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「せっかくだから」は魔法の言葉

困った状況のまっただ中。
どうしたものかと途方に暮れているとき。
心の中で唱える言葉がある。

「せっかくだから」

途端に、硬直していたはずの私の思考は、ポジティブな方向へと進みだす。

小説を書いているから出た言葉なのかもしれない。経験はすべて、小説の肥やしになる。
たとえ嫌なことであっても、「せっかく滅多にない状況なのだから」と思った途端に気持ちは取材モードへ。

  *

いつだったか、お手洗いを借りたくて、とあるコンビニへ行ったときもそうだった。

入店した途端に聞こえる怒鳴り声。
ピリつく空気。

1人のおじさんが、カウンターにいる店員さん2人に、思いっきり怒鳴り散らしていた。何を言っているのかは聞き取れない。

うわー嫌なところに来ちゃったな、と思いつつ店内の様子を探る。店員さんは身動きせず、ただただ怒鳴り声を浴びている。嵐が過ぎるのをじっと待っているのか。
他には雑誌コーナーで立ち読みしている若い男性が1人。以上。

触らぬ神に祟りなし。こういう場合、すぐさま店から立ち去るのが恐らく正解だろう。凶器でも持っていたらシャレにならない。

しかし小説の神様が私へささやく。
「せっかくだから」と。

恐怖心というのは、好奇心が大きくなると消えてしまうらしい(それもどうかと思うが)。

私は店を出ることをやめ、とりあえずお手洗いへと向かった。お手洗いから戻ってきても、おじさんはまだ怒鳴り散らしていた。一体何がそんなに不満なのか。できることならもうちょっと聞き取りやすい言葉を発してほしい。

立ち読み青年に「何があったんですか」と質問したい衝動に駆られるが、それがおじさんに聞こえても面倒なので、ぐっと堪える。

試しに商品を持ってカウンターへ近づく。この行動は我ながら恐怖心がバグッていると思う。
私に近い方の店員さんがスッと来て、レジを打ってくれた。おじさんはその間も、もう1人の店員さんへ怒鳴り続ける。

凶器が見えたときはすぐ通報しようとか、こっちへ襲いかかってきたときにはバッグで防御しようなんてことまで考えていたが、結局このあとも事態は特に変わらない。

会計が済むと、レジを打ってくれた店員さんは元の位置に戻り、再び怒鳴り声を浴びていた。

用事は済んだ。さすがにもう店を出る。
立ち読み青年は、まだ立ち読みしていた。
君も大概だな。

子供の頃は、たとえ自分に向けられたものでなくとも、怒鳴り声には硬直していたのだが。
「せっかくだから」という魔法の言葉は、私を恐怖心から解放させてくれる。

  *

「せっかくだから」は、恐怖心に限らず、私の人生で何度も発動された。

例えば初対面の人と2人きりになり、沈黙してしまったとき。
せっかくだから……せっかくだから……
そうだ! せっかくこの人との時間があるのだから、この人にしか聞けないことを聞いてみよう!
おかげでそのあと、話が弾んだ。

また、難病におかされ全身激痛でまともに暮らせなかったときも。せっかく病気になったんだから、と小説を書いた。
このとき書いた小説は、エブリスタで公開している私の作品の中ではもっとも好評である。

元夫からひどい言葉を吐かれたときですら――

せっかく こんな
   修羅場に 遭って いるのだから
 私が どう 感じるのか
          観察して おこう

――心が砕け散りながらも、魔法の言葉のおかげで、頭の一部分は理性を保てたと思う。

そして、今回の「せんまやひなまつり」。
私は受付担当として従事したが、正直これまでの私は、その場でテキパキ対応する受付業務というのは苦手意識が強かった。

しかしせっかく約20日間もやるのだから。
受付業務を身につけよう。

それと地元の大先輩であるお姉様方が、毎日交代で私と組む。せっかくだからお姉様方の昔話も聞いてみよう。きっと学ぶことは多いだろうし、小説の取材にもなる。

そうやって私は、ヘロヘロになりながらも「せんまやひなまつり」をなんとか無事に完走。

苦手意識があった受付業務も、今では自信となった。何せ一番大変だったときには、1時間半で団体約100人と個人客100人の、計200人ほどの対応をしたのだから。
領収書も用意したし、数種類の入場券も使いこなした。もはや30名程度の団体さんなら余裕である。

そして――
最終日にはなんと会長さんからお褒めの言葉をいただいた。

びっくりしすぎて一字一句記憶することはできなかったが、たしか、とても助かりました……とか、皆さんにも評判で……とか、また来年もやってほしい……といった感じのお言葉だったと思う。恐悦至極でガクブルである。

皆さんにも評判で、ということは、皆さんがそう言ってくれていたということか。ありがたやガクブル……

魔法の言葉「せっかくだから」。
この言葉、この考え方は、私に想像以上の効果をもたらしてくれたようだ。


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