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高層ビルの立ち並ぶ日本経済の中心地『千代田区 大手町』~東京グラフティレコード~

タクシーをエンタメにしています、
ヨナシロです。

東京の地名と歴史を学んだら、都内がテーマパークになるんじゃないか?とスタートしたこのシリーズ。
区ではなくその下の町で括り(例,港区六本木)、町の名前の由来や歴史などを勉強しています。

気になるところだけでも読んで行ってくださると嬉しいです。

東京グラフティレコードとは、、、
東京でタクシー運転手をしているヨナシロが、改めて地理を勉強するためにアウトプットの場として設けた地理、歴史の勉強シリーズ。
地理だけでなく、その場所の歴史や由来まで全てを修めることを目指す。
江戸時代、明治、昭和、現代と、各時代ごとの地理を知り、地図を時代ごとの階層で見るができると面白そうだと思って始めました。
通と言われるほどの知識はまだ持ち合わせていませんので、歴史好きな方はご容赦下さい。
ご教示いただけますと幸いです。
名前は『東京地理記録』だと味気ないのでカッコよくしました。

第4回目の今日は日本経済の中心地『千代田区 大手町』についてまとめていきます。

千代田区 大手町は武家屋敷、官庁街、ビジネス街と
大きく三つの変化を遂げてきました。

それでは行ってみます。



千代田区 大手町の由来と場所

由来
大手町の名前の由来は、旧江戸城本丸の大手門の前面にあることに由来しています。
“大手”とは城の正面、表面を表すことから大手門はまさに正面を意味すモノとなる。
そのためか、江戸時代に“大手前”と呼ばれた地域には幕府の要職にあたる大名や親藩の上屋敷が並んでいたそうです。
正式に今の“大手町”という名称が出来たのは明治五年(1872)でした。

場所
皇居(旧江戸城)の北東側にあり、東京駅の北側にも位置している。
東京メトロ大手町駅があり、この周辺には政府系金融機関・大手銀行・商社・マスコミの本社が並んでいる。
それらはほとんど高層ビルで約30階建てのビルが隣合わせの異空間になっている。
2027年に完成予定の60階建てのビルの建設も始まっている。

FireShot Capture 104 - 大手町 - Google マップ - www.google.co.jp

FireShot Capture 105 - 大手町 - Google マップ - www.google.co.jp


千代田区 大手町の江戸時代

警備が厳重な大手門
元和6年(1620)伊達政宗が黄金2676枚、人夫42万3000人余をもって、大手門の左右13町(約1400メートル)の石垣と防御用の空き地である枡形を持つ城門を改修しました。
城門は高麗門と渡櫓とに分かれ、高麗門をくぐると城壁に囲まれた四角い広場(枡形)があり、右正面に渡櫓が存在します。
警備は、城門中最も厳重で、鉄砲30・弓10・長柄槍20・持筒2・持弓2組を常備し、10万石以上の譜代大名が警備にあたりました。
大手門橋前には下馬という立札があり、大名のほとんどはここで下馬し登城していたそうです。


大手町曲輪
今の大手町はかつて「大手前曲輪」と呼ばれた一郭の大部分で、
曲輪は周囲がをすべて堀に囲まれていた。
郭内はほとんどが譜代大名の屋敷、幕府の御用屋敷などがあり、
江戸時代の大名畑本屋敷や神社仏閣には町名がなかった。

松平家が三種類
江戸時代の切絵図には、「松平」という名前の入った屋敷が多く出てきます。現在のパレスホテル、大手門すぐそばにも越前福井藩松平家の屋敷がありました。三種類ある理由には徳川氏が関係してきます。
徳川氏は、もともと松平家でした。江戸時代の松平家にはだいたい3種類あり、
第一は「家康の子孫だが徳川氏を名乗らない家」
家康の代からは松平氏の本家は徳川を名乗れましたが、名乗る家には制限があったそうです。
まず、徳川氏の嫡流(ちゃくりゅう)⦅嫡流=総本家の系統⦆は名乗れます。尾張、紀伊、水戸の御三家も名乗ることが出来ますが、それ以外は家康の子孫であっても名乗れなかったそうです。
第二は「家康以前の松平家の子孫」
十八松平と呼ばれる家系がそれにあたります。
第三は「松平氏とは血縁がないがご褒美として許可された外様大名」
前田氏、伊達氏、島津氏、毛利氏、など多くの大,大名たちがそうした扱いを受け、切絵図でも松平家と書かれているそうです。



初めて作られた道三堀
現在のアーバンネット大手町ビルと新大手町ビルの間の通路あたりは、
和田倉門の脇から呉服橋門あたり、そして永代橋方面まで堀が存在していました。
人工の水路として江戸に初めて造られた堀で、江戸城へ物資をスムーズに運ぶための船入り堀として利用されていたそうです。
南岸に幕府の侍医、曲直瀬道三家の屋敷があったことから、道三堀と言う名称だとか。
初代は足利義輝、毛利元就、織田信長などの診察をした戦国時代の名医だそうです。
明治初期には埋め立てられ、現在は跡形もありません。



千代田区 大手町の明治から現代にかけて

武家屋敷の町から官庁街へ
新政府は武家地を処分し、統一国家の建設に欠かすことのできない中央官庁建築のための官用地や、兵営・練兵場・軍需工場といった広大な敷地を必要とする軍用地の確保を行いました。
大蔵省(現,財務省)、内務省、文部省、内閣官報局、憲兵司令部、会計検査院、印刷局などです。
印刷局では紙幣や官報、切手、印紙、証券などが印刷され、明治30年には職工数1,680人を擁する大工場が存在していたそうです。

関東大震災で被災
関東大震災後、被災した大手町の官庁は仮庁舎が多く、
丸の内のビル街の立派な佇まいに比べ貞淑で見劣りしたため
官庁バラック街と呼ばれることもあったそうです。

戦後、ビジネス街へ
バラック街と呼ばれた官庁街は、戦後も同様の場になります。
しかし、民間企業へと払い下げられ昭和30年代から様相が大きく変化し
大手町ビル、新大手町ビル、富士銀行ビル、新日鉄ビル、経団連会館、三井物産、読売新聞社と
れっきとしたビジネス街、へと変貌していきます。


戦後に開発された新しい街
戦後復興から高度経済成長へ進む中では、町の復興の妨げとなる大量の燃え殻や灰で濠を埋め立て、埋立地を売却して復興資金にする計画は進み、
町の景観が大きく変化していきました。
なかでも戦後に開発された新しい街として多くの企業が軒を連ねますが
大手商社は多く三井物産、丸紅、住友商事などが並んでいました。

皇居前広場から大手町を望む

住友商事や日本郵便の入る新築ビル「大手町プレイス」


戦後復興、経済成長を支えてきた大手商社
大手町の話題とは少しそれますが、この地に本社をおいた大手商社は日本独特の存在だそうです。
海外では、メーカーが輸出を自ら手掛けているためいわゆる総合商社というものがないそうです。
日本の総合商社は世界の隅々まで事務所を構え、日本企業のために資材を買い付け、製品を売り歩いてきました。
その意味で貿易立国の日本において、高度経済成長を支えてきた柱のひとつといっても良い存在と仰る方もいます。

一時期、カルガモ親子のお引越しで有名になった三井物産本社ビルは現在改修中です。



千代田区 大手町のちょっとした情報

祟りで原因不明の死?「将門の首塚」
千代田区大手町にある遺構といえば将門塚が有名です。
平将門は平安時代に活躍した関東の豪族で、京都朝廷に反逆し、関東一円に独立帝国を築いた武将として知られています。

天慶の乱(940)で討ち死にした将門の首は京都でさらわれましたが、
一夜で東に飛び去り、この地に落ちたと言われています。
伝説としては

将門の首が笑い、突然地面が轟き、稲妻が鳴り始め、首が「躯(からだ)つけて一戦(いく)させん。俺の胴はどこだ」と言った。声は毎夜響いた。
将門の首は何か月たっても腐らず、生きているかのように目を見開き、夜な夜な「斬られた私の五体はどこにあるのか。ここに来い。首をつないでもう一戦しよう」と叫び続けたので、恐怖しない者はなかった。
(Wikipedia)

があります。
そんな将門の首塚の関東大震災後の跡地に、大蔵省の仮庁舎を建設する際
工事関係者や省職員、さらには時の大臣・早速整爾の相次ぐ不審死が起き
さらに
第二次世界大戦後にGHQが丸の内周辺の区画整理にとって障害となるこの地を撤去し造成しようとした時も、不審な事故が相次いだ、など。
様々な話が残っています。

お笑い芸人の爆笑問題・太田光さんがブレイク前、この首塚にドロップキックをしたことがあり、そのせいでしばらくの間まったく仕事が来なかったという噂もあるそうです。

現在は、開発が行われていますが、ビル街にポツンと首塚が残ります。


「下馬評」の由来発祥の地
下馬評という言葉は聞いたことがあると思います。
❝下馬評,,,,第三者があれやこれやと行う批評・評判。世間の評判。❞
その言葉が生まれたのが、江戸時代の下馬でした。
下馬は、大手門入口の前にあった文字通り馬を降りて場内へ入る場所です。
馬から下りるのは江戸時代の敬意を払うための行為だそうです。
江戸城へ登城する大名は、多数の家臣とともにやってきますが
家臣の多くは下馬で待つことになっていたといいます。

そのときに家臣たちは、大名が戻るまでの時間を幕府内での出世話や人の評判・噂話をしてつぶすことが多くなりました。
このことから「第三者が興味本位にする噂や評判」を意味する『下馬評』という言葉が生まれたそうです。



以上、『千代田区 大手町』でした。







《参考にしたサイト》

大手町ほか、各Wikipediaも参考にしています。




《参考にした本》



出版社ホームページなし
江戸いまむかし謎解き散歩(廣済堂出版)
江戸城と大名屋敷を歩く(大月書店)
江戸東京物語 都心篇(新潮社)
江戸東京地名辞典
千代田グラフティ
江戸の大名屋敷を歩く (祥伝社新書)
千代田区の歴史 (東京ふる里文庫)



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