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親には迷惑かけときなさいよ

  「人に迷惑をかけない」という言葉。もしかしたら一人歩きが及んで解釈が変わり果ててしまった言葉のたぐいの典型ではないかしら。最早、この言葉は呪いであるかのようなのね。でも、ちょっと考えてみたい。「人に迷惑をかけない」って、そんなに酷い意味で使われていただろうか。私は言いたい。

 他人様に迷惑をかけることはできるだけ無いといいとは考えますよね。その代わり、親にはたっぷり迷惑をかけていいんだよ、というのは親の立場になってみてはじめて言えるようになったことかもしれません。親はこどもからの相談事や頼み事なんて「そんなの迷惑ともなんとも思わない」生き物なんだって知るといいんですよね。こどもが「親に迷惑をかけるかも」だなんて遠慮しているとわかったら、親の落胆は相当なものなんだとその目で確かめてほしいものです。
「親に迷惑をかけると思って、わがまま言えなかった」とか。
「迷惑をかけるなんて、したらいけないことだから」とか。
 親が聴いたら、それはそれは哀しく思います。だってそれは言い換えると、「親を信用していません」と言っているわけです。「親には、心を許していません。」と宣言しているわけです。親をなんだと思っているんだと、思わず「あほか」と返しますよ。

 きみの親はなにかい。
 こどもであるきみが守ってやらないといけないのかい。
 それでもいいけどね。
 きみを守ってくれる人がほかにちゃんといるのならね。



 ここで書いている《親》というのは、必ずしも血縁を指しませんよということは先に強調しておきます。かつての日本には血縁以外に社会的親という人がわんさかいました。名付け親をはじめ、親方、仲人親、養い親、師匠も親とみなされますし、親とは《人を育てる人》のことです。対義語として血縁親は生物学上の親となるかな。生物学上の親が、社会的親にもなれる確率は、100%ではないんですよ。

 「迷惑だなんて全然思わないよ」。そんな気持ちを知っているでしょう?親としてさまざまな課題に向かわせてくれる子の存在は、親という立場になって初めて経験できる成長過程ですよね。ありがたいことです。もちろん、そのときは大変だということは感じる。「あのことが無かったら、なにも知らないままだったろうし、考えようとも思わなかったはずだから」と、何度も繰り返し経験してきたなかで、わかっているわけですよ。

 人は正解してスムーズであるときよりも、失敗したときのほうが7倍思考をフル回転させるのだといいます。それならば、それだけまなびのチャンス、視野を広げるチャンス、あたらしい人生観に出会えるチャンスというわけなのです。そして、チャンスをまなびとしてチャレンジできるかどうかは、こども時分からの環境と対応から学習してきた習慣かもしれません。
 親自身もまた、自分ひとりでは背負いきれないものだと思えば、誰かを頼ることでしょう。まずはパートナーでしょうか。そして自分の親でしょうか。それから心をゆるせる友人でしょうか。そんな人たちと出会うきっかけは時代とともに様変わりしてきたはずです。今ではSNSだって知り合えるきっかけになりうるツールです。見知らぬ子と知り合って名前も聞かないまま一日遊び倒した場所が、昔は公園、今SNSかもしれないですよね。カタチは変わっても、その本質は変わらないものはたくさんあります。

 自分だったらどうかな?と逆に立場になって考えてみると、難なく理解できる話かもしれません。自分が大切に思っている友人やパートナーや、家族の願いを「迷惑だ」と思ってしりぞけることはないでしょう。もし自分にも背負いきれないと感じる事柄であれば、また心をゆるせるパートナーや友人や身内に相談してみようと考えるのではないでしょうか。
 もし「相談に応じることができない」という答えが返ってきたとしても、それは例えば「自分では背負いきれないことだ」という自覚があって安易に引き受けては逆に事が収まらないと考えた結果であったり、「自分が引き受けるより、もっと頼るべき人がいるだろう」というおもいやりからくることだってあります。それは、あなたやあなたの周りの人までも知っているような身近な存在で在れば理解できることだからです。
 「ひとに迷惑をかけるな」は、言い換えれば、あなたをまったく知らない人に、あなた自身が「迷惑をかけるかもしれない」と少々の負い目や遠慮を感じながら、すまなげになにかを持ちかけるような状況はありえ無いという意味です。考えてみたら、それはそうだと思うのですけれども。だって、そうですよね。そういう人に心を打ち明けてみて、どうなるというのでしょう。見知らぬ人から「迷惑をかけるかもしれないが」と打ち明けられたところでよほどのことでなければ「そんな義理は無い」で済んでしまうような気がします。人には優しく、親切にとはいえ、それを覆う心のほうがずっと大きく、気持ちを動かすものです。義理人情とは違いますよ。義理人情は、筋の通らないものを無理やり遺恨でつなぎとめるようなものですからね。「お前に情(じょう・なさけ)は無いのか」と不条理な要求を押し込めるようなやりかたには、きっぱりと自尊心を持って突き放したいものです。

 

 他人様にはできるだけ迷惑がかからないといいよね。
その代わり、親には迷惑をかけたってかまわないんだからね。
いつか、あなたにも「この人になら迷惑をかけられてもかまわない」と思える友人や恋人に出会うだろうから。その時には全力で応えてあげてね。

 親だって完璧な人間ではないですから、自分には背負いきれないことであれば、だれかに頼ります。その姿を見て「頼ってもいいんだ」ということを知ってくれるでしょう。「大切にしてくれる人は、自分を助けてくれる」「大切に思ってくれる人は、助けたいと思ってくれている」ということも、きっと感じてくれることでしょう。


 もしも。
 そんな自分を守り育ててくれるはずだと信じてきた存在が「迷惑をかけるな」と本当に迷惑そうな顔をしているのを目撃してしまったら。

 自分の見誤まりだと認識をゆがめないでほしい。優しさゆえのあやまちは、「助けたい」と思っている人の手を遮る大きな壁になってしまうのが、この大人たちがつくった現代社会の仕組みなのです。こどもがこどもとして護られなければいけないとする社会は、同時にこどもが「こども」という立ち位置を自覚してわきまえていなければならないという状況をも生みだします。「こども」というのは人間社会において、後から作られた概念なのですからね。社会を成り立たせるためにね。なんであれ、物事は表裏一体で存在しているものです。コインの表だけを見て手に取っていても、必ず裏はついてきます。裏返してみても、表が剥がれ落ちることもないでしょう。

 もしも「守ってくれない」と感じた時には。親に代わる誰かを、未来の自分を守る勢いで、力の限り探し始めてほしい。血のつながりがあっても、必ずしもすべての人間が親という生き物になれるわけではないのだから。悲しみのあまり、無力な自分を思い知ったあまりに、ふんばるべきところでふんばれないほどに枯渇してしまうことだって人には起こりえるのだから。
 頼りになる力が少ないことを言っているのではないのですよ。頼りなくても、弱々しくても、親は親です。肝心なところははずさないものです。でも、時々どういうわけか、肝心なところを、はずしっぱなしの人間もいます。そんな人間だと気づいてしまったのなら、ぜひ、見限ってください。あなたが救わなければならない理由はないかもしれない。その人はもう、出会うべき人と出会わない決定をしているのかもしれない。その人ができることだけを要求し、できることだけをもらっておけばいい。無理を強いるほうこそ、優しさではないのだと思っているし、どちらにとってもしあわせなことではないなと思えるから。きっと誰の目から見ても。

 そして、まだ誰かの庇護が必要な状況にあるのであれば、ぜひとも親代わりとなる人を探し出してほしい。親があなたの人生まるごとすべてを背負うことはできないのだから。多くの親はこどもより先に命を終えるのだから。親という生物は、あなたの人生の一部にすぎないのだから。

 

 どんどん迷惑をかけなさいね。
あぁ、ほら、いうじゃない。
 実るほど頭を垂れる稲穂かな

 
「迷惑をかけてすまないな」という気持ちはまさしくこんな謙虚さからだと思うのよね。そんなあなたには「みずくさいぞ!」と力を込めて、頼ってくれてうれしい!と目が言っている人がきっといる。信頼できる人にこそ、「迷惑をかけるかもしれないが」と打ち明けてほしい。というより、それ以外の誰に相談するの。
 相談事をプロに依頼するならそれは「迷惑」ではなく、仕事の案件なのだから、きっちり仕事をしてもらえるようしっかりと必要な事はあらいざらいうちあけてもらわないといけない。「申し訳ない」とか「ご迷惑をおかけして」とか遠慮されることで見通しがつかず、依頼を遂行できなくなるほうがもっとずっと困ることになるはずですね。判断するのは誰かという立ち位置を間違えないようにしてもらいたい。どうも、このあたりの逆転現象がひどいように見えてしかたがない。仕事のプロは親代わりでは無いだろうに。

 最後に書いておきます。
 公共の場においての迷惑行為とは意味が違うということを。
 公共の場というのは、全体の秩序がひとりひとりの良心に基づいて成り立っている場です。そこでの迷惑行為というのは「良心からはずれた行為をしていますよ」ということです。「他人様に迷惑をかけてはいけません」はここで使われてしかるべきではないでしょうか?

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