文字を書けないことが全てな気がする

ADHDかもしれない、と思い始めた。
ただ、一時的にADHD的な癖がついてしまうこともあるらしいので、ADHDぽい人向けライフハック的なものを見て学んでいる。

実際のところ、ADHDかもしれないかどうかは、そのうちお医者さんの手ではっきり明かされることで、今はわからない(薬代もなかなかだし、できればそうじゃないといいけど)。
どうしようもないのだが、たしかにわたしはASDというよりはADHDよりではあろう。しかし昔からこんなだったわけではない。
ADHDのチェックリストをみて、「ふーんそんなことってあるんだ〜」くらいに思っていたころ、まったく他人事だと思っていた時期もあったはずだ。

その頃と何が違うのか考えると、やることを書き出したり、予定をメモすることが、なぜか億劫でできなくなってしまったこと、が大きいような気がしてきた。

実は今、こんなことを書いてる暇もないはずなくらい、追い詰められている。ただ、寝ないとダメだと思って明日の自分に向けたメモを残してみた。

昔は毎日これをやっていた。急に思い出した。やることを書き出すのが楽しかった。それは、脳の中の重荷をおろす快楽だったのだろう。

今書くと、昔ほどではないが、たしかに少し、楽しい。
しかも、昔ほど楽しくない理由だってわかる。字を書くのにもう慣れなくなって、うまく書けないのだ。

もしかして、そんなことだったのかもしれない。
手書きの文字を忘れたから、脳みそがこんがらがって、手書きの文字を忘れたから、きれいに書けなくなって、きれいに書けないから、手書きの文字を書きたくなくなって、手書きの文字を書きたくないから、手書きの文字を忘れた。

そういえば、高校生くらいまでは、一生懸命かわいい字を書こうとしていたものだ。いつのまにか、かわいい字を書こうとする文化から離れていた。
インスタのストーリーでも、昔は手書きで書き込んでいる人いたのに、いつのまにか、みんな手書きで文字入れしなくなった。

わたしが高校生くらいの頃って、今みたいに高品質のフォントにやすやすと触れられなかった。だからだろうか、手書きで画像に文字を入れることは、フォントを使う文字入れよりも圧倒的な優位に立っていた気がする。
今は今で、もちろん手書き風のロゴはいっぱいある。若い人たちはたぶん頑張ってその時代ごとにかわいい字を書いてると思う。
ただ、比較的気軽に作られ消費される画像の文化(昔なら待ち受け、今ならストーリーとかかな)においていうなら、フォントと手書きの力関係って、10年前とは変わっている気がする。

ここまでくるとADHDかもって話から離れているけれど、ここまでくれば、ADHDかもって話に、何らかの武器を携えて帰ってくることもできる。

手書きの字を書くのを楽しくできるように、ツールの力を借りれば一発解決なのでは????

そうだ、そんな気がする。焦りに焦った気持ちが少しだけ落ち着く。
また、たのしく頑張れるんじゃないかな。

#日記 #エッセイ #随筆 #ADHDかもしれない

わたしがあなたのお金をまだ見たことのない場所につれていきます。試してみますか?