たわら@真夜中の文化部

都内美術館にて展覧会情報のアーカイブ制作担当。どこでだれの展覧会をやっているか、聞かれ…

たわら@真夜中の文化部

都内美術館にて展覧会情報のアーカイブ制作担当。どこでだれの展覧会をやっているか、聞かれたらうっすら言える。アートと日常がテーマです。

最近の記事

軽率なりの思考回路

物事を深く考えられないのは小学生のころからなんとなく自覚があったが最近特にひどい。コロナにかかった時にブレインフォグも経験しているが悲しいかな、確実にコロナ前からノン・ディープ・シンキングである。 先日、大型の展覧会をやっている美術館に行ったのだが特に何も感じずに帰ってきた。否定も肯定もない。これまでは何かしら思うところがあったのに、この虚無はなんだろう……と考え始めたのがきっかけ。 突然このようになったというよりは、しばしば人生においてそんなことは割とよくあった。深く考え

    • 【真夜中の一枚】ーフランシス真悟「Exploring Color and Space-色と空間を冒険する」-茅ヶ崎市美術館

      神奈川県の茅ヶ崎市美術館で開催されている展覧会「フランシス真悟 「Exploring Color and Space-色と空間を冒険する」」。 アメリカ・サンタモニカ生まれのアーティスト、フランシス真悟(1969-)。父は画家、母はビデオアーティストであり、幼少期は日本で育ちました。自己の世界観を表現することが大事と教えらえれて育ったそうです。 影響を受けたアーティストの一人にジェームズ・タレルを上げていて、思わず「気が合う」と勝手に距離感を縮めてしまいました。出会えてう

      • お前の自慢が聞きたいんじゃないといっても通用しないX

        ここ三か月以上アウトプットをしていなかったらどんどん脳が衰えたのだった。 しかも最後に書いたブログが志尊淳について、て本当にどうかしているけど好きは変わらず、大河ドラマに出てくれるんじゃないかと追加キャスト発表を心待ちにしている。 話を戻すが、あまりにも言葉が出てこず、一度書き上げた文章は書き出しから最後まで嫉妬と悪口しかなくて震えた(消した)。正しいあいつが許せないだの、得したあいつが許せないだの、逆に言えば嫉妬ならいくらでも書けるのかと悲しい気持ちになった。愛せ自分。

        • 志尊淳が出てくると「志尊!志尊!」と手を振り上げてしまう衝動

          私と同年代の周囲の友人らは鈴木亮平氏の太い首に安らぎを感じている一方で(いや私だってそれは感じている)、志尊淳氏の目を見張るような美しさに私は今さら興奮している。 初認識したのは多分、NHK朝の連ドラ「半分、青い。」(2018)あたり。漫画家志望の優しい男の子といった役どころで、どちらかというとフェミニンな印象。ご本人のシュッとした佇まいもあり、また演技力も伴って見事にハマっていた。そのイメージのせいか、その後も比較的柔らかい、または少し気弱な役をされるイメージを持っていた

        軽率なりの思考回路

          魔夜峰央漫画が好きな私はおばさん構文ぜんぶやってる

          何かを捨てると新しく入ってくると聞いていたが本当だった。 先日本棚を購入していろいろな漫画を売りに出したところ、幾日もしないうちに同僚からひょいと漫画を貸してもらえたのだ。 魔夜峰央先生の「横須賀ロビン」である。 まず、私と会話してくれる友人や周囲の方にはさんざん同じ話を聞かせておりうんざりされているだろうが、私は魔夜峰央先生のファンである。 トークショーには3回出席。サイン本は2冊ほど。握手つきサイン会だったので僭越にも芸術作品を生み出すその右手を拝借してパワーをいただい

          魔夜峰央漫画が好きな私はおばさん構文ぜんぶやってる

          アイデンティティクライシスって笑い事じゃなかった【本を読む】

          全然、自分の意見がないなあと思うことがたびたびあった。 友人との会話、会社での会議。まず発言して「そうじゃなくて」と否定されるが怖い。 意見の否定は人間性の否定ではないと頭でわかってはいるのだが、なぜか人より素地がないので心はなかなか切り替わらない。 そして質問が出てこない。最後に質問は、と会議や面談で言われても、出てきた試しがない。何が疑問かもわからないのである。そのくせ他人が質問しているのを聞くと、ああそうだよね、となる。 そんなことをもやもやと考えていたら気づいて

          アイデンティティクライシスって笑い事じゃなかった【本を読む】

          いつの間にかのスカート

          先日レオパード柄のスカートを買った。 現在の持ち物の中でスカートは1着、黒いサテンのペンシルスカートのみ。 ワンピースは喪服1着、ショッキングピンクのお気に入り1着。 スカートは基本的に履かない人生を多く過ごしてきた。足が太いのが悩みだったのもあるし、 母親から「下着が見えそうなものは履くな」と言われ続けて育ったせいもある。 スカートにもさまざまあるし、丈、形、素材によって自分に似合うものがあるのも知っている。 しかしどんなに気に入って買ってみても、ふと街で鏡に映る自分の姿

          いつの間にかのスカート

          本棚がやってきた

          最近やっと本棚を買った。 2年前に和室を洋室にリフォームして自室としてもらい受け、新しいクローゼットもできた。デスクと椅子も購入し役員室みたいにしてきたわけだが、本棚だけがなかったのだ。空間を彩るセンスに自信がないせいで、物を増やすことにかなり慎重だったせいもある。 はじめは出窓風になっている窓際にどんどんと本を並べていた。しかし夫の部屋にあったプリンタが壊れたのを機に、プリンタもこの部屋に置いたほうが効率がいいかもしれない(夫の効率は不明)と思い始め、プリンタを置くために

          愚痴の傾向と対策そして愚痴っぽくなっている俺

          愚痴を言い続けることと聞き続けること、 どちらが辛いか、という比較は成り立つかしらん?と最近考えることがあった。 ちょっと連日、愚痴のシャワーを浴びてしまったのだ。 私自身、言い続けることも聞き続けることも、両方、人生においてやっちまったことがあって、結果、まったくの別物として「それぞれしんどい・辛い」という実感がある。 そしてどちらの行為も、やっちまう頻度に比例して、重さが違うかもしれない、と考えるに至ったのだった。 愚痴を言う場合の頻度。 ごくたまに人に聞いてもら

          愚痴の傾向と対策そして愚痴っぽくなっている俺

          綺麗なことばかりじゃないなんて、みんな知っている - 上田義彦写真展「いつでも夢を」@代官山ヒルサイドテラス・ヒルサイドフォーラム

          ご機嫌いかがでしょうか。 さきほどヤクルトを飲もうとして2滴こぼしてしまい、シロタ株とやらが何億個失われたのか、気になって仕方がありません。 東京・代官山で行われていた「上田義彦写真展「いつでも夢を」」に、最終日に駆け込みました。 最終日は朝11時からオープンとのことで、あさイチを狙いましたがすでに小さな列が。 建物は大きなガラス窓に白い壁、入り口までのアーチは大きな木々が夏の日差しから建物と人を守るように枝葉を伸ばしていて、 木陰が道を作り、そのままギャラリーの外から中

          綺麗なことばかりじゃないなんて、みんな知っている - 上田義彦写真展「いつでも夢を」@代官山ヒルサイドテラス・ヒルサイドフォーラム

          愛が苦手でもいいじゃない ― 「マルク・シャガール 版にしるした光の詩」@世田谷美術館

          インスタを開いて一旦閉じて、さて次は……とインスタのアイコンをタップして開いているという、頭がおかしい状況になっているので本当にデジタルデトックスが必要かもしれないと感じました。 やることが無いというか暇が怖い、なぜなら時間が空いたら余計なことを考えて傷ついてしまうから。しかしやらなければならないことからは目を背けたい、というジレンマからこのような行動になるのでしょうか。 私は人が得意ではないという自己認識から「SNS依存とは無縁」という根拠のない自信があったのですが、そ

          愛が苦手でもいいじゃない ― 「マルク・シャガール 版にしるした光の詩」@世田谷美術館

          で、現代アートって何なのか。

          「アートなんて感じたいままに感じていい、と言われても困る」というお話を聞く機会がありました。 私は作品が異質であればあるほどムラムラする性癖を持っているので気が付かなかったのですが、こと現代アートに関しては、確かに何の理由もなく突然「石」とか置かれても気持ちが追い付かないし、困惑してしまうというのはなんとなくわかります。 普段から人を思いやったり、気持ちを理解しようとする優しい人ほどそうなるのかもしれません。 ということで、アート雑誌も読まない、なんかきれいなものが好きだ

          で、現代アートって何なのか。

          ゴキブリの光、窓を拭き―【テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ】

          先日、我が家の汚れた窓ガラスに透明感を戻すべく、掃除を決意した。 運気が悪くなりそうだからだ。 私は常に運気に脅かされて生きている。 外からやるか、とベランダに出て置きっぱなしのビーサンを履こうとしたら、さっと黒いものが動いた。ゴキブリ(以下G)である。 無言で後ろにのけぞって窓際に置いてあるデスクにかかとを打った。 かかとの痛みなんて今どうでもよく、殺意で自分を奮い立たせGを退治したのだった。ゴキジェットで。合掌。 しかし死んでもなお恐ろしくて、しばらく遺体を片付ける

          ゴキブリの光、窓を拭き―【テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ】

          なかやまきんに君

          同僚がダイエットをはじめたと言い、「なかやまきんに君の動画に励まされている」と言っていたので心配になって見てみることにした。 なかやまきにんに君といえば昭和生まれ平成育ち引っ込み思案は大体友達みたいな世代にとっては「面白いんだか面白くないんだかわからないむきむきの人」くらいの印象から始まり、アメリカに留学しちょっと鬱々としてしまったやはりむきむきの人、という位置付けである。 動画配信サービスを拝見したところ、見るのが初めてではないことに気が付いた。 コロナ禍の空前の宅トレ

          ずっと嘘つきだったから

          私はもうカエルを好きになってもいいのだ。 雑誌を読んでいたら気になるライターの方を見つけて、どこで何を書いていらっしゃるの~と探すうちに、その方がやっているWebShopにたどり着きました。どれどれと覗いていると、その方がデザインしたカエルの布バッグが。 「あ、カエルだから、私は嫌いなはず」 ととっさに思ったのですが、いやおかしいおかしい。 「嫌いなはず」とはなんだ。自分の「嫌い」にくらい確信を持ちたいのに、持てていないではないか。 思い出したのは、今は疎遠になってしま

          ずっと嘘つきだったから

          あの人と私の距離を想う

          今年も陽射しが強くなり出した。 普段は青葉だけもっさりまとっているアジサイが、今が時とばかりに咲き誇っている。 初夏がくると思いだされる人がいる。 かつて同じ職場にいたNさんという女性だ。私より5歳ほど年上だった。 Nさんとの思い出はそんなに濃厚ではない。というのも、立場的に私は37歳のアルバイト、かたやNさんは雇い先の常勤職員という立場で、いうなれば上司だった。 挨拶はもちろん、他愛のない会話はすれど、それ以上の関係ではなかった。 Nさんは人望厚く、仕事っぷりからも感

          あの人と私の距離を想う