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足の指を毎晩観察していたら体が柔らかくなった話

ストレッチを何日続けたら、柔軟な体になるのだろう。私の場合、たまたま足の指を毎晩観察していたら、3週間で急に柔軟性が増した。

中学・高校とバレー部で6年間、ほぼ毎日ストレッチをしていたが、そのときはそれほど劇的な変化は起こらなかった。

ではなぜ今回はたった3週間で体がしっかりと変化を起こしたのか。その答えも、今思い返せば、バレー部時代にちゃんと学んでいた。

  *

爪が食い込んだのか、足の指が痛くなったことがあった。これが気になってしょうがない。
その日から、入浴後、私は毎晩布団の上で、足の指をじっくり観察するようになった。

あぐらがほどけたような座り方をし、上半身を倒す。バレー部時代に比べて体が硬い。視力も落ちた。両手で足をつかんで、顔も限界まで近づける。

その状態で、じっくりと足の爪と指を観察。爪の角にヤスリをかけたり、硬くなった指の皮を小さなハサミで切り取ったりした。

こういったことを、毎晩繰り返す。
毎晩毎晩、足をつかんでギリギリと顔を近づけた。

そういう生活を続けて3週間。
体が急に、本当に急に、変化した。

どれだけ上半身を倒しても痛くない。
どれだけ顔を足の指に近づけても苦しくない。
明らかに今までと違うステージへ来たと感じた。

試しにマットレスのへりをつかみ、全力で上半身を倒す。――全然痛くない。どこまでもいけそう。

ほどけたあぐらポーズで上半身を倒し、顔を足の裏へ近付ける。どこまでできるか試してみたら、足の裏にベッタリと顔をつけることができた。つまり両手で顔を覆うように、両足で顔を覆うことができたということ。

怪我の功名。
私は足の観察を必死にしていただけなのだが。
柔軟性は3週間で増すようだ。

足が治ると、観察もしなくなり、月日の流れとともに体は再び硬くなった。
しかしまた足の指が痛くなるという機会がやってきたとき、入浴後の足指観察を始めると、やはり3週間で体が柔らかくなった。つっかえが取れたように、上半身をグーッと倒せる。

柔軟スイッチは、3週間で切り替わるのだなぁ。

  *

バレー部で6年間ストレッチしたときと何が違ったのか。多分、危機感が違った。この3週間は、とにかく足の指の痛さを解消したくて、毎晩限界までギリギリと顔を近づけ、観察していた。

そういえば高3のときだったか。バレー部でアタッカーをやっていた私は、毎日一度でもいいから、必ず「体力の限界」を感じるまで全力でボールを打ち込むことを自分に課していた。

1本だけ全力打つ、ということではない。
ボールが生きている間、ずーっと全力でゲームを続けるということ。
相手が力尽きるまで。ボールが落ちるまで。

私はアタッカーだったから。
みんなが繋いでくれたボールを相手のコートに叩き込むのが仕事(ふんわり落とすフェイントは下手だった)。

それまでは練習で「できる限り疲れたくない」と思っていた。だけど、みんなが必死に繋いで、私にこれ以上ないほどいいボールを上げてくれて、「これ決めたら勝てる!」という場面で、私は何度か失敗を経験した。

体力が持たなかった。
それとメンタルも弱かった。
「これ絶対に決めなきゃ!」というプレッシャーに耐えられず、アタックミスをしてしまう。

さすがにこれではいかんと一念発起。
「毎日の練習で必ず1回は限界感じるまで全力でやる!」「相手が先に力尽きるまで私は全力で打ち続ける!」と決意し、実行。
その結果、私の体力と精神力、両方が向上した。

その成果は試合で大いに発揮された。
ただし相手アタッカーが力尽きた直後、私も力尽きてしばらく動けなくはなるが。
(その間、他のメンバーが歓喜の雄叫びを上げながらコート内をグルグル回って、私の体力を戻すための時間稼ぎをしてくれた)

体力にしろ、柔軟力にしろ、次のステージへ行くにはきっと毎日「限界の天井」を押し上げ続けることが大切なのだろう。

  *

近頃は何か、「限界の天井」を突くようなことをしていただろうか。毎日必ず、これだけは頑張ろうと努力していることが。
穏やかに健やかに暮らすのも大切だが、少し穏やかが過ぎるだろうか。

しかし私はいつも極端にやりすぎて、不調をきたす傾向がある。病を得てから、極端を受け付けない体質になってしまったせいもある。

そういえばお釈迦様は「両極端から離れなさい」と中道を説いた。
なるほど「やりすぎる」と「やらない」はどちらも極端だ。

両極端から離れ、その間で自由に努力する。
それが今の私に合った、努力の仕方だろう。
3週間では変われないかもしれないが。

ほどよく、長く。
ほどよく、長く。


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