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気になる子は、気にされていないかもしれない

 お昼休みはいつも、お弁当を持って、公園まで足を延ばします。その日は小さな公園にこんなにたくさんのこどもが収まるのかと驚くほど、小学生がたくさんいました。『お弁当会』と言うそうです。いつもはこぢんまりとした公園が、この日はとても大きく見えました。

 木蔭はリュックか、レジャーシートで占有されていましたので、太陽がさんさんと照らすベンチで、座っていつものようにお弁当を広げて、お昼をいただきました。目の前には、大勢のこどもたちが片方ではアスレチック遊具に、片方では芝生の上でドッヂボールに、と遊びに興じている最中です。

 こどもたちが遊んでいる様子をじろじろと見るのもいかがなものかと思って、なにげに目をそらしてお弁当と食べ終わったものの、同僚からいただいたお菓子をほおばるときには、ふと”こどもたちの観察”を思いついたのでした。

 どんなグループを作っているのかな
 

 目の前のアスレチック遊具に集まっているこどもたちは、どうやら全員で遊んでいるのではなく、ちいさなグループが、それぞれに遊んでいる様子です。それで「どれどれ」と興味がわいたのです。
 それぞれ、おいかけっこであったり、日陰のある場所でゲームやおしゃべりをしていたり、遊具を試していたりと様々でした。そうそう。着ている服の様子がおしゃれだったり、陽がじりじりと照り付ける日中にも関わらず、比較的暖かい服装だったり、上下で格好よくキマッているスポーツウェアだったり、幼さを感じる色合いだったり逆に大人びている色合いだったり、痩身と肥満の差も目が留まりました。

 ひとりひとりが本当に個性的なこどもたちです。
 大人になるとどういうわけか服装や見た目が「同質」になってくるのが心底、不思議に思ったほどでした。


目に留まる子は、気になる

 そうしているとふと目にとまる子がひとりいました。目に留まるということは、なにか”気になる”点を持っているということです。どうしてだろう?と思っていると、すぐにわかりました。

 はじめは、隠れ家のような遊具の日陰の下で集まっている女の子のグループのひとりかと思ったのです。不意に、走り出して、向こうにいた黒シャツの女の子を追いかけました。追いかける様子が、遊んでいるというより「追いつめている」んですね。追いつくと、なにかひとことふたこと話している様子が見えましたが、黒シャツの子がどつかれました。
 女の子は、実はグループに属しているのではなく、”ひとり”なのです。黒シャツの子のほうが、そのグループのメンバーのようでした。それはあとから一緒にいるのが見えたからわかったことです。
 女の子は、羊の群れを追う犬のようなイメージです。あるべきところに、あるべきものを戻し、仕事を終えると、また一人で歩いて居ます。でも、どこかしらに、”ちょっかい”に見えるような行動をしています。日陰の下のグループに話しかけたりもしますが、どうやら相手にされていないようです。でも構わず、また思ったところに歩き回ります。


校外学習の学習機会と安全確保

 屋根のあるベンチの下に、大人たちが数人集まっていました。保護者なのかなと思ったのですが、それにしては少人数です。ドッヂボールをしている側で「先生!」と呼んでいたので、どうやらみな引率の先生のようです。

 おそらく学年のこどもたちが集まっていて、その担任の先生たち、引率の先生たちなのでしょう。屋外活動にしては、こどもたちの数と、それを見守るおとなの数のバランスが取れていないように感じました。でもそれは、私が、”親と子が屋外に遊びに行くとき”と比較してしまうからでしょう。
 けれども「それにしても…」と考えてしまうのです。

 親子で屋外に遊びに行くとき、例えば3人キョウダイの時、3人それぞれの様子は、常に目に入るように気をつけるものです。姿が見えない時間はちょっとでも無いようにしたくなるものです。あるいは、姿が見えなくなる場合でも、想定範囲内であるという安心は持った上でとなります。

 「先生!ボールが!」とこどもの声が響くと、先生は、大きく手を振りながら走っていき、公園の外の道路(住宅地でした)に転がり出てしまったボールを生徒が自分で追いかけてしまわないよう制止していました。そのような約束事がきちんとできているのでしょうね。ボールが飛び出たのは、その1回だけでしたから、こどもたちもしっかりと”気をつける”ことができているのですね。小学3年生くらいかなぁと思います。男の子も女の子も交じって遊んでいる様子もありましたし。

 ここまで、たくさんの生徒たちを連れた校外学習では、なによりも優先されるのはこどもたちの安全だろうと感じました。ある意味、ひとりひとりの学習獲得の機会よりも、かもしれません。その公園は住宅地にあり、車の通りはほとんどありません。人通りも少なく、その時間、小さな子の親子連れが来ている様子もありませんでした。公園の敷地は、立っている場所からすべて見渡せる程度の広さです。比較的、安全確認と確保がたやすい場所だと思います。これがもっと違った環境を想定したとき、安全確保には大人の数が足りないかもしれないと思うくらいでしたが、さらに”ひとりひとりの学習機会”を見て回るには、さらに大人の目が足りないかもしれない。そう思うと、学校の先生たちは本当に一人の先生の仕事の大きさ、重さが並大抵ではないと想像されて頭の下がる思いがします。

 「生徒ひとりひとりの学習機会のためには人が足りないかもしれない」と感じたのは、特に、さっきの気になる子の”学習機会”を考え始めた時でした。

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