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マルチバースに対して思うこと(NWHネタバレ含)

※本記事は、「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」のネタバレを含みますのでご注意下さい。




おひさしぶりです。


世間では「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」(以下NWHと略します)が公開されましたね。


コロナ禍になってからNetflix等のサブスクリプションにお世話になり、わざわざ映画館に足を運ぶことがなくなってしまった筆者です。


そんななかでも、今作に関しては歴代俳優が再出演するということで、もはや義務のような使命感でもって劇場に行ってきました。


ビッグタイトルなので向こう1ヶ月は上映するでしょうが、もう見たくて見たくて堪らず、特別料金の日まで我慢することもせず、はやる気持ちで劇場へ行きました。

ここまで期待させてくれる映画はコロナ禍になってから1本も出会えていなかったので、期待が高まらないはずありません。そして鑑賞後の今、最高のエンターテイメントに浸れる1本だったなと大変満足しています。



前置きが長くなってすみません。

今回はNWHの感想を含め、作品の主軸にもなっている「マルチバース」について個人的に思ったことを書いていきます。


マルチバースとは

筆者がネットで調べてみたところ、マルチバース(multiverse)は「多元宇宙論」であり、「複数の宇宙が存在すると仮定した理論物理学による説」であることが分かりました。


????


もっと馴染み深い言葉で言うならば「パラレルワールド」とのこと。なるほど。

パラレルワールドと言われれば、それが題材になった作品は過去に何本もありますね。筆者が見たのは、どれもゾッとするようなスリラー映画だったような気がします(ここ数年のアベンジャーズ作品は未鑑賞です)

しかし、NWHを見ていると、恐れを抱くどころか感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。


しかし。

しかしですよ。



マルチバース都合良すぎ問題

必死に声を出すまいと顔面を両手で抑えながら、反射的に流れてくる涙でマスクをびしょびしょに濡らしながら鑑賞していた筆者ですが、劇場を後にして数時間が経った今、どこか釈然としない自分がいることに気づきました。




マルチバース、都合よすぎない?(今更)


まさに漫画や映画だからこそ許される特権です。エンタメとしては大成功だと思います。


だけど、なんだろう、なんか手放しで喜べない自分がいる。

残酷な表現になりますが、「死人が“観客の都合”で蘇生させられた」感じがしてしまって釈然としない。
実際に故人となったヴィランだけじゃなくて、賞賛されるべきヒーローに対しても思うのです。

「死人は死んどけ」って言いたいわけじゃないんですよ。

だけど、どれだけ実現が難しかろうが【もしも】なんて幾らだって考えられるし、優遇される【もしも】があったら不公平じゃないですか。

だからピーターはその代償として最後孤独になることを選んだのかもしれませんが。



……


間違いなく、やるせない最後を辿った人間の救済になる展開なんて、ファンとして物凄く嬉しい。だけど、どんなにやるせない結末だったとしても、自分なりに落とし前つけてたのにな、って肩を落とす自分がいるのも事実で。

子供時代から信じていた常識が、なんかとてつもなく大きな“大多数”によって簡単に覆されちゃったような呆気なさも感じて。



結局マルチバースって後付けだろうなって思うんです。(多分そう)(知らんけど)

初期の段階で練られたトリロジー(※3部作のこと)って、恐らく最初から結末が構成されているはずだし、大体数年にわたって撮影されているので俳優の著しい変化というのがないので、繰り返し見てもおかしな点はない。

だけど、やっぱり往年の観客の期待に応えた今回のような作品には、当たり前に時間の経過を感じざるを得なかったし(ケチつけるのは見当違いだと思うほどには出演に感謝しているけど)、なんだろう、かつて片思いしていた学生時代の友人に同窓会で会った時、思っていたのと違ってちょっとがっかりしたみたいな、そんな気持ちも覚えて。

「あぁ、老けたなぁ」って、かつて崇拝してたヒーローに無意識に思ってしまった自分が許せなくて。
別に老けることは悪いことじゃない、至極当然のことなのに。

ずっと望んでたはずの再会を迎えた途端、「あれが完成形だったんじゃないか」とまで思ってしまう自分の身勝手な気持ちに嫌気が差してしまいました。


広い世界のなかでこんなふうに思うのは私だけではないことを願っています。



(完成形とは)



ある意味では期待外れでもあり、期待以上でもあった

ここまで身勝手なことを言ってきましたが、決してNWHをアンチしたいわけじゃないんです。

大ヒットしたトリロジーでどんなにファンが熱望しても、再びキャラクター達がスクリーンにかつての姿を表すような作品は他に類を見なくて、むしろそれが【普通】であったからこそ、NWHは革新的な一歩を輝かしく踏み出したであろうことは間違いありません。

「王道や邪道を決めつけず、観客に寄り添って常に新しい見方を取り入れたからこそ、マーベルはここまで飛躍的に成長したのかもしれない」とさえ思えました。

そう思えたきっかけの一つは、筆者の後ろの席に座っていた男子グループでした。


着席前にパッと見ただけなので定かではないのですが、小学生で4〜5人組だったと思います。

ずっと静かに鑑賞していた彼らが一斉にどよめいた瞬間がありました。それは、ほかでもないトビーマグワイアが画面に映った時。


そして映画終了後には

「すげ〜〜!!初代スパイダーマンいたじゃん!!」

って、嬉々として話しながら出て行くのを見て、恐らく彼らがまだ生まれていない頃に上映されたであろう作品のヒーローで、それを、彼らは開口一番に話題にして、、あんなにも嬉しそうに、、、、(泣いてる)


その時、筆者の脳内では「ヘンリーみたいな子供たちにはヒーローが必要なの」と言っていたメイおばさんの声が蘇りました。



したたかなメイおばさんがやっぱり好き


トビーマグワイアのスパイダーマンを見て熱狂した子供たちはすっかり大人になっているんだと思っていましたが、およそ10年の時を経た今でも、新たな子供たちのヒーローのままであると知れて映画以上に感動しそうになりました。


過去の死人が蘇っても、完璧なままじゃなかったとしても、少年たちが、かつての少年少女たちが、喜ぶ顔がすべて。
エンタメはそれでいいのかもしれない。

ありがとう、マルチバース。





ゴブリンの悪い顔マジで怖かった


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