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【小説】東京ヒートウォール 第1話:発生

■あらすじ
21××年――
増え続けた超高層ビル群は、城壁の如く都心を包囲。都市部の気温は、気象庁の予想をはるかに上回る早さで、上昇を続けた。

夕子の妹、朝美が 岩手から東京へ出かけたその日、代々木で火災が発生。大規模化したそれは、超高層ビル群を核とし、天を衝くほどの灼熱の気流となった。「ヒートウォール」の発生である。

連絡が取れなくなった朝美を探しに夕子は東京をめざし、ゲームオタクの青年、一真かずまと出会う。




「えっ? 東京? 今から? 何しに?」
妹の朝美から突然「ちょっと東京に行ってくる」と告げられた夕子は、テレビのリモコンを手から落とした。

「言わなかったっけ? ちょっと行きたいところがあるんだよね。お姉ちゃんも行く?」
朝美が扇風機のそばで、手荷物の確認をしながら答える。

「行きません。だってすごく暑いんでしょう? 死亡者も出てるんだよ?」
リモコンを落としたはずみで、茶の間のテレビでは総理大臣がしゃべっていた。
『――過去最高の気温になるという報告があり、政府では以前から街路樹を増やしたり――』

21××年8月――
気象庁の予想をはるかに上回る速さで、都市部の気温は上昇を続けた。

増え続けた超高層ビルは、城壁の如く都心を囲む。ガラス張りのビル壁面は日差しを反射。太陽を何倍にも増やした。
さらに超高層ビル群は海から吹く風を妨害。充満した熱はアスファルトやビル壁面に蓄積され、夜になっても気温が下がらない状態が百年以上も続いている。

夕子と朝美がいるのは東京から北へ遠く離れた岩手県。しかも四方を山々に囲まれ、道路と民家以外は深い緑が生い茂っている土地。夏は暑いが、都市部の悩みとは無縁である。

「本当に行くの?」
朝美のそばに腰を下ろすと、扇風機の風にあおられ、肩で切りそろえた夕子の髪が暴れた。

「大丈夫だよ、人が住んでるんだし。無理ならとっくに東京から脱出してるって」
「それはそうだけど……」
「それに建物の中は冷房ガンガン効いてるし」
「それはそれで体に悪そうなんだけど……」
朝美が扇風機の首を自分に向ける。自慢の長いストレートヘアがうねった。

「もう、お姉ちゃんは心配性なんだってば。大丈夫だよ。千石氏も色々やってくれてるみたいだし」
扇風機の風で声を震わせながら、朝美がテレビを指差す。時の総理大臣、千石一明である。

『なお、千石総理は視察のため昨日からカナダへ――』
千石総理の映像にアナウンサーの声が被さる。
「ほら朝美、千石総理も東京抜け出して避暑に行くみたいよ」
「千石氏、もう少し愛想よくすれば人気出そうなのにね。顔やスタイルは悪くないんだから」
夕子の言葉などまるで無視である。

「そうだお姉ちゃん! 『ハシトベ』録画しといてね!」
「……何? 『ハシトべ』って」
「『走れ! 戸部山ヒロキ』っていうバスケアニメ」
「アニメ? アニメねぇ……。朝美、そういうの好きなんだ」
朝美は夕子の二歳下だから、今年十九になるのに。などと考えていたら、朝美がバッグを掻きまわしていた手を止め、夕子を見つめていた。
「好きっていうか、たまたま見ちゃったから、続きが気になるっていう、そんな感じ?」
ふうん、と夕子は曖昧にうなずく。

「ところで東京のどこに行くの?」
「え? まあ、あちこち?」
「あちこちってどこよ」
「ファッションビルとか、有名なスイーツのお店とかあちこちよ。東京駅を中心に動く感じかな? 日帰りだし、あまり遠くまでは行けないしねー」
「服やお菓子なら岩手でも買えるじゃない」

夕子と朝美の趣味は正反対だ。
夕子は、服なら自分の体に馴染むものを、食べ物なら自分の味覚に合ったものを好むが、朝美はどちらも流行っているものを試したがる。

「もー、お姉ちゃんもたまには都会の風を感じないと、感性が鈍っちゃうよ?」
「都会の風ねえ。感じられるくらい吹いてくれれば、少しは涼しくなるのにねえ……」
「あ、お姉ちゃん知ってた? ひいひいおじいちゃんは東京の人なんだってよ。仕事でたまたまこっちに来て、ひいひいおばあちゃんに一目ぼれしちゃったんだって。ロマンスだねー。でもそのまま東京にいてくれれば、あたしがわざわざ行かなくても済んだのにねー」
「だからわざわざ行かなきゃいいじゃない」
「じゃ、あたし行ってくるから。おみやげ買ってくるね」
「えっ、もう? 行ってらっしゃい。気をつけてね」

ご機嫌で玄関を出る朝美を慌しく見送る。
茶の間からは相変わらず、千石総理大臣の愛想のない声が聞こえていた。

  *

同時刻、東京代々木――
飲食店ビルの地下、冷蔵室内の設備から白煙が昇った。

ほどなく火花が散り、火災発生。
火災報知器は作動せず、炎は人知れず室内に広がった。

しばらくすると炎は勢いを失った。
これは鎮火したのではなく、酸欠状態になったのである。

室内には可燃性のガスが充満していく。
よってこのような状態のところへ、出勤してきた従業員などがたまたま現れ、
「今日も朝からあっついなー。こういう時は冷蔵庫が天国なんだよなーっと」
不用意にドアを開けて酸素が流れ込むと――
「ん? なんか焦げくさ……」
可燃性ガスと結びついて「バックドラフト」と呼ばれる爆発現象が起こり、あたりは一瞬で火の海と化すのである。

  *

「朝美、もうとっくに着いたよね」
テレビ画面に表示された時刻は正午を過ぎている。

昼食は夕子ひとり。
自家製野菜てんこ盛りの冷やし中華を茶の間ですすっていると、それまで昼の番組でにぎやかだった画面が突然切り替わった。

スーツ姿の女性が堅い表情で口を開く。
『番組の途中ですが、臨時ニュースをお伝えします』
夕子は真っ赤に色づいたトマトにかぶりつきながら注目した。代々木にあるビルで火災が発生し、二十代の男性従業員が巻き込まれたという。

『火災は大規模化し、代々木公園へ到達。現在、敷地の半分以上を火が覆っている状況です。大変危険ですので、近隣住民の方はすみやかに避難してください』

上空のカメラに切り替わる。
トマトがぼたりと箸から滑り落ちた。
「何これ……」
外国の戦争映像ではと疑うほど、代々木公園は火の海になっていた。

夕子は東京を詳しく知らないが、上空から見ると、建物のあからさまな棲み分けが目についた。

代々木公園は都心の超高層ビル群に取り囲まれてはいたが、群れの一番外側に位置しているらしく、西側にはあまり高くはないビルや鉄筋住宅などが並んでいた。

画面がスタジオへ戻る。
専門家と紹介された中年男性が解説を始めた。

『連日この気温ですから、発火元であるビルの冷蔵設備に過剰な負荷がかかったと思われます。機密性の高い地下での火災ですから、恐らくバックドラフトが起こったと――』

「朝美、大丈夫だよね……」
画面の中では女性アナウンサーと専門家の質疑応答が続く。

『しかしここまで火災が大きくなるものでしょうか?』
『今回の場合はガス爆発も併発しています。飲食店というのが災いしたのでしょう。都市型の気候というのは乾燥してますし、ヒートアイランド現象の対策で増えた街路樹が、皮肉にも火の手の繋ぎになったと思われます』
『それに最近問題になっている、現場の消防士があまりの暑さに熱中症になってしまうということも、延焼の要因に考えられますね』

そんなに暑いところへ朝美が行っているとは……
画面が中継に切り替わり、男性リポーターが映し出された。

『はい! こちらは代々木公園から少し離れた場所ではあるんですが、すでに周りの建物にも火が次々と移っていて、凄まじい熱さです! これ以上はとても近付くことができません! 住民の皆さんは、火災を見に来るようなことは決してしないでください! 大変危険です!』

「……ただでさえ暑いのに火事場に行かされて。この人も大変ね」

画面に見入っていると、男性リポーターの背後で、何かがゆらりとうごめいた気がした。夕子が目を凝らす。――まただ。景色がうねっているように見える。

「何、カメラの不調? それとも……陽炎?」

色のない龍がうごめいているみたい、と思った直後、画面が突然激しくぶれた。同時に耳を覆いたくなるほどの悲鳴が上がる。命の危険を思わせるそれが幾重にも響き、画面は真っ暗になった。

『どうしましたっ?』
スタジオに切り替わって女性アナウンサーが何度も呼びかけるが、返事はない。映像の乱れを詫びながら何度か現場に呼びかけてみるが、やはり応答はない。
動揺を隠せないまま、スタジオでは仕方なく火災の経緯など同じ話を繰り返すことに徹している。

画面がぶれる直前、夕子の目にかろうじて見えたのは――大きな空気のうねりが、突風のように猛スピードで駆け抜けていったということ。

あれはなんだったのかと考えていると、テレビの中の女性アナウンサーの声に活気が戻った。
『ただ今上空からの映像が入りました!』
――ただ、周りのスタッフたちの慌ただしい気配には、何か異様さを感じた。

『さきほどの混乱時に上空を飛んでいたヘリコプターが、一部始終をカメラに収めていました。ご覧ください』
映像が録画映像に切り替わる。
『こちらは代々木上空です。ご覧ください、火災は代々木公園の半分以上を――』

ヘリコプターの音にまじって、男性リポーターが話す。火災現場より少し離れた、上空からの映像。巨大な炎が代々木公園を覆いつくそうとしている。

問題はこのあとだ。
このあと、さっきの陽炎と悲鳴の謎が映されるはず。

火の手がさらに四方八方へ伸びる。
そして――
巨大な炎の周りに、大きな空気のうねりが生まれた。

「きた!」
瞬きを忘れてテレビに食らいつく。
空気のうねり方が徐々に速くなる。まるで何か巨大な生き物――色のない龍が、眠りから覚めていくかのように。

「このあとよ。このあと何が――」
突然、強風があたりを襲った。
爆風かと思うくらいの、猛烈な風が。
「龍が……暴れている……」
眠っていた龍が、完全に目覚める。
龍に触れたベンチや車は吹き飛び、火を噴いた。街路樹もなぎ倒されながら、火をまとう。

その場で暴れていた龍が、爆発の如く放射状に広がった。

だがその大部分は、代々木公園に迫った超高層ビル群の壁面に当たって回収され、大きく二手にまとまる。

双頭となった龍の勢いは弱まることなく、ボブスレーのような凄まじい速さで次々とビル壁面を滑走。鏡のようなビルの壁面は次々と歪み、あたりの可燃物は発火した。

さっきリポーターの背後が揺らいで見えたのは、この熱の塊による陽炎に違いない。

いや陽炎なんて生やさしいものではない。触れたものを燃やすか溶かすかするほどの、灼熱の気流だ。

上空のカメラからはさっきの悲鳴は聞こえない。でも夕子の脳裏にははっきりと、あの死の恐怖を感じている悲鳴が再生されていた。

ヘリコプターが上昇して、双頭の龍の動きをカメラで追う。

一方は新宿を襲い、池袋方面へ弧を描くように北上。もう一方は六本木、銀座を駆け抜け、やはり弧を描くように北上した。

二匹の龍は、円を描いて激しくぶつかった。

交差してさらに進む流れがあれば、衝撃で四方へ暴れる流れもある。

龍たちは炎と熱で、都心を完全に包囲した。

隙間なく立つビル群に囲まれ、逃れたいのに逃れられず、もがいている――夕子にはそんなふうにも見えた。

放射状に龍が広がったとき、代々木公園の西――つまり超高層ビル群から離れるように駆けた龍もあった。
そちらの龍は、さほど高くないビルや鉄筋住宅に激突。逃げ場のない超高層ビル群とは違い、激突するたびにその身は崩れ、勢いをなくし、やがて建物上空で散った。

都心を包囲した龍たちは、ひとしきり暴れたのち、一本の巨大なリング状にまとまった。そして――

夕子は目を疑った。

巨大なリングと化した龍――灼熱の気流が、激しい衝撃とともに、一気に天へ放たれた。

「何、あれ……」

数秒遅れてヘリコプターからの映像が乱れた。衝撃波に巻き込まれたのかも知れない。再び悲鳴が聞こえる。夕子の手が、思わず耳に触れる。

何、なんなの?
何が起こっているの?
今のは何?
あんなの見たことない。
竜巻なんてレベルじゃない。
火災旋風に似てるけど、あんな巨大なの、見たことない。

「異常すぎる……」

テレビの中のこと、と割り切ることなどできなかった。映画なんかではない。これが実際に、日本で起こっている。

東京で、起こっていることなのだ。

さっきの代々木公園のリポーターたちの悲鳴は途切れたが、今回の悲鳴は途切れることはなく、やがて映像の乱れが落ち着くとともに悲鳴も落ち着き、荒い息づかいへと変わった。大丈夫か、と互いに気づかう声も聞こえる。

「よかった生きてる……」

夕子が安堵の吐息を漏らすと、リポーターが『あれをご覧ください!』と実況を再開した。

ヘリコプターが離れたところへ移動したらしく、リポーターの指し示す先に気流の全貌が映し出された。

天と地を繋ぐ巨大な柱が、そこにはあった。

よくよく目を凝らして見ると、濃密な気流が、激しく昇っている。

さっきの龍が巨大なリングになり、天へ放たれ、しかしその灼熱の気流は途切れることなく、今は巨大な柱を作っている。

都心の超高層ビル群が、すっぽり柱の中に取り込まれていた。

「嘘でしょう……?」
非現実的な光景に、夕子はチャンネルを変えた。

これが本当に現実のことならば、全局で取り上げているはずだ。もしかしたら何かの間違いかも知れない。他の局では案外いつも通り料理番組でもやっているかも知れない。

だが、夕子の望みは完全に断たれた。
他の局は料理番組どころか、放送すらされていなかった。

取り上げていない、という意味ではない。
「放送」自体が、されていないのだ。

「どうして? なんでテレビやってないの?」
何度チャンネルを変えても同じ。
唯一放送している局は、今まで見ていたところだった。

あ、そっか、と夕子はようやく答えに至る。都心があんな状態だ。都心に本社を置くテレビ局も、当然あの中なのだ。

放送を続けているこの唯一の局は、お台場に社屋がある。そのテレビ局には修学旅行で行ったことがあった。空港が近いからか周りに高すぎるビルはなく、海からの風が強く吹き付けていたのを覚えている。

にわかに、現実味が湧いた。
夕子は都心を飲み込む巨大な柱を食い入るように見つめる。そう、これは、間違いなく現実で起こっているのだ。

「あんな……」
夕子の声が震える。
「あんな恐ろしいものが、あんな……っ」
東京に詳しくない夕子でも、今はっきりとわかることがひとつあった。

あの中心には、東京駅がある――

両手で顔を覆う。
朝美はどこへ行くと言った?
東京駅を中心に動くと言ってなかったか?

あの灼熱の気流は、すっぽり東京駅周辺を囲んでいるのではないのか?

「朝美……っ!」

21××年8月――
大規模火災が発端となり、東京は突如、天を衝くほどの灼熱の上昇気流に襲われた。

「ヒートウォール」の発生である。


■第2話:東京へ
https://note.com/taurus_wakei/n/n8e3c653a1103

■第3話:ケンカ
https://note.com/taurus_wakei/n/ndce13399fb1d

■第4話:メリット、デメリット
https://note.com/taurus_wakei/n/n0d96f79905e0

■第5話:主役、脇役
https://note.com/taurus_wakei/n/n356a77fb3c70

■第6話(最終話):首都陥落
https://note.com/taurus_wakei/n/nce12e06d28a0



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