シアターコモンズ

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  • シアターコモンズ’21 レポートブック

    「シアターコモンズ」https://theatercommons.tokyo/ は演劇的な発想を活用することで、 「来たるべき劇場/演劇」の形を提示するプロジェクトです。 ここでは2021年2/11〜3/11に港区内で行われたパフォーマンス、ワークショップ、言論イベント等の記録やレビューを公開し、都市のあらたな「コモンズ=共有地」への扉とします。

  • シアターコモンズ '20 レポートブック

    日常生活や都市空間の中で「演劇をつかう」。 「シアターコモンズ」は演劇的な発想を活用することで、 「来たるべき劇場/演劇」の形を提示するプロジェクトです。 ここでは2020年2/27〜3/8に港区内で行われたパフォーマンス、ワークショップ、言論イベント等の記録やレビューを公開し、都市のあらたな「コモンズ=共有地」への扉とします。 https://theatercommons.tokyo/

最近の記事

【シアターコモンズ'24】神話をとりだす、やさしげな手─サオダット・イズマイロボ 『彼女の権利』『亡霊たち』『ビビ・セシャンベ』が描き出す世界

中村佑子(映画監督・作家) ____________________  日仏学院の映写室が明るくなった瞬間、自分がいま存在している「この現在」という時間が、遥かな歴史の流れのなかの針の一点に過ぎず、莫大な記憶と、まるで過去のような未来に照射される形でしか存在しないこと、それが論理ではなく身体感覚としてわかる、そんな映像体験だった。身体ごと、どこかへワープするような衝撃が走ったのだ。  ウズベキスタンの女性映像作家、サオダット・イズマイロボが描き出すのは、現代の神話であり、異土

    • 【シアターコモンズ'24】太陽を夢見る魂の旅——アピチャッポン・ウィーラセタクン《太陽との対話(VR)》をめぐって

      石倉敏明(秋田公立美術大学准教授) ______________________  私はいま、最近体験した二つの忘れ難い出来事を思い返している。一つは東京で体験したアピチャッポン・ウィーラセタクンのVRパフォーマンス作品であり、これは会場の中央に設置されたスクリーンの映像と、VRのヘッドセットを通して体験するヴァーチャル・リアリティの二部構成によるものだった。もう一つは、ネパールの首都カトマンズで体験した地元の祈祷師(ジャクリ)による治癒儀礼であり、それは神々の召喚と米粒を

      • 【シアターコモンズ'24】アーティスト・トーク/サオダット・イズマイロボ

        2024年3月2日(土) アンスティチュ・フランセ エスパス・イマージュ 聞き手:相馬千秋 通訳:平野暁人 編集・執筆:阿部幸 写真上:『Chillpiq』 ______________________ 相馬 今回、サオダットさんの5作品を2時間半に渡って一挙上映いたしました。このようにまとまって作品を観ることができる機会はなかなかないと思います。私自身、今日の上映を見て大変感動しているところです。  サオダットさんの作品は、2022年のドクメンタやヴェネツィア・ビエンナ

        • I/EYE(アイ)をめぐるテクノロジーとリアリティの条件──スザンヌ・ケネディ&マルクス・ゼルク/ロドリック・ビアステーカー『I AM(VR)』評

          清水知子(筑波大学准教授) ______________________  ドイツの演出家スザンヌ・ケネディの『I AM(VR)』に足を運んだのは、東京が二度目の緊急事態宣言下にあった2021年2月17日のことだった。 
 これまでベルリン・フォルクスビューネ劇場とミュンヘン・カンマーシュピーレを拠点に『ウーマン・イン・トラブル』(2017)、『バージン・スーサイド』(2017)、『三人姉妹』(2019)を手がけ、ポストヒューマン演劇の旗手と言われる彼女にとって、本作は初の

        【シアターコモンズ'24】神話をとりだす、やさしげな手─サオダット・イズマイロボ 『彼女の権利』『亡霊たち』『ビビ・セシャンベ』が描き出す世界

        • 【シアターコモンズ'24】太陽を夢見る魂の旅——アピチャッポン・ウィーラセタクン《太陽との対話(VR)》をめぐって

        • 【シアターコモンズ'24】アーティスト・トーク/サオダット・イズマイロボ

        • I/EYE(アイ)をめぐるテクノロジーとリアリティの条件──スザンヌ・ケネディ&マルクス・ゼルク/ロドリック・ビアステーカー『I AM(VR)』評

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        • シアターコモンズ’21 レポートブック
          7本
        • シアターコモンズ '20 レポートブック
          7本

        記事

          非網膜的VR体験としての『鍼を打つ』──百瀬文『鍼を打つ』評

          田中みゆき(キュレーター/プロデューサー) ______________________  私はバーチャルリアリティ(VR)が苦手だ。VRの代名詞である、あのヘッドマウントディスプレイの重さや装着時の違和感は言わずもがな、自分の手を見下ろして解像度の低いCGの「手」が見えるとき、私はそれを自分の手と思い込むことがどうしてもできない。視覚に依存した私にとってVRは、ここにいながらここではないどこかに連れて行ってくれる装置ではなく、頭に重しをつけてここに取り残された自分を強烈に

          非網膜的VR体験としての『鍼を打つ』──百瀬文『鍼を打つ』評

          『サスペンデッド』に射し込む光──中村佑子『サスペンデッド』評

          猪股 剛(ユング派分析家・臨床心理士) ______________________  ヤングケアラーという言葉は、古いものではない。この数年、さまざまな機会に耳にするようになってきたが、まだ新しい概念であり、いまでも言葉の中身を把握している人が多いとは言えない。しかし、言葉として定義されてはいなかったものの、「家族の中にケアを要する人がいて、大人が担うような家事や介護といった活動を引き受け、実際面でも心理面でも、家族のサポートを担っている子どもたち」は、ながらく存在してき

          『サスペンデッド』に射し込む光──中村佑子『サスペンデッド』評

          アンティゴネーも、わたしたちも、 見えない声の方へ。──高山明/Port B『光のない。─エピローグ?』評

          青柳菜摘(アーティスト) ______________________ ──姉 やめましょう。見に行くと見られてしまうわ。 だから私たちはドアの外に出て、外で起こっていることなど、 見たりはしなかった。いつもの朝と同じように、 私たちは何も食べず、眼も合わせず、 立ち上がって仕事に出かけようとした[1]  わたしたちは実際に起きていることを正確に観察し、記録し、記憶に留めていくことができない。解釈には、人間の恣意的な視点や、政治的な意思が混じっている。当事者でなけ

          アンティゴネーも、わたしたちも、 見えない声の方へ。──高山明/Port B『光のない。─エピローグ?』評

          目も眩む光の中で声を聴く──佐藤朋子『オバケ東京のためのインデックス 序章』評

          外山有茉(十和田市現代美術館 アシスタント・キュレーター) ______________________ 「私は、今、このように、顔をだして、光にあたって、声を出しています。…どうぞ私のからだには触れないでください。また、私のからだの周囲三メートル以内にも近寄らないようにしてください。私のからだのまわり、ここには私の飛沫がたくさんいます」  新型コロナウイルスのパンデミックから1年、収容人数を半分にした客席から観客が見つめるなか、佐藤朋子のレクチャー・パフォーマンス『オバ

          目も眩む光の中で声を聴く──佐藤朋子『オバケ東京のためのインデックス 序章』評

          シネマの起源を映すVR映画──ツァイ・ミンリャン『蘭若寺の住人』 評

          金子 遊(批評家・映像作家) ______________________ VR映画の体験 2021年2月某日、六本木のANB TOKYOビルへいった。ツァイ・ミンリャンのVR映画『蘭若寺の住人』(2017年)は、一度に16人ずつしか鑑賞できないので、しばらくのあいだ待つことになった。エレベーターで6階にあがると、人数分のVRセットが用意してあり、係員の合図とともに上映をスタート。ここで気になったのは、各自がそれぞれヘッドセットで異なるコンピュータにつながれるのだが、作品の

          シネマの起源を映すVR映画──ツァイ・ミンリャン『蘭若寺の住人』 評

          国⇄Homeを想像/創造する──バディ・ダルル『架空国家の作り方』 ワークショップレポート

          ジョイス・ラム(編集者、映像作家) ______________________  バディ・ダルルさんと初めて会話したのは2021年1月。バディさんはパリから来日してまだ日が浅く、京都にあるヴィラ九条山というアーティスト・イン・レジデンスで自己隔離中だった。日本滞在中に撮影する予定の新しい映像作品、それからシアターコモンズのワークショップに私がアシスタントとして参加することになり、その日はオンラインで初めての顔合わせを行った。        1980年代にシリアからフ

          国⇄Homeを想像/創造する──バディ・ダルル『架空国家の作り方』 ワークショップレポート

          宇宙を心に宿す、喚起の劇場──ナフーム『Another Life』『軌道のポエティクス』評

          塚田有那 (編集者、キュレーター、一般社団法人Whole Universe代表理事) ______________________  「さあ、目を閉じて、ゆっくり呼吸してみよう」。そんな声からパフォーマンスは始まった。ほのかに赤い光が灯る室内で、観客は全員目を閉じる。息を吸って、ゆっくりと吐き出す。体内をめぐる息のありかに集中していくと、少しずつ力が抜け、腰かけた椅子の感触を感じながら、体はどんどんとリラックスしていく。なかば眠りかけそうなところで、ガイドの声が漏れ聞こえて

          宇宙を心に宿す、喚起の劇場──ナフーム『Another Life』『軌道のポエティクス』評

          人間は深い淵──リーディング・パフォーマンス 市原佐都子『蝶々夫人』評

          森岡実穂(オペラ演出批評) _____________________  市原佐都子によるオリジナル部分と、プッチーニのオペラ《蝶々夫人》の台本抜粋を組み合わせた戯曲『蝶々夫人』を、観客数十人で読み合わせるという「上演」が、シアターコモンズの「リーディング・パフォーマンス」として企画された。時期は2月下旬から3月上旬、新型コロナウィルスの流行によって各所の演劇上演が次々中止されていった頃で、シアターコモンズでも万全の衛生的配慮のうえ上演されるものもあったが、この『蝶々夫人』

          人間は深い淵──リーディング・パフォーマンス 市原佐都子『蝶々夫人』評

          生き延びる(ための)トリック──シャンカル・ヴェンカテーシュワラン『インディアン・ロープ・トリック』評

          髙橋彩子(演劇・舞踊ライター) _____________________  広場に現れた奇術師が空にロープを投げ、弟子の少年と共にそれを登り、少年の身体をバラバラにして地上へと降らせたり、その身体をまたもとに戻したりするという「インディアン・ロープ・トリック」。シャンカル・ヴェンカテーシュワランが、インドで古くから行われ、何世紀にもわたって誰も解明できなかったこのトリックをどのように表現するのかと、興味をそそられずにはいられなかった。  開幕すると、どこからともなくターバ

          生き延びる(ための)トリック──シャンカル・ヴェンカテーシュワラン『インディアン・ロープ・トリック』評

          「私」から離れて隣り合う──キュンチョメ『いちばんやわらかい場所』レポート

          芝田 遥(制作者) ______________________ 独自の嗅覚とクリエイティビティをもって、現実に分け入り、複雑かつリアルな感情や矛盾を引き出すアートユニット、キュンチョメ。3月上旬に開催されたワークショップは、「ぬいぐるみ」を媒介に、参加者それぞれの無意識下にある「やわらかい場所」を探り、刺激するものだった。制作担当の芝田遥が、その一部始終と、自らの経験を報告する。  約20名の参加者が集められたのは、ゆりかもめ台場駅。お昼すぎだからか、まだ人通りはそこま

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          「正面」から/を問うセ(ルフ)リフ(クレション)──リーディング・パフォーマンス 中村大地/松原俊太郎『正面に気をつけろ』評

          山﨑健太(演劇批評) _____________________  「正面に気をつけろ」。参加者自らが戯曲を読むという形式をとるリーディング・パフォーマンスにおいて、この言葉は単に突きつけられる警告としてでなく、それを発する自らの立場をも問い直すものとして響くことになる。  演出家の中村大地によって参加者に与えられた指示は以下の通り。 ○人物 ・『正面に気をつけろ』を、4人の「もう死んだ者たち」がパーティーとなって、正面からやってくるさまざまな者と対峙するゲームだ、と想

          「正面」から/を問うセ(ルフ)リフ(クレション)──リーディング・パフォーマンス 中村大地/松原俊太郎『正面に気をつけろ』評

          「隔離」と「感染」のデジタル・ドラマトゥルギー──ジルケ・ユイスマンス&ハネス・デレーレ『快適な島』評

          岩城京子(演劇パフォーマンス学研究) ______________________ 関心経済の格言は「我シェアする、故に我あり」 西洋ルネサンス時代の一点透視図法は「人間の驕り」によって誕生した。「私」という白人男性である主体が「絵」に描かれた客体を、秩序だったかたちでコントロールしたい。そのために、歪み、濁り、ひずみ、ブレ、闇、醜さ、見苦しさなどのカオス的混成体であるリアルを、明晰な尺度に収めたい。そうして様々な人工的フィルターを用いて、女性・動植物・病原菌などの「他者」

          「隔離」と「感染」のデジタル・ドラマトゥルギー──ジルケ・ユイスマンス&ハネス・デレーレ『快適な島』評