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創作エッセイ:「多様性」と鎮魂歌

鎮魂歌(レクイエム)とは…

語源などは省略するが、簡単に言うと「死者の霊をなぐさめるために作られ、葬儀でうたう歌」。
俺の胸に流れ続ける、酷く耳障りな歌。

我が葬式

俺が死んだのは小3の秋だ
本当に死んだわけじゃない
ただ、死んだと表現する以外にない

ある出来事を皮切りに見えるもの全てが灰色になった
世間一般で見れは別に大した出来事ではないだろう

だが俺にとっては…

俺らにとっては…

元々友達なんてものを作るのは苦手だった
というより、友達という存在の必要性を感じる瞬間は無かった
だから周囲の「友達の有無=人間性の高さ」という勝手な価値観が
俺にとっては "馬鹿の間違った判断基準" としか思えなかった
その証拠に "クラスの人気者" って奴はいつも人を蔑んで笑い
無理矢理風紀委員を任された "しっかり者" は「面倒な奴」というレッテルを貼られ、数人の友達以外から日々無視されている

特別なエピソードも無く静かに過ごしていた俺だったが、ある転機によって人生が大きく変わった
それは夏休み期間にテレビで一挙放送されていた人気アニメの再放送を観て、俺という存在を再構築したことだ

別に主人公に憧れたわけじゃない
俺が憧れたのは "悪役" の方だ
圧倒的な力とカリスマ性で主人公パーティーのような群れた奴等を蹴散らす姿は、まだケツの青い俺にとって酷く刺激的ですぐ夢中になった

それから彼のようになりたいと思い、親に頼んで持ち物や服装を出来るだけ力の象徴である "黒" に統一した
加えて強そうな龍を纏い、まだクラスメイトの誰もが読めやしない英字が敷き詰められたシャツを着た
話し方や立ち振る舞いもカリスマ性を意識した

夏休みが明け、俺は "中二病" として虐げられ始めた

だが、それも "負け犬の遠吠え" と思えば何も思うことは無い
むしろ可哀想な奴とまで思った
「ああ。こいつは常に周りからの評価を気にしていて、誰かを虐げなければ自身の人気を維持することが出来ないことを分かっているんだ。なんて惨めなんだ。」
代わりに俺は
「やはり悪役のカリスマ性は多くの人の目を引くんだ。しかも小学3年生にして "中二病" とは…馬鹿には分からないだろうが、俺はお前らより先を歩いている」
と、自己愛に満ちた生活を送れた

しかし自己愛なんてものは "小学3年生の僕" を連れたままじゃ維持出来なかった

だから殺したんだ
"僕" を

(ねえ、なんかみんなこっち見て笑ってるよ。怖い。なんで?)
「うるさい」
(僕が幼稚園生の時に好きだったあゆみちゃん…今じゃ目も合わせてくれない)
「やめろ」
(僕が僕らしく生きるのって、そんなに変なことなの?)
「黙れ」
(なんでみんなめんどくさそうなのに笑ってるの?)
(なんでみんな "一緒に" いないといけないの?)
(なんでみんな "同じ" じゃないといけないの?)

「死ね」

(…)

あいつの声はもう聞こえない
その代わり、今の俺に不釣り合いな緩く馬鹿げた歌が胸にエンドレスで流れ続ける
この耳障りな歌も止めることは容易だろう

しかしそうしないのは
何のためか
誰のためか

誰の意思か

我が葬式:後日譚

多様性だ何だと言われるこの時代
本当に必要なのは "何" なのか

「自分自身を愛すること」
「自分らしさを表現すること」
「他者を受け入れること」
「互いに認め合うこと」
「世の中の "普通" を無くすこと」

はたまた
「無関心」

"僕" の時間はあの日から止まっている
もう俺と一緒に生きていくことは出来ない

だが

振り返り抱きしめることなら
いつか出来るだろう

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