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あの人と私の距離を想う


今年も陽射しが強くなり出した。
普段は青葉だけもっさりまとっているアジサイが、今が時とばかりに咲き誇っている。

初夏がくると思いだされる人がいる。
かつて同じ職場にいたNさんという女性だ。私より5歳ほど年上だった。

Nさんとの思い出はそんなに濃厚ではない。というのも、立場的に私は37歳のアルバイト、かたやNさんは雇い先の常勤職員という立場で、いうなれば上司だった。
挨拶はもちろん、他愛のない会話はすれど、それ以上の関係ではなかった。

Nさんは人望厚く、仕事っぷりからも感じられるほどに頭脳明晰でありながら非常にユーモアのセンスがあり、時としてピリッとなりがちな職場を和ませる天才でもあった。

アルバイトメンバーにも態度は分け隔てなく、私が宝塚が好きなことを聞きつけたNさんは「演劇とレビュー(歌と踊りが主体のショー)っていう構成がいいよねぇ。細川たかしの公演も、前半は時代劇、後半は歌なのよ~」と声をかけてきてくれたりした。
今思い出しても、笑える。

Nさんは4月のある日、職場で倒れた。

Nさんが倒れたその日、私はシフトが入っておらず、家でだらりと過ごしていた時に出勤していたアルバイト仲間からのラインでそのことを知った。

あの明るいNさんが、職場のソファに横たわったまま、胸をおさえて動かない。「あー、苦しかった~」と言ってケロリと起き上がってくれと願ったけれど、それは叶わず、彼女は搬送されていったという。

その後シフトの入っていた日に出勤したが、当然皆Nさんの身を案じていた。状況を見ていない私は、どこか楽観視していた。だって一昨日まで元気だったのだ。そんな兆候などなかった。一時的なものなのではないか。
Nさんのことを四六時中見ていたわけでもないくせに、そう信じたくてたまらなかった。

その後、なんとかNさんは持ち直し、容体は好転していると知らせがあった。ご家族がわざわざ職場にいらしてくださり、「今は安定している」と
報告してくださったのだった。安堵の色が職場に広がった。
私は嬉しくて、その日シフトに入っていないアルバイト仲間にすぐさまラインをした。大丈夫。Nさん、もう大丈夫だって!

それから半月後、Nさんは病院で亡くなった。42歳だった。

Nさんの同僚の方から訃報を受け取ったとき、私はベトナムのダナンにいた。ゴールデンウィーク中で、家族と旅行に来ていた。
携帯にメールが来ていると気づき、生臭い魚市場でごった返す観光客の波間を縫って、えらく濁った大きな川沿いの、柳の木の下にたどり着いてからメールを読んだ。

「Nさんが亡くなりました。」

風にあおられた柳の葉が数枚ヒラヒラと茶色い水の川に落ちては、あっという間に沈んでいった。魚市場の魚はこの川から採られたものなのだろうか。まさかな。そんなことが頭をぐるぐる回って、内容が頭に入るまでに時間がかかった。

お通夜・お葬式はゴールデンウィーク明けに行われると知らされ、出られる人だけでと言われた。
職場の方々は通夜に参列すると言っていた。

私は帰国していたが、どうしていいかわからなかった。
薄情と思われるかもしれないが、前述したように濃厚な思い出が彼女との間にあるわけではない。業務的にも仕事で助けあうといった場面もなかった。そんな私のようないちアルバイトが参列していいものか。
心の持ち方がいまいちわからなかったのだ。

Nさんと最後に交わした言葉はなんだったのか、思い返してみた。
彼女が倒れる前日。Nさんは料理研究家の土井善晴さんが好きだと言って、
「今、土井先生が提唱している一汁一菜生活をしているの。楽よ~」とランチタイムに教えてくれた。
料理が苦手な私はそれを聞いて、初耳の「土井善晴先生」とやらをその場でスマホで調べ、「これなら私にもできますかねぇ」と聞き返した。
「やりたかったらやればいいのよぉ。コンビニのお弁当も私は好きよ~」と笑いながらNさんは答えてくれた。

やはり御礼を伝えに行かなくては、と思った。
たとえ数回だったとしても、会話をしたという、これ以上の思い出があろうか。
会話をするというのは、お互いがその場所にいると、認め合うことだ。
私とNさんは悩みを吐露し合うような関係ではなかったかもしれないが、
少なくとも私は自分と会話をしてくれる優しい彼女が好きだった。もっと多くの言葉を交わしたかった。
関係の濃さなど問題ではない。この思いをありがとうと、伝えに行かなくては。

人生で初めて、ひとりでお葬式に向かい、参列した。
結婚した際、「これから必要になるものだから」と周囲に勧められて買った喪服に、初めて袖を通した。

お葬式に出て知ったのだが、Nさんは旦那さんと、引き取ったばかりの2匹の保護猫と暮らしていた。大学生のころはコーラス部に所属していて、歌うことが大好きだったと同級生の方が語っていた。
遺影はそのコーラスの発表会に出られた時の、フリルの華やかなワインカラーのドレスを纏ったNさんだった。お化粧もしている。いつもナチュラルなイメージだったから、まじまじと見つめてしまった。

お葬式というのは、故人のことをたくさん知ることのできる、不思議な機会だった。
私の知らないNさんの人間的側面をあちらこちらで感じ、改めてNさんという人が今ここにいるたくさんの人の中に、それぞれのNさんとして存在している。もう言葉を交わせなくても、Nさんはそこかしこにいるのだ。

喪主である旦那さんは挨拶の中でこう言った。
「Nさんは生前、元気な時から「もし私が先に死んだら、お葬式で「彼女はいい人だった」と絶対言ってね!お互いにそう言おうね」と言っていた。だから言います、彼女はいい人でした。本当にいい人だった。僕も猫たちも、たとえば箪笥の引き出しを開けただけで、あのいい人がそこにいると感じています」。

棺に花を収めるときに拝見したNさんの顔は、なんだか別人のようだった。
「ありがとうございました」と心の中でつぶやいた。
別人のように見えるけれど、その距離感さえ、Nさんと私だけの関係性が生み出す特別なものに思えて、なぜか誇らしかった。

式が終わり外に出ると、快晴で少し汗ばむくらいの陽気だった。
葬儀場から最寄りの五反田駅に戻る途中、目黒川が流れていた。
私は川を覗き込んだ。
ダナンの川よりは数段、水は澄んで見えた。陽ざしを浴びてキラキラと流れている様を見ながら、「そういえば土井先生、お米を炊くには水が大事と言っていたな」と思いだした。

Nさん、本当にありがとうございました、と私はやっと、声に出した。
「はいは~い。あら変な顔~」と、Nさんの声が聞こえた気がした。

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