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雨宮塔子のパリ通信#7 ラジ・リ監督の「レ・ミゼラブル」が投げかける現在も残る複雑な社会問題(後編)

#4で公開済みの「ラジ・リ監督の『レ・ミゼラブル』が投げかける現在も残る複雑な社会問題(前編)」(⇦こちらからもご覧いただけます)。「後編」は#5で公開予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で今回#7での公開とさせて頂きました。

“衝撃を受けた”ということは、マクロン大統領が郊外のこの混沌とした状況を正確に把握していなかったことに他ならない。前号(#4)で、2005年に起きた3週間に及ぶ暴動について触れたけれど、当時の“Le Monde”紙(2005年11月5日投稿記事)はその暴動について「人権の祖国と寛大な社会モデルの聖域を自負する国が、将来に失業や部族回帰、人種差別の問題しか見えない若いフランス人に相応しい生活環境を保障することができない」ことが問題で、「フランスの指導者たちが(郊外の問題を)都市計画、統合、教育、雇用といった面でここまで状況が絡み合うまで錯綜させ、蓄積させた」と批判的に述べている。

郊外の若者の都市暴力は当時から繰り返し起きている現象なのに、その対応には多くの問題が指摘されていた。あれから15年経った今も状況は改善されるどころか、監督によると「事態は更に悪化しているとも言える」という。事実、新型コロナウイルスの感染拡大でロックダウンが続いている中でも、この4月18日の土曜日の夜、Villeneuve-la-Garenneというパリの郊外で、覆面パトカーが意図的に開いたドアにオートバイが衝突し、オートバイの男性が足に大怪我を負って以来、車が燃やされたり、花火を警官に向けて放ったり、警察署への攻撃といった事件が続いている。この男性は病院のベッドから「家に戻って冷静になってほしい」と彼の弁護士が撮ったビデオの中で呼びかけているが、郊外の暴力は他の郊外へと広がっている。

(事件を扱った動画)

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(あるガレージは落書きだらけ。パリの真ん中ではまずみられない光景)

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(一方でこうしたのどかな風景も)

SDGs(持続可能な開発目標)で2019年度はフランスは4位とかなりポイントを上げている(持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN)がまとめた、達成度の国別ランキング 。日本は15位)。中でも各国内の不平等を是正すべく〈年齢、性別、障害、人権、民族、出自、宗教、あるいは経済的地位その他の状況に関わりなく、すべての人々の能力強化及び社会的、経済的及び政治的な包含を促進する〉という項目が、達成の一歩手前の黄色の評価になっているのだ。郊外の住民は15年前から日常に変化は感じられていないというのに。SDGsは「誰も置き去りにしない」ことが普遍的な目標なのに、この地域の住民はいまだ、社会から除外されている。

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(パリ郊外にある、とあるアパルトマン)

フランスに戻って7か月経つが、この7か月間、理由(わけ)あってパリ郊外に住んでいる。モンフェルメイユのような犯罪多発地区ではないけれど、それでも夜間の女性のひとり歩きは危険を孕むと言われている。黒人やマグレブ(チュニジア、アルジェリア、モロッコなど北西アフリカ諸国の総称)系住人の多い地域だ。危険な目に遭ったことはないが、例えば、店内にいた私が外に出ようと扉に手をかけた時、向こうから20代の黒人男性が中に入ってこようとしたので彼を先に通そうと扉を開けて待っていると、それが当たり前のような傲慢な態度で、礼すら言われないこともあった。気持ちの良いことではないけれど、彼の性格がどうということより、こうした教育を受けたことがないのかもしれないと思うに至った。

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(パリ郊外のメトロの脇の景色。パリとパリ近郊のメトロは基本的に地下を走るが、地上にでる駅もある)

そうしたことが何度か続いたある日、メトロに乗り込んだ私が、重い荷物を持っていたこともあって、ひとつ空いていた座席に座ろうと、向かい合って座っていた60代くらいの黒人男性と、20代前半のマグレブ系男性の間を通ろうとした時だ。マグレブ系男性はヤンキースのキャップをかぶり、かなり俯いた姿勢で手元の携帯画面のYoutube動画を見ていたので、彼に触れずに通り抜けられそうになかった。「すいません、通して下さい」と言っても、イヤホンをしていて聞こえないのか反応がない。それを見た黒人男性が私のためにそのマグレブ系青年の肩に触れて気づかせてくれようとしたのだが、性急に手を伸ばしたせいで、運悪く青年のキャップのつばに触れてしまい、キャップが大きくずり上がってしまった。一触即発を予感したその瞬間、黒人男性が言った。

「あなたに触れてしまった。申し訳ない」
「あんたがあやまることはないよ。まったく問題ない」

座席についてから、状況をかみしめて胸がじんわりと温かくなった。アジア系に気配りをする黒人と、黒人の礼儀正しさを尊重するマグレブ。政府の対応が進まなくても、多国籍の住民たちがこうして共に暮らす術を身につけてきたことを実感すると同時に、ラジ・リ監督がエンドロールでヴィクトル・ユゴーの言葉に託したメッセージが思い出された。

―友よよく覚えておけ、悪い草も悪い人間もない、育てる者が悪いだけだ―

この映画は「映画の力を使った圧倒的なデモ」(PREMIERE)なのか、またはヴィクトル・ユゴーに並ぶ芸術作品なのか、あるいは両方なのか・・・。ラジ・リ監督の手腕にマクロン大統領はどう応えるのだろう。今度は大統領の出番だ。


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雨宮塔子 TOKO AMEMIYA(フリーキャスター・エッセイスト)

’93年成城大学文芸学部卒業後、株式会社東京放送(現TBSテレビ)に入社。「どうぶつ奇想天外!」「チューボーですよ!」の初代アシスタントを務めるほか、情報番組やラジオ番組などでも活躍。’99年3月、6年間のアナウンサー生活を経てTBSを退社。単身、フランス・パリに渡り、フランス語、西洋美術史を学ぶ。’16年7月~’19年5月まで「NEWS23」(TBS)のキャスターを務める。同年9月拠点をパリに戻す。現在執筆活動の他、現地の情報などを発信している。趣味はアート鑑賞、映画鑑賞、散歩。2児の母。