仕事と、パトロンと、道楽について
自分の好きなことを仕事にするって、どう思いますか?
前回のnoteで、若い人がうちの街にやってきて活動をされている話の中で、
と書きました。
こんな単純に書いて良かったかな?と後になって引っかかっています。
ネットを見ていると、「好きなことを仕事にはしないほうが良い」という記事を時々見かけます。
私はどうかというと。好きなことは、旅をすること、自転車に乗ること、お酒を飲むこと、文章を書くこと。年に数回演劇を観に行く日を、ほとんど何もないカレンダーに書き込んで、その日を迎えること、です。
家業の「持ち帰り専門の天ぷら屋」は、親から受け継いだもので、自分でやりたくて始めたものではありません。
やりたくない、と思いながらやるのはつまらないので、いかに自分の性格に合うように店のやり方を調整していくか、楽しいやり方を見つけて、そこを伸ばしていくか、やりたくないことを思い切って辞めるか、そうやってカスタマイズしてきました。
その結果として、旅をするように仕事をする、というスタンスで折り合いをつけています。
あまり難しい目標を立てず、日々の何気ない出来事・非日常を、少し大げさに楽しみ、それを酒を飲みながら反芻して、noteに書き込む、という作業を楽しんで暮らしています。
話を変えますが、学校では「夢」を一人ひとり持つことが推奨されているんですかね。
私は、幼稚園の頃から小学生の終わりまで、自分の夢を書かせたりする授業があった気がします。親になって、園や学校の公開の時に、子供たちがそれを発表させる時間に立ち会って、モヤモヤします。
息子が先日、「自分には夢がない」とポツリと言いました。
私達両親はそれを聞いて、腹の底からびっくりして「え〜っ!」っとなりました。
いやいや、夢なんていま持たなくていいよ。
そりゃ、大谷選手みたいな人は小さい頃からの夢を持って、世界的な人になったけど。
そういう例を出されて、親や先生にほめられる夢を選ぶように、空気を読んで発表したら、それは夢じゃなくて悪夢。ビッグ・ブラザー。ディストピア。
いま、やりたいこと、楽しいことがあれば、可能な範囲で思いっきりやれば良い、それだけのことだ。
世界はどんどん変わっていく。
今ないものが、将来あふれるのに、いまあるものの中で、無理して選ぶことはない。
話がもとに戻ります。
自分の、好きなことを仕事にすること。
良いと思います。
ただ、柔軟であったほうが良い、とは思う。
最近の人を見ていると、結構、仕事を2つ3つ持っています。流動的な時代には良いですね。
・収入を確保するためのガチの仕事。
・週末や副業として、自分の好きなことをゆるくやるのが主旨で、収入は小遣い程度。
・特技があって、人から頼まれたら、不定期に請け負う仕事。
こういう中で、好きなことを副業的にやるのも一つだと思います。
世の中が変わっていくと、メインの仕事が斜陽化したとしても、好きな方の仕事が少しずつ評価されてきて、そちらに軸足を移すことができるかも知れませんしね。それまでの活動の中で生まれた様々なネットワークから、新しい仕事を紹介され、生まれるかもしれない。
メインの仕事が、好きな趣味のことでももちろん良いでしょう。
お金にならないけど、この道で生きていきたい仕事なら。
その場合、パトロンを見つける、という方法がポイントになる気がしました。
家族やパートナーが、しっかりとした収入や資産があって応援してくれるなら、それも広い意味でパトロン、と思います。
余った時間でバイトをして、大好きなことのためにお金を稼ぐなら、自分自身がパトロンかも知れない。
惣菜天ぷら屋という商売は、品物とお金を交換すればそれで、基本的に関係が終わるので、私のような人間には気楽ですが、特定少数のパトロンとしっかりした信頼関係、尊敬し合える関係を作っていけるなら、それも立派なことだと思います、
そう言えば、推し活っていうのも、パトロンみたいなもんですね。
自分は歳をとってきて、「道楽」という言葉の意味が分かってきた気がします。
こせこせお金を溜め込むんじゃなくて、自分が残りの人生を楽しむために、ちょっとリミッターを外す対象を持つ。
それが、チェレンジしている若い人を応援するのであれば、これもまた推し活であり、パトロンなのかも知れないと書きながら思いました。
ちょうど、卒業シーズンですね。
人生至る所に青山あり。
山の頂上に登るには、たくさんのルートがあって、崖を登るようなアグレッシブなルートもあれば、時間をかけてお花畑をゆっくり登っていくルート、車道だってあるかも知れません。
無理せず、遭難だけはしないよう、休憩しながら、景色を楽しみながら。天気が悪くて眺望が楽しめなくても、過程が楽しければそれで良しと。
よい旅を。
オマケ
夢って、三つ子の魂のことかもしれません。