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【小説】太陽のヴェーダ 先生が私に教えてくれたこと(30)

第1話あらすじ

高坂総合病院、皮膚科診察室。
「さて、問診をしようか」
瀬名がメガネを指で押し上げた。
レンズ越しに美咲を眺める様は、間違いなく楽しんでいる。

「あの付き添いの男性は?」
「……職場の方です」
「一昨日、昼に喫茶店で一緒だった人?」
「……そうですけど」
「プライベートの付き合いは?」
「瀬名先生、それって問診ですか?」
「大事な問診だけど?」

はあ、そうですか、とあきらめる。

「……付き合ってほしいと言われました」
「いつ?」
「……さっき」

あのとき――
体が硬直して動けなかったが、沢村の唇はすんでのところで止まった。

「残念、シートベルトにヤキモチ焼かれちゃった」

運転席のシートベルトが伸びきっていた。
苦笑する沢村は、いつもの飄々とした沢村で。
金縛りが解けて顔を背けると、沢村もすぐに離れてくれた。

「ごめん、驚かせちゃったんだね。てっきり薄々気付いてると思ったんだけど」

それからの沢村は明るく、雑談しながら車を走らせた。

もしかしたら、このままなかったことにしてくれるのか――と思ったところで、それまでの雑談と同じノリで、「さっきの、本気だから」と釘を刺された。

「返事は今すぐじゃなくていいよ。あまり緊張しないで。天野さんとギクシャクしたくないし。俺もいつも通りにするから」

そう言われてここへ到着したのだった。

「ほお。で?」
「……返事はまだしてません」
「へえ。で? 君はどう思ったのかな?」

美咲は苦渋の表情を浮かべた。

「沢村さ……あの方は博識で性格も明るいですし、尊敬もしてます。でも、正直わかりません」
名前は伏せたつもりだったが、
「で、沢村クンにキスされそうになって硬直しちゃったわけだ」
しっかり瀬名にインプットされてしまった。

「それは拒絶なの? 躊躇なの?」
「わかりません。でも真剣さは伝わってきたので、断るにしても適当な理由では失礼かと……」
「あれ? お断り決定なんだ。躊躇だった場合は、脈ありの可能性もあるんじゃないの?」
「だって……」
「だって?」

美咲は無意識に指輪に触れた。

「せっかくのお話ですけど、この体では無理ですよ。沢村さんも持病のことを知っていたら、あんな話、しないと思います。でも持病のことを打ち明けていいものか……。今後の仕事に障るかも知れないし」

ふうん、と瀬名が相槌を打つ。
そのメガネ越しの視線は美咲の表皮から入り込み、体の奥にある秘めた部分をのぞき見しているようだ。

雪洋が前に瀬名のことを苦手だと言っていたのは、こういうところなのかも知れない。

「持病を理由に断るのは、やめた方がいいんじゃないかな」
「どうしてですか?」
「相手の出方が両極端になるんじゃない? 『じゃあなかったことに』と立ち去るか、逆に全部面倒見る気になって『結婚しよう』と言い出すかも知れない」
「まさかそんな」

軽く笑いながら指輪をさすり、ひんやりした感触を確かめる。その仕草を知ってか知らずか、瀬名がメガネを押し上げ、口を開いた。

「あ、そうそう。雪洋ね」
ぴくっと美咲の顔が上がる。
「なんか寂しそうにしてたよー、わかりづらいけど。たまには連絡してるの?」
「いえ、してないです。まだ会える状態じゃないですから」
「――今回の紫斑だけど、一時的なものだと思うからステロイドは出さないよ。君も下手に服用したくないだろう?」
「はい、それはもう……」

せっかく長い期間をかけてゼロにしたのだ。
いや、ゼロで過ごせる体にしたのだ。

「傷こじらせてるところは塗り薬出すから、それで様子見て。わかってるだろうけど、安静にね。回復しないときは一時的にステロイド出すから外来受診すること。それと――」

瀬名がちらりとドアを見た。
ドア越しに待合室の沢村の気配を確認している。

「なんなら処置室のベッドで寝てく? 勤務後でよければ車で送るから。彼には先に帰ってもらってさ」
「いいんですか?」
「君に悪い虫がついたら雪洋に刺される」
「……そんなことはないですよ」

苦笑しつつ、ありがたく瀬名の案に乗る。
さっきの今で、沢村と二人きりで帰るのはさすがに緊張する。

事情を説明して沢村に帰ってもらったあと、ベッドの中で美咲はそっと左手を持ち上げた。

こんな調子じゃ、まだ先生には会えませんよね。

中指の螺旋の指輪は、鈍く光を反射していた。



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