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小さな死生学講座第8回

「小さな死」から「人間本来の孤独」を知る

(本稿は、拙稿「「小さな死」と「孤独」」、東洋英和女学院大学死生学研究所編『死生学年報 2021』(リトン、2021年)所収の【ダイジェスト版】です。全文は
http://id.nii.ac.jp/1093/00001569/
で公開されておりますので、詳細を知りたい方はこちらをご覧ください。)

1)はじめに

「小さな死」という言葉は広く使われ、死生学の分野だけでなくさまざまな文脈で議論されています。筆者は、「小さな死」は「個別的人間存在への否定」という意味を持っていると考えており、その概念を基に「小さな死生学」を提唱しています。すなわち、「小さな死生学」は、死に向かう私たちの生き方に関する示唆を提供するものと考えています。特にカトリックのシスターであった渡辺和子の著作を通じて議論しています。小論での「小さな死」についての考察では、超高齢社会やコロナ禍において問題とされてきた「孤独」は、もともと私たちの生き方に深く関連しており、人間本来のあり方であることを示唆していることを論じています。

2)強いられる「孤独」の時代

2020年1月、日本で初の新型コロナウイルス感染者が確認され、その後ダイヤモンド・プリンセス号の船内感染や札幌雪まつりでの感染拡大があり、北海道で独自の「緊急事態宣言」が発令されました。3月には全国的な学校休校が実施され、4月には全国的な「緊急事態宣言」が出されました。これにより、「自粛」が推奨され、多くの人が「孤独」を感じる状況となりました。日本社会では過去にも高齢者の単身生活や震災後の避難者の孤独、さらには現在のコロナ禍による「孤独」の問題が指摘されており、社会的な課題となっています。

3)「孤独」をめぐる議論

そのような中で、「孤独論ブーム」と呼ばれる現象もあり、社会的にも「孤独」への関心を高めています。そうした議論では、超高齢社会における高齢者の「孤独」に対する克服の議論も存在します。しかしながら、「孤独」を人間にとって本質的なものと捉える立場もあります。例えば、人は生まれた瞬間から「孤独」を感じ、それは人間の本来的なあり方であると考えられています。また、「孤独」は他人との関係において意味づけられ、他人を「受け容れること」において意義を持つとされています。こうした立場では、「孤独」は愛する相手を理解し受け入れる過程で人間として成長するための重要な要素とされ、愛に関連した「孤独」も存在すると述べられています。このような議論は、「孤独」を肯定的に捉え、受け入れることを強調しています。

4)「孤独」における二つの意味

「孤独」の意味には二面性があり、英語では "loneliness"(寂しさ)と "solitude"(一人でいること、孤独を楽しむこと)という二つの側面があります。これに対して、日本語の「孤独」はネガティブな意味が強調され、否定的な側面が一般的に強調されています。現在の「孤独論」ブームにおいても、否定的な「孤独」を前提にした議論が多い可能性があります。一方で、カトリックのシスターであった渡辺和子のように「孤独」を人間の本来的なものと捉え、肯定的に論じる議論もあります。

こうした背景の中で、「小さな死」と「孤独」との関係性が考えられます。渡辺和子の「孤独」論が「人間の本来的孤独」を肯定的に捉えるものであるならば、それは「小さな死」に関連づけて考えることができるかもしれません。渡辺によれば、「小さな死」は、「大きな本番の死のリハーサル」のような日常的な経験とし、それを生活の中で経験していくことが成長や学びをもたらすとされています。このような「小さな死」との関係で、人間の成長や意識の変容が、「孤独」を受容し肯定することと関係している可能性が考えられます。

5)渡辺和子の「小さな死」と「孤独」

渡辺和子は、「小さな死」と「孤独」を直接的に結びつけて論じているわけではありませんが、その二つの概念の関係性を示唆しています。渡辺は「小さな死」とは将来の「大きな死」の「リハーサル」であり、自己のわがままを抑え、新しいいのちを生む経験であると述べています。この「小さな死」は、日常生活の中で「ていねいに生きる」ことによって実践されるべきものだと説いています。

例えば、2011年の東日本大震災は、予期せぬ出来事によって生活が変わることを教え、生きている時間が限られていることを思い起こさせるものでした。渡辺は、「いのちの使い方」は、「小さな死」を経験しながら、自己のわがままを克服し、自己制御を行うことだと述べています。また、渡辺は「小さな死」を通じて実りを生む死へと繋げるためには、それに先立つ「小さな死」を経験する必要があると説いています。

「ていねいに生きる」とは、「良いもの」だけでなく「自分の欲しくないもの」も両手で受け入れるように生きることであり、この姿勢が「小さな死」を経験し、新たな成長といのちを生むための鍵だと渡辺は考えています。彼女は、「ていねいに生きる」ことは他人のために自己を犠牲にすることで、平和と新たないのちを生み出す行為であると述べ、このような生き方こそが「小さな死」の経験を通じた価値ある生き方であると強調しています。

6)「ていねいに生きる」から「孤独」へ ーハマーショルドの「夜は近きにあり」を手がかりにー

「ていねいに生きる」については、渡辺は、国連の事務総長であったダグ・ハマーショルドの著書『道しるべ』に見られるような、死を意識しながら日々を大切に生きることであるとしています。ハマーショルドは「夜は近きにあり」と述べ、死に向かう日々を「最後の日」として受け入れ、一日一日を「ていねいに生きる」ことの重要性を説いています。また、ハマーショルドは「心の静けさ」を求め、瞑想を通じて「孤独」でありながらも充実した生き方を実践しました。彼の考えは、「孤独」を通じて新たな自己を発見し、人生を深く理解する方法を提示しています。

渡辺は、ハマーショルドの生き方を通じて、「ていねいに生きる」ことと「孤独」の関係を探求しています。ハマーショルドは「夜は近きにあり」という言葉を日記や著書『道しるべ』に繰り返し記し、自らの死期を意識しながら、毎日を大切に生きる姿勢を示していました。渡辺は、ハマーショルドの「夜は近きにあり」が、死を意識して生きることと、「ていねいに生きる」ことを結びつけていると指摘しています。

ハマーショルドは、祈りと瞑想を通じて「心の静けさ」を追求し、「夜が近い」という意識のもと、一日一日を大切に過ごす生き方を実践しました。彼の信念と勇気によって、個人的な利益や名誉を捨て、与えられた任務に「よし」と受け入れる姿勢を持ち、その中で「孤独」を受け入れることで「ていねいに生きる」道を模索しました。ハマーショルドは、自分の内面的葛藤や人生の意味について深い洞察を日記に記し、最後の日まで「孤独」を克服しようと努力したことが示唆されています。

渡辺は、「ていねいに生きる」とは、一瞬一瞬を「新しい私」として受け入れ、「心の静けさ」を持ちながら、「孤独」の中で自己を受け入れることであり、その過程で「小さな死」を経験していくことだと述べています。この経験は、自我を超えて「新たな私」へと向かう意味を持ち、人間の本来の在り方を示唆しています。ハマーショルドと渡辺の視点が重なり合い、「孤独」を受け入れつつ「ていねいに生きる」ことが、人間の成長と意味ある生き方につながることを示唆しています。

7)まとめ

渡辺は「小さな死」の経験を、死を意識しつつ「ていねいに生きる」ことにおいて見出し、また「孤独」を受け入れる生き方こそが人間の本来の在り方だと述べています。この経験は、「ていねいに生きる」ことを意味し、「ていねいに生きる」とは「死を意識して生きる」ことを示しています。この「小さな死」は、自己への執着を捨て、その瞬間瞬間で必要とされる自己を受け入れ、「新しい私」として生きることです。これによって、全く「新しい私」となる最後の「大きな死」に向かい、完全に「新しい私」になるのです。しかし、この過程には不可避的に「孤独」が結びついています。それは「人間本来の孤独」であり、肯定すべきものなのです。渡辺は、ハマーショルドの「夜は近きにあり」とする生き方を通じて、「小さな死」を経験することは、「孤独」を受け入れることでもあると示唆しているのです。

文献(順不同)

美馬達哉『感染症社会―アフターコロナの生政治』(人文書院、2020年)。
沢部ひとみ 『老い楽暮らし入門―終の住みかとコミュニティづくり』(明石書店、2010年)。
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久保稔・土田昭司・静間健人「福島県における東日本大震災に伴う関連死に 関する検討」、『日本原子力学会誌』、Vol.59, No.12 号(2017年)、727–731頁。
伊藤ふみ子・田代和子 2020:「独居高齢者の社会的孤立に関する文献検討」『淑徳 大学看護栄養学部紀要』、Vol.12(2020年)、69–77頁。
小高正浩 「増加する独り暮らし高齢者 : 地域の取り組みで孤立回避を」産経 ニュース、2020 年 11 月 19 日。https://www.sankei.com/life/news/201119/lif201 1190032-n1.html、閲覧日 2021 年 1 月 17 日。
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小川仁志『孤独を生き抜く哲学』(河出書房新社、2020年)。
河合薫『定年後からの孤独入門』(SB 新書、2020年)。
三浦雅士『孤独の発明または言語の政治学』(講談社、2018年)。
五木寛之『孤独のすすめ 続 人生後半戦のための新たな哲学』(中央公論新
社、2019年)。
J . クーパー・ポウイス、原一郎(訳)『孤独の哲学』(みすず書房、1977年)。
アンドレ・コント = スポンヴィル 、中村昇・小須田健・ C・カンタン(訳)『愛の哲学、孤独の哲学』(伊國屋書店、2000年)。
渡辺和子 2003:『目に見えないけれど大切なもの』PHP 研究所
小西友七(編集主幹)2006–2008:『ウィズダム和英辞典(デジタル版)』三省堂。
松村明(監修)『大辞泉 増補新装版(デジタル大辞泉)』(小学館、2008年)。
渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎、2012年)。
渡辺和子 『心に愛がなければ ほんとうの哀しみを知る人に』(PHP 研究所、1992年)。
渡辺和子『目に見えないけれど大切なもの あなたの心に安らぎと強さを』(PHP研究所、2003年)。
渡辺和子『強く、しなやかに 回想・渡辺和子』(山陽新聞社(編)、文藝春
秋、2019年)。
ダグ・ハマーショルド 、鵜飼信成(訳)『道しるべ』(みすず書房、1999年)。
Dag Hammarskjöld”Vägmärken,”( Bonnier, 1963).
Dag Hammarskjöld,”Markings”(Vintage Books, 2006).
大林雅之『小さな死生学入門―小さな死・性・ユマニチュード―』(東信堂、 2018年)
大林雅之 「「小さな死」と「赦し」」、東洋英和女学院大学死生学研究所(編)『死生学年報 2020 死生学の未来』(リトン、2020年)所収。

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