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箱の中で。

北に山。南に山。西に山。

四方八方を山に囲まれ、その隙間に作られた集落。

冬にはたくさんの雪が積もり、春には山おろしが吹き荒れ、夏には酷暑が続く。

そんな場所にあるものといえば、寂れた温泉街と、とうの昔に廃業したのであろう土産物屋や小料理屋、八百屋、床屋、クリーニング屋の廃屋。まともに営業しているのは、小さな個人経営の旅館が数件と肉屋、魚屋、小さな雑貨屋くらい。

私が生まれ育ったところは、そんな場所だった。

そんなところであるため、もちろん電車やバスなどが通ってるはずもなく、地元の人々はみんな、車で30分〜1時間かけて買い物に行くのが常だ。そのため免許や車を持っていない子供などは、本屋に行くにも、図書館に行くにも、映画館に行くにも、買い物へ行くにも、友達と遊びに行くにも、バイトに行くにも、全て親の許可と協力が必要になるのである。親がいなければどこにも行けない。それが当たり前の場所だった。

子供の数も少なく、学校でのクラスも、どの学年も1クラスが当たり前で、幼稚園から中学卒業までほぼ同じメンバーで過ごすことがほとんどだ。もし、そのクラスでいじめを受けようものなら、不登校になるか、中学卒業まで我慢するか、自然に収まるまで待つしかない。もちろんフリースクールなんてものは、そんな田舎にあるはずがない。

閉鎖的で流動性もない。あちこちを山で囲まれ、まるで箱の中に閉じ込められているかのようだった。今見えているものがこの世の中の全てなんだ、というように。

そのため、子供の頃はよく、「この大きな山の向こうにはハワイの街が広がっているんだ!」、というような楽しい妄想をしていたように思う。きっと、面白い空想をしていないと自分自身を保てなかったのかもしれない。

そんな中での非日常といえば、長期の休みに従姉妹たちが遊びに来ることくらいだった。従姉妹たちは、千葉、神奈川、埼玉などの街中に住んでおり、よくお土産にお洒落な雑貨品やお菓子、を買ってきてくれたり、近況や地元での出来事などを話してくれたりしていたものだ。私はそれが嬉しいと同時に羨ましくもあった。自由に色んな所へ買い物へ行けて、自由にバイトができて、自由に海外にだって行ける。たくさんの選択肢がある。自分とは生きている世界が違う、別世界の人たちに見えた。

その後私は大学へ進学し、電車にもバスにも初めて乗ったし、自由に色々な場所へ行けるようになった。山から出て自分ひとりで自由にどこへでも行けるということは新鮮で、とても楽しかったし自信にもなった。自分一人の力で見ることのできる世界が広がるというのは、こんなにも自分の感情を豊かにしてくれるものだったのか。

山という箱の中で息苦しさを抱えながら暮らしていた幼い私には、想像もつかなかったな。

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