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地球儀の眺め


 アンスクーリングな我が家。ホームスクールは家庭を基盤にこども主体のまなびの環境を整えること(note『日本のホームスクール』より)にあります。それはこどもの言うとおりにするとか、こどもの希望通りにするとか、こどもの好き勝手を許すなどというものではなく、大人が大人としての視点を持ちながら、こども目線に寄り添うことで可能になるまなびの仕掛け作りという側面もあるといえます。つまり親と子の協働の賜物がホームスクールというわけですね。
 日本の場合、先にこどもが始めることも可能なのがすばらしいなと思っています(ホームスクール制度がないので親の許可や教育庁への申請・許可・登録・指導・管理・報告義務が無いからです)。いずれはこどもの独習に到達するものでもあります。
 親・保護者はファシリテーターであり、時にはコーチングで仕掛けを作っていくこともあります。『まなび環境のエッセンス』マガジンではゆるっとしたまなびの仕掛け(かな?と思うもの)をこの10年のアンスクーリング暮らしを振り返って書いてみようという試みです。時系列は無関係ですので、あしからず。

ホームスクールまなびのエッセンス 5ノート目です。

 Essence:世界観

 こども部屋にあるいは家の壁のどこかに世界地図を貼っているお宅はどれくらいいるでしょうか。わが家も貼っています。書店ですぐに手に入るのはメルカトル図法の四角い地図です。できるだけ大きい地図が欲しくなります。さて、このメルカトル図法ですが、ここから立体の地球を再現しようとすると円柱の地球ができてしまいそうになります。

 その他の地図に代表的なものは以下があります。
・モルワイデ図法
 ・正距方位図法
 それぞれの目的によって使い分けられます。
※参考サイト『地図図法とその特徴(モルワイデ図法・メルカトル図法・正距方位図法)』

 メルカトル図法の世界地図にがあまりになじんでいるので、地図には使用目的によって使い分けがあることなど、ほとんど意識していません。そして、あまりに見慣れているので、メルカトル図法によってゆがんだ面積が、頭では分かっているはずなのに、感覚としてそのままの大きさで比較してしまいがちです。目の前にある情報にフィルターがかかっていることを、うっかり忘れてしまっているのです。フィルターがかかっているのだという意識がまだ無自覚に持てないうちは、できるだけフィルターの無い情報があるほうがいいのではないか、そう思いませんか。
 そこで家庭にひとつ用意していおきたいのが地球儀です。

できるだけ実物に近く、実物がイメージしやすい

 これは乳幼児時代から大切にしたいものです。赤ちゃん向けの可愛らしいデフォルトされたイラストより、実物がすぐには持ってこれない代わりになるような写実的なイラストが乳幼児の教育ツールに使われるのはそのためです。乳幼児に限定したことではありません。言語と情報(概念)を一致させるためのツールだからです。

 地球儀を眺める。その視点は、実際の宇宙ではどのあたりなのでしょうか。「月から見える眺めは?」それとも「太陽から見える地球はこう?」「今、太陽はどこにあるの。」「どちらに月はあるの。」。飛び出す絵本よりさらに一層3D(立体)です。
 日常的に目にする景色は、世界観にも影響します。

 長野県で生まれ育った友人は「山を描いて」と言われて連なる大山脈を描きました。東京で育った私はいかにも遠くに見える富士山の山をぽつんとひとつだけ描きます。私にとって富士山は見えるか見えないか、霞の向こうにある遠くのちいさな山です。どうやら日本一高いらしい…というだけの存在です。時を経て、静岡に住んでいたことがありました。ある時仕事で富士山のふもとの町まで行きました。歩道橋を渡って、ふと振り返ると、そこには大きな、何とも大きな富士山が、なんともいえないほど強く大きな存在感を放ってそこに構えているのです。「こんな景色を観ながら育つこどもは、いったい自然の山に対してどのような心情を抱くのだろうか」と感嘆しました。
 「山とはなにか」「山とはどういうものか」。そんな観念の違いが、幼少期から青年期に眺めていた景色の認識により違いが生じているはずなのです。意識よりもっと深いところに温められているはずなのです。

 そんなことを思うと、なにげなく普段目にする景色に気を配ることは、つまらないことではないと思えます。「美しい」と感じること、「すばらしい」と感じること、「緻密な」「計算された」と感じること…というように、家具の配置、色、季節によって変わる風を感じる窓、飾るカレンダー、絵、ポスター、香りにもなにかしらの意図を含ませることができるのです。

 よくホームスクールでは「学習環境を整える」と言われますが、学習に集中しやすいことであるとか、学習教材がそろっているとか、博物館等学習施設によく行くことができるだとか、も確かにありますが、それだけではなく、「暮らし」によって育まれる感性についてもやはり考える機会があることはホームスクールの楽しみなのではと思っています。

 地球儀がある。
 いつでもそこにあって、ふと気づけば視界の端にある。そして、なにかというと地球儀で場所を確認する習慣がいつのまにかついている。
 これは地球という私たちが住んでいる惑星なのだ。

 ホームスクールの暮らしぶりはとても詩的ですね。
 それは贅沢にも人間にゆるされた情緒だと思うのです。人間らしく生きる生活そのもののように思います。

 「私たちが住んでいる地球とはなにか。」
 そんな問いかけを無意識に続けているのかもしれません。

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