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【小説】東京ヒートウォール 第6話(終):首都陥落

(第1話はこちら)

葛西の臨海公園へ到着。
夜で視界が悪い中、急いで朝美の姿を探す。
あれから朝美の着信はない。
いよいよバッテリーが空っぽになったのだろうか。

――ふと、誰かに呼ばれたような気がした。夕子は咄嗟にあたりを見まわした。

「お姉ちゃーーーーんっ!」

目を見開く。
泣きながらこちらへ駆けてくるその姿、子供の頃とちっとも変わらない。

言葉が上手く出ない。
ずっとこの時を待っていたのに。
自慢のストレートヘアを振り乱し、両手を大きく振って駆けてくる。私のたった一人の、大事な妹――

「朝美……っ!」

朝美に駆け寄り、お互いに転びそうになりながらガッチリと抱き合った。

「うぁーん、お姉ちゃーん! もう会えないかと思ったー! なんで東京にいるのーっ?」
「朝美っ、ケガは? 火傷は? 本当に生きてるのね? 本当に、生きてた……!」

互いに子供のように声を上げて泣きじゃくった。「最悪の状況」を、心の片隅へ必死に追いやる努力から解放される。

朝美がいる。
今ここに、朝美がいる……!

「朝美、今までどこにいたの? どうしてここにいるの? 東京駅を中心に動くって……」
「あのね、あたし、ヒートウォールの外にいたの。もう少し内陸にいたら危なかったよ。んですぐ近くにナントカって防災の施設があって、そこのヘリとか船で、みんなここまで運んでもらったの。超ラッキー」

夕子は血の気が引く感覚と、腰が抜けるような感覚に襲われた。

「外か。それは……微妙に危なかったな。避難できて本当によかった」
一真が夕子の気持ちを代弁する。

「ところでその人どちら様? お姉ちゃんの彼氏?」
答える気力もなくへたり込む。
代わりに一真が淡々とこれまでの経緯を説明してくれた。

「……朝美、船ってことは、海の近くにいたの? なんで?」

朝美が答える前に口を開いたのは一真だった。

「有明の同人誌即売会に参加してたんだろ?」
「当ったりー! なんでわかったのー?」
「そのストラップ、『ハシトベ』の小早川」

朝美のバッグにぶら下がっている、二頭身のバスケ少年のストラップを指差している。朝美は目を輝かせ、夕子だけが状況を飲み込めないでいた。

「たしかに、会場の近くには防災拠点施設がある。あの辺は建物が低いし、海からの風もある。ヒートウォールも手前で止まるはずだ。いい場所にいたな」
「ていうか一真さん『ハシトベ』知ってんだ?」
「アニメ見てる。予想に反しておもしろい」
だよねーっ、と朝美がはしゃぐ。
夕子はめまいを覚えて眉間に手を当てた。

「朝美、なんで嘘ついたの? なんでそこにいたの? 連絡ないから心配したのよ?」
「なんで即売会にいたかなんて愚問だろ。売るか買うか……」
「一真さんはちょっと黙っててください」

怖い怖い、と言わんばかりに一真と朝美が目を見合わせる。

「ケータイは前の日充電するの忘れてて、節電しようと電源切ってたら、そのまま忘れてた」

はぁっ? という夕子の声が夜の海辺に響く。

「嘘ついたのは、あたしが『ハシトベ』の話したとき、お姉ちゃんにがーい顔してたから。『アニメオタクなのかしらうちの妹』って絶対思ってた。だから即売会に行くって言えなかったの」
「夕子は俺がゲームの話した時も、眉間にシワが寄ってた」
「一真さん、朝美の方が気が合うんじゃないですか?」
「そうかもな」

あっさり一真に返されて、夕子は自分でも意外なほど、ムッとした。


間もなく定刻。
ビル破壊のため、真夜中の空を自衛隊の戦闘機が飛んでくるはずだ。

三人で近くの展望台へ上る。
遠くに、天を支えるように立つヒートウォールが見えた。

「本当にこれでよかったのかな……」

一真の父、千石総理はきっと、これ以上の重圧といつも闘っている。

「千石が決定したことだ。もう悩むな。それに破壊を願ったのは夕子だけじゃないんだから」
「はい……」
「どれが最善かなんて、立場が変われば途端にわからなくなる」

一真は目をそらすことなく、まっすぐヒートウォールを見つめていた。

「――はい」
一真に倣って顔を上げる。
これから起こることは、夕子を含めた内側の意見を優先してのこと。

「夕子が鬼になったから、内側の人間と、その家族には希望ができた」

せっかく顔を上げたのに、慰められると涙が増えて、また下を向きたくなる。

「妹も見とけよ。姉ちゃん、お前のために国を動かしたんだからな」

え、何それー、と朝美のいつもの元気な声。
これから起こることへの不安。
支えてくれる一真――
大きすぎる感情がいくつもあって、もうまっすぐ立っていられない。

「始まるぞ」
「はい」

戦闘機のエンジン音がぐんぐん近付いてきた。
三人で空の一点を見つめる。
腹に響く爆音に足がすくむ。

しっかり見届けるという意志が一瞬ひるんで、思わず一真の手首に触れる。

甘ったれるなと叱られるかと思ったが、一真が夕子の手を握って応えてくれた。

夕子はしがみつくように一真の手を握り、空を見上げた。

戦闘機が高速で頭上を駆け抜ける。
あっという間にヒートウォール北側へ近付くと、外壁部分のビル群を次々と撃っていった。

これによって、北四分の一区画の超高層ビル群が陥落。取り巻いていた巨大な上昇気流と火炎の陰に、明らかな歪みが生じた。

全国各地から集結していた自衛隊、レスキュー、消防が動く。外壁に放水して延焼を食い止め、温度を下げながら進む。

戦闘機が、今度は東側の超高層ビル群に砲撃する。気流の歪みは明らかに大きくなった。航空機が何機か飛んできて、消火剤を空中散布する。

作戦は順調に遂行されていった。

「こんな形でビルとアスファルトを引っぺがす望みが叶うなんて。……思ったより喜べない」
「夕子の考えは悪くない。こんなになるまで放置したのが悪い。それに今回の破壊は、根本的な解決にはならない。あくまで応急処置だ」

一真が見つめる先では、核を半分以上失ったヒートウォールが、大きく揺らぎ始めていた。

「反省がなければまた第二、第三のヒートウォールを発生させてしまうだろう」

人類の歴史は、そんなことの繰り返しばっかりだ。

「だから俺がやるよ」
「何をですか?」
「夕子の代わりにビルとアスファルトをすっかり引っぺがして、同じ過ちを繰り返さない都市とシステムを、俺が敷く。いい思い出はあまりないけど、一応俺の故郷だからな、東京は」

千石総理大臣と話していたことを思い出し、夕子は一真を見上げた。

「――夕子の言う通り、俺は何かを変えたかったんだと思うよ」

一真はいつの間にか海を見ていた。
実に清々しい顔をして。

もうすぐ、夜が明ける。

「イベント発生ですね」
「イベント発生だな」
朝美がケラケラと笑う。
「お姉ちゃんがそんなこと言うなんて。人って変わるのね」

そう、人は変われるのだ。
ちらりと一真を見上げる。
ふと、ずっとつないだままの手を一真が軽く引いた。

「さっきの話だけどな。妹とはたしかに気が合うけど、俺は夕子じゃないとダメだぞ」
「え……、え? 何がですか?」
「俺は夕子じゃないとダメだと言ったんだ。わからんのか」

淡々と何かとてつもないことを言われている気がする。「なになに?」と朝美が首を突っ込む。

「何より夕子は俺を叱ってくれる。理解もしてくれるし、『母性』もやってくれる」
「ちょっ! 一旦黙って一真さん!」
「なになに、一真さんなんの話? それ」
「大体俺みたいな面倒臭い男、夕子以外の誰が相手できんだよ」

一真がうっすらと笑みを浮かべた。千石総理を丸め込んでいたときと同じ顔をしている。……今度は私が丸め込まれているのか。

まだ会って丸一日も経っていないのに、一真の仕草や表情はありありと思い浮かべることができた。

不器用で、無愛想で、でも素直で。
とっても頼りないのに、頼りになる。

「……本当に、損する言い方なんだから」
口説いてんだか脅してんだか――

「全国民にそう思われても、夕子がわかってるならそれでいい」
「国政に関わろうって人がそれじゃ困ります」
「ほらな、その調子。俺の見込んだとおりだ」
「他の人も同じこと言うと思いますよ」
「俺は夕子の言うことしか聞かないぞ。――だから、大人しく千石の言いなりになる気もない」

父に従うと言ったくせに。従うと見せて、いいように転がすつもりなのか。

まったく困った人だ。
でも、私も困ったもんだ、と夕子は自嘲した。今の一真を、応援したくてしょうがないと思うから。

「ところでお姉ちゃん、『ハシトベ』録画しといてくれた?」
「あっ! ごめん!」
「ていうかこんなときに放送するわけないだろ」

白み始めてきた海辺に、朝美の盛大な「えーっ」という声が上がった。

  *

21××年8月、東京――
朝日が昇ると同時に、ヒートウォールを形成していた超高層ビル群はすべて陥落。
破壊、消火、救助の連携で成果を上げるも、首都東京で発生したヒートウォールによって失われた命は、甚大な数にのぼった。

政府はその後、ヒートウォールの再発防止と、新たな防災都市計画のため、焦土を政府買い上げとした。

その防災都市計画の中心では、時の総理大臣千石一明の長男、千石一真が、博覧強記の手腕を大いに奮ったという。

城壁を失った大地には、長い間阻まれていた海風が、涼やかに流れ込んでいた。


  ――了――



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