じた。

それでも朝美が見つからない現状は変わらない。無力さとあたたかさが胸の中で入り乱れる。己に失望しつつも、一真がもっと父親と近付くことができたらいいのにと、つい願ってしまう。

いつかの風景に思いを馳せる一真に、夕子は目を細めた。

「跡を継げと言われてるけど、あいつと同じになりたいとは思わなかった」
「一真さんのお父さん、経営者とかですか? 多忙で、跡を継ぐことを求められるなんて」
「……そうだな。経営者といえば経営者かも知れないな」

ということは、一真さんは社長の息子。浮世離れした性格は、そういう家庭環境からきているのかも知れないわね。
夕子は密かに苦笑した。

「それ以外で今まで他人に勧められたものはなんでもやった。勉強も、ゲームも、合気道も。でも、すぐ飽きた」
「すぐ飽きるのは、すぐわかっちゃうからじゃないですか?」

本当はきっと、すごく聡明なんだと思う。
すぐ理解して、自分のものになって。
でも使い道がなくて、だから飽きてしまう。

「あなたにゲームの世界は小さすぎるのよ」
一真がかすかに目を見開いた。
「あなたにはきっと、もっと広い世界が合っている」
その能力を活かせる場が、きっとあるはず。

「――夕子はやっぱりおもしろい」
「え? 今なんて?」
「夕子、さっきヒートウォールを止められたはずだと言ってたな」

急に話が変わった。
いつかの風景はどこへ行ったのか。

「どうしてそう思う?」
「え? ……ええと」

夕子はシートにもたれ、大きく息を吐いた。
車の中からは星がよく見えない。

「外、出ませんか?」

助手席のドアを開けて外に出ると、不純物が多く混じった、鬱陶しい熱気が肌に絡みついた。
ヒートウォールの方からは、時折高温の空気が流れ込んでくる。

距離があるから、火災現場を見物している時に感じるような、「時々ちょっと熱いのが来るね」くらいの感覚で済んでいる。

前方の柵にもたれて夜空を見上げると、およそ空と呼べるような領域は、郷里のそれに比べるとひどく狭い。
そこで瞬く星もまた、弱く、小さい。

運転席からのっそりと出てきた一真に振り向く。

「子供の頃、もしも総理大臣になったら何がしたいか、友達と話しませんでした?」
「……どうだったかな」

思い出す仕草をするでもなく、一真は無愛想に答えた。

「もしも総理大臣になったら、チョコレート100枚食べたいとか、子供の頃はそんなたわいないことを言ってました。でも中学のときに、本気でやってみたいことができたんです」

眼下に広がる東京の夜景。
いつもよりは暗いのだろうが、磁力で立ち上がった砂鉄のようなビル群に空は追われ、大地はアスファルトに覆われている。
明るすぎる地上によって、星は光を奪われる。
――こんなのは、本当の姿じゃない。

「何をやってみたいんだ?」
夕子は子供のように無邪気な笑顔を向けた。
「ビルとアスファルトを、全部引っぺがしたいんです」

この光景を初めて見たのは、中学の修学旅行で東京に来たときだった。

「だってあれが暑さの原因でしょう? 私だってわかりますそんなこと」

夜景が美しいだなんて、これっぽっちも思えなかった。天地を追いやるその光景が、怖いと思った。

だからこそ、そこに潜む「畏れ」を感じずにはいられなかった。

いつか、天地が怒るのではないかと。

「暑いって騒いでるのは都市部だけ。うちなんか山に囲まれてるから、朝方は肌寒いくらい」

こんな狂った自然現象を生み出す巨大都市は、繁栄と逆行しているように思えてならない。

「百年も前から騒いでいたことよ? 吹き込む風をビルが邪魔してるとか、アスファルトが熱を溜めるとか、都市型の異常気象だって騒いでる暇があったら、さっさと原因を取り除けばよかったのよ。それか岩手に移住するとかね。涼しいし、土地も広いし!」

軽快にしゃべるだけしゃべると、夕子は顔から笑みを消した。

「ヒートウォール……あれは、人間が自ら招いたこと。自業自得なのよ」

大地と風を塞いだ大罪に、天が怒っている――
夕子は光を奪われた星々を見上げ、一真は夕子を見つめた。

「そうだな。もっと早くやっていれば、夕子の妹も行方不明にならなくて済んだ」
一真の手が、夕子の頭にぽんと乗った。
「総理大臣になって今一番やりたいことは、妹を助けに行くことだよな」

一真の言葉に、不覚にも涙がボロリとこぼれる。朝美がいない不安に、体中が支配されそうだった。

「ビルとアスファルトを引っぺがす、か。それおもしろいな。夕子、本当に総理大臣なれよ」
「なってやりたい。なってやりたいわよ! それで妹を助けられるなら……っ。千石総理は何をやってるのよ! 助けられる力を持ってるくせに、あの人は一体何をやってるのよ!」

悔しい。もどかしい。
どうしてこんなことに、朝美が巻き込まれなければならなかったのか……!

「こんな街、もっと早くに壊してしまえばよかったのよ!」

怒りに任せて、夕子は叫んでいた。
肩で息をしていると、一真の反応がないことに気付く。東京で生きている一真に、今の言い方はさすがに悪かったと反省し、夕子はおずおずと様子をうかがった。

一真は、目を見開いて夕子を見ていた。いや、夕子を通して別のものを見ているようだった。

「――そうか。あのとき言ってた意味が、今わかった」
「なんの話ですか……?」

一真が柵に手をかけ、前のめりになってヒートウォールを凝視する。夕子の言葉などまるで届いていない。新しいおもちゃを見つけた子供のような目をしていた。

「夕子、ヒートウォールが発生しているところと、その周りの景色を見て、おかしいと思わないか?」

え? と夕子は前方の景色を見た。
目の前にあるのは、変化も救いようもない景色。超高層ビル群を核としたヒートウォールと、その周りを取り囲む――

「そうよ、あのとき……」

それまで朝美のことしか考えていなかった夕子の頭に、突然、別の景色が現れた。昼間見た、ヒートウォール発生時の映像が。

一真を見上げ、きっぱりと答える。
「おかしいと思います」
一真に笑みが浮かぶ。
「どうおかしい?」

夕子は正面を見つめた。
ヒートウォールがある方角へ。

「超高層ビル群と、低い建物との境目が、はっきりしすぎてると思います」

興味深げに、ほう、と一真が漏らす。

「代々木公園の大規模火災から、気流が発生して周囲に広がったとき、大部分は超高層ビル群につかまりました。逃げ場がなくて、ビルに沿って都心に流れ込んで、ヒートウォールとなった……。でもごく一部は、都心の外側の、低い建物へも流れました。それらは建物にぶつかるうちに崩れて、消滅しました」

一真がうなずく。
きっと二人とも、同じことを考えている。

「一真さん、あのビルの配置、誰かが意図的にやったんじゃないですか?」

根拠はわからないが、妙な確信がある。
一真は夕子の頭にどっしりと手を乗せた。
「正解」
にんまりと笑みまで浮かべて。

「21世紀初期の頃は、環七のあたりはまだ木造住宅が多かったんだ。下町とかな」
「カンナナってなんですか?」
環状七号線、と一真が短く答える。

「当時も超高層ビル群はあったが、ここまで多くはなかった。その周りは木造住宅に取り囲まれていて、さらにその周りを環七が走っている。数十年後には今の超高層ビル群の配置がほぼ完成。範囲はずっと広がり、円形の城壁のようになったわけだ。それよりは遅れるが、21世紀半ばを過ぎた頃には、ほぼすべての木造住宅を鉄筋化したという」

「なんのために木造住宅をなくしたんですか?」
「火災が広がるのを防ぐため」
「ああ、なるほど」
「――というのは表向き」
ぎょっとして一真を見上げる。
「……裏があるんですか?」

「たしかに延焼予防もあったろうよ。都心で起こった火災は、……さっき話したように超高層ビル群が防火の役目を果たす。よしんば外へ火が漏れたとしても、木造住宅は燃えない素材に置き換わっているし、環七も食い止めてくれる」

江戸時代、火事が起こると人々は燃え移りそうな家を引き倒して、延焼を食い止めたという。現代では広い道路がその役目を引き受けるわけだ。ただ、車に引火する恐れもあるだろうが。

「でもこの都市を作った大昔の誰かさんには、もう一つ、別の目的もあった」
「火災を食い止める以外になんの目的が……。まさかヒートウォールを意図的に生み出すために?」
「いや、まさかあれほどの現象が生まれるとは思ってなかっただろうよ」
「じゃあ、なんのために……」
「その人はさ、夕子みたいな人だったんだよ」
「え? 私? どういう意味ですか?」

一真は夕子の目を見つめて微笑むと、東京の街を眺めた。

「壊したかったんだ」



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