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"夢と理想"から"確かな希望"へ。

SHOWBOY大好き芸人なので、SHOWBOY大好きのきもちを鬱陶しいくらいに綴りたくてnoteを開きました。

そうそう、結局、啖呵切ったあの日から、めっきり打席に立っていない自分はやっぱりしょうもないなぁ、なんて思っている内に、そんな琴線に困り果てるほど刺さる舞台が始まってしまったんです。

それが、SHOWBOY!

(うるさいな)

再演から乗船の民なので、初演にしかなかったエモさを感じることは未来永劫出来ないわけですが。
再演を経て、この再再演を観て、自分が感じたのは、夢や理想といった儚いイメージから、確固たる自信から放たれる希望の光への変化でした。

「このまま消えていくなんて、言わせないんだからね!まだまだ頑張るんだからね!」なんて、もう聞こえなかった。
「このまま消えていくなんて言わせないって、言ったでしょ?ほら!まだまだ行くよ!ついてきて!!」って、そんな風に聞こえちゃったんですよね。

あ、やばい、思い出して泣いちゃいそう、、きもい、、ごめんなさい。。

もちろん、新しい歌詞が追加されたこともあるけれど、同じフレーズが、こんなにも違って届くものなのか、と、もう、3回の乗船で既にこんなにも黒ひげのたる並みにエモの剱でぶっ刺されまくっていたら、この先どうなってしまうのカシラーンと、嬉しい不安でいっぱいです。

さて、ここからは、そんなエモとメタにめった刺しにされた一介のおたくが、エモに感化され過ぎるとこうなるぞーという殺戮の見本。
超気持ち悪い感情の書き殴りです。超長いです。自己責任でお願いします。

**

チャンスは自分で作るもの、だなんて、そんなこと十二分にわかりきっているけれど、それができるんだったらとっくにやってるさ、という、ジレンマというか焦燥感というか。なんなくそれが出来てしまうひとへの嫉妬と憧れのカクテルに酔いつぶれたのか、はたまた、それなりの言い訳を並べて、結局はやろうとしない自分への呆れや諦めで作り上げたスムージーで正当化したつもりか。

到底、伸ばした手は月には届かなくて、届いたと思ったら当たり前にツクリモノの月だったりして。思い描いたような人生なんて幻で、こんなはずじゃないと一攫千金起死回生を数多望んでも、そんなの上手くいきっこなくて、どうせまた明日からも地続きの日常が続くだけなんだろうとやさぐれながら、明日からは変わるかもと、そんな出会いがいつ何時、あるかもしれないと祈りたくなる。

そして、昨日までの自分と明日からの自分と、選んでこなかった無数の自分の可能性は決して失われたわけではなくて。何がしたいのか、誰も教えてくれない本当の自分に気付けるのは自分だけで、それをやってあげられるのも自分だけ。一度は選ばなかったその夢を、やっぱりこれがしたかったんだって、もう一度選ぶことは、全然格好悪いことじゃ、ないんだよね。

きっと誰もが、幾つになっても、幾つもの過去と幾つもの未来を、幾つもの人生を歩めるし、完璧な人なんていない。誰もがみんな、ちょっと不器用で鈍くさくて、上手くいかなさをなんとかやりすごして、踏ん張ってる。自分だけじゃない。顔や服装だけじゃなくて、自分の心もメイクアップしたら、きっと昨日より少し強い自分になれる。好きな自分に逢える。きっと。

なんて言いながら、でもさ、結局はさ、カードを次々捲るように、まだまだ、夢を追いかけたいと思う気持ちは、確かにこの心の中に根付いているのに、タネも仕掛けもあるけれどどうしたらいいのかわからなくて、どうしてもうまくいかなくて。って、堂々巡りで始まりに戻っちゃったりして。

希望を信じたいと願いながら、でもやっぱり、ここまで変わらなかった自分なんかじゃ、結局この先も変えられないんだろうなと、本当の本当には、わかってる。人生は唐突に変わるなんて、そんなの結局、選ばれた誰かにしか起こり得ない奇蹟なんだって、気付いてる。

だからこそ、眩し過ぎて、憧れが強すぎて、ああはなれないと結局一線を引いて遠ざけて割り切ったつもりになっている自分がどうしたって消せなくて、そんな自分のしょうもなさに情緒がぐちゃぐちゃになって、ずっと泣いてしまう。理想も現実も期待も絶望もそれでも諦めきれない葛藤も全部刺さるから。ずっと色んな感情が入れ代わり立ち代わりして、悲喜交々で泣いてしまう。

でも、やっぱり。やっぱり、夢に見た場所に立ちたいと、たとえそこまでの時間が勿体なかったとしたって、自分にとっては勿体ないことなんて一秒もなかったって、言ってあげたい。諦めたくない。その心だけは、守ってあげたい。そう望んでもいいのかなぁ?きっかけなんてなんでもいい。思いもよらないところに、思ってもみないタイミングで、縁が芽吹いて、それをチャンスとして咲かせられるかどうかは、自分自分。

モノクロからカラーへ、サイレントからトーキーへ、そんな劇的な変化はなくてもいい。それでも、ほんのすこしでも。

人生は変わる。いつだって変えられる。

本当にそう信じてもいい?まだまだ、自分に正直に生きてもいい?想像を絶する日々を這い上がって、お楽しみはこれからさ、なんて、胸を張ってそう言えるようになった君たちと比べるのはおこがましい自分だけど、そう信じて一緒に歩んでいきたいと、一縷の希望に縋りたくなる。

人生はSHOWTIME。
誰もがそれぞれの人生という舞台の主人公。
それに気付いても気付かなくても、ちょっとずつ輝きを増していく登場人物たちが乗り込むSHOWBOAT。

Ride On!!

つよくつよくいざなわれるままに、一歩踏み出してその船に乗り込んで、新しい自分に出逢うための船旅に出かけたい。そんな気持ちにさせてくれる。

それが、SHOWBOY。

**

冒頭にも書いたように、希望の光が一筋、この先も続いていくような余韻が、再再演の深化ならではのものなのかな、と、個人的には思っています。
再演までにあった「そこはかとない翳り、諦め、一歩引いた感」が薄まっていたように思う。そんな要素が所々に散りばめられていたように思うんです。

例えば、見習いくんとエンジェルちゃんの歌で「夢を追いかけるにはもう遅い」が「もう一度夢を追いかけたい」と変わった、みたいな、前向きな要素。
それから、「選んだ道、進んできた道、そのすべてが間違いで全て幻、そのすべてをはじめからやり直せたら」と歌う誰かさんがいたかと思えば、誰が見ても道を外れちゃった誰かさんが、一度は選ばなかった道を再び通りかかって「こういうのが夢だったんだ!!」ってもう一度、選んでみせたりする。

チャンスは、自分で作るものでもあるし、もちろん舞い込んでくるものでもある。そして、選択肢に気付くということ自体が、チャンスであることもあるのかもしれない。

全編において、再再演はそんな希望のベールみたいなものが全体を包んでいるような印象でした。ま、あくまで個人的にです。

あと、繰り返しになるけれど、自分が観劇していない初演には、本人たちも語るように、ひりつくような"あて書き"によるエモさがあった。
それを踏襲した再演時には、その「ねえ誰が言ったんだ~…~このまま消えていくって」という重々しいフレーズを語らせるには、おそらくもう"役不足"だった。明らかに、彼らの存在が名実ともに大きくなっていたから。
で、満を持しての再再演では、そのギャップを絶妙に埋めて、より今の彼らにしっくりくるようになっていて、流石のウォーリーさん!スタオベ!となったわけです。

個人的には、4人で歌うラストのシーン、ガワはそれぞれの登場人物だけれど、あそこはふぉ~ゆ~として存在している、と思いながら観ています。マフィア(まっちゃん)もしっかりはっきり日本語で歌ってますしね。
なので、新しく追加されたフレーズがちょっとストーリーからずれるのではという感覚もあまりなくて、ただ単純に「ふぉ~ゆ~エモ過ぎるむり~~」って泣きました。笑笑
てか最初から「30代のアイドル」って歌ってたんですよね、、と思ったりもして。演出と音楽の要のお二人も、「メタがメッタメタ」みたいにパンフで仰ってましたしね。おたくと解像度がおなじって最高です。笑笑
一生続けていく代表作、ということが、もしも叶うのなら、こうした改変が都度されることで、その時々の彼らの"最高の瞬間"を、一生味わっていける作品になってくれたら、おたくはめちゃくちゃ嬉しいなぁ、と思う次第です。

さてさて、2023年の夏は、船旅は、まだまだ始まったばかり。
今日はやっとの初休演日、爆忙ふぉ~ゆ~はきっと今日もナンカシラお仕事なんでしょうけれど、出演者の皆さま・見えないところでご尽力くださるすべての皆様が、大阪港を経由して最終停泊地の名古屋港まで、どうか無事に航海できますようにという願いを込めて、長ったらしい想いの丈の結びといたします。

はーーーー、ぶちまけた。すっきりした。

SHOWBOY大好きーーーーー!!!!!


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