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「夕立」が降っても泣かなかったあの日

私が子どもの頃よりも、最近の方が、明らかに夕立が多い。晴天だなって思っていると、急に黒い雲が表れて、空を覆い、まさにバケツをひっくり返したような大雨が降る。厳密に言えば、もしかすると、昔の私の体験した夕立と最近のそれは違うのかもしれない。7歳の息子は「夕立」とは言わず、「ゲリラ豪雨」と言っている。大雨が降ると、かなりの確率で、雷が鳴る。時には、稲妻が見えたり、何事かと思うほどの大きな音や、振動さえする。

幼稚園の時も、小学校でも、保育や授業の後のいわゆる放課後に、延長して幼稚園や小学校で預かってくれる制度がある。幼稚園の時は、延長保育という名目で、一回700円払って、14時から17時まで預かってくれた。小学校では、居場所作りという目的なので、無料だけれど、「ここに居ていいよ」って感じだけで特に面倒を見てくれるわけではない。有償ボランティアという形で、保護者の何人かが、見守ってくれている感じだ。

息子は、一人っ子ということと、繊細さも手伝って、放課後に不特定多数の同学年くらいの子たちを過ごすことをあまり好まない。好まないからと言って、それでいいのかどうかは別として、あまりその延長保育、通称《くま》や、児童放課後等居場所作り事業、通称《ひろば》に行きたがらないので、私に用事があり、どうしてもやむを得ない時だけ、頼む形で行ってもらっている。

幼稚園の年長の時に、どうしても行きたいところがあった。ママ向けのコーチングの講座。ママ友とランチするとか、そういった遊びで、息子を《くま》に行かせるのは、心苦しいばかりだが、今回は、息子とのコミュニケーションの勉強! きっと息子のためもなるはず! と自分に言い聞かせて、息子に頼んだ。けれど、やはり、かなり嫌がった。泣いて
「行きたくない」
と言った。だけど、どうしても受講したい気持ちは譲れなくて、当日の朝も、いつもにも増して泣いていたが、先生に事情を話して、お願いした。

自分から行きたいと笑顔で喜んで《くま》に行くお友だちが多い中、なぜ、息子は、いつも渋るんだろう? たまには、自由にさせてくれよ! と思いながら、だけど、どうしても拭えない罪悪感とともに、私は電車に乗って学びの場へ向かった。

10時開始のその講座を受けるために、30名くらいのママが、とあるビルの会議室に、所狭しと集まっていた。2時間の講座が4日間、計8時間。コーチングを学んでいた講師の方が、ママ向けにアレンジした受け取りやすい形で伝えてくれる。私のように、その講師の方の本を読んできた者もいれば、インターネットで悩みを検索し、ここにたどり着いた人もいる。

それぞれ、子どもの大きさも違えば、悩みも違うけれど、一緒なのは、子育てから学ぼうとしていること! 子どもと家族とそして自分自身と向き合おうといていることは一緒で、すごくいい空気感が、そこには漂っていた。

ところが、もうすぐ、講義が終わろうとする12時少し前に、窓から見える空が急に暗くなり、大雨が降りだした。私の知る「夕立」もしくは「ゲリラ豪雨」はもう少し後の時間に降る感覚があったが、その日は、早めに降り出したようだった。雷も鳴った。息子の顔が浮かんだ。

その時間はまだ、通常保育。だから、いつもの慣れた担任の先生がいる。だからきっと大丈夫。そう思いながらも、なぜかいつもの大雨の時よりも、そわそわした。

また、いつものように、泣いているのだろうか? 先生に抱きついているのだろうか? 泣き顔の息子が浮かぶ。

目の前の白板に“課題の分離”という言葉が浮き出て見える。

“課題の分離”とは、「自分の課題と相手の課題を分けて考える」というアドラー心理学の理論の一つで、今回のママ向けのコーチングの重要なテーマの一つだった。

分け方は、自分でコントロールできるものは「自分の課題」、相手にしかコントロールできないものは「相手の課題」。

「このことは、子どもが大きくなればなるほど、心にとめておく必要があるのよ。これを知っているのと知らないのとでは子育ての苦しさが違うよ」

そう言われて、今、まさに、コントロールできない「息子の課題」だと感じた。

ふーっと深呼吸して、講義に集中する。

そして、今、大雨が降ったんだから、午後には降らないかもしれない。もしかしたら、これはラッキーなのではないかと思い直す。

ほどなくして、雨は止み、雷の音は遠くへ移っていった。
もう、雨が止んだから、関係ないのに、講義の後のランチを兼ねた懇親会に参加するのがますます申し訳なく感じた。けれど、せっかく《くま》に行ってもらったのだから、このまま参加しよう!

雨上がりの街を、その日出会ったばかりの同志たちと語らいながら、店に移動した。ビルの最上階のバイキング形式のレストラン。家の近所のファミレスでランチすることは、息子が幼稚園に行く前より増えたけれど、こうして、電車に乗って、エレベーターに乗っていくお店は本当に久しぶりだった。

会ったばかりなのに、学びの情熱で気持ちが高ぶった者同士、おしゃべりが止まらない。だけど、また、窓からみる空の色が変わって、現実に引き戻された。

さっき、雨が降ったのに、また降るのだろうか?

15時に近くになって、また、大雨が降りだした。さっきと同じくらいの雨量で、稲妻も見える。私のいる場所と息子のいる幼稚園は、20㎞くらい離れているが、それでも、きっと、この雨雲が移動するか、もしくは、もう降った後かもしれない。

また泣いているだろうか? 先生に抱きついているだろうか? だけど、《くま》の先生はいつもと違うから、抱きしめてくれないかもしれない……。

雨雲と一緒に突然沸いた不安と、さっきの白板に書かれた「課題の分離」の文字を、行ったり来たりしながら、心が少しだけ家に近づいて、仲間との会話がぎこちなくなった。

また程なくして止んだので、そうはいっても、滅多にない機会を目一杯、使わせてもらい、17時のお迎えぎりぎりの16時頃までゆっくりさせてもらった。

仲間と別れ、一人で乗った電車の中で、現実に引き戻されながら、息子の待つ幼稚園へ向かった。

幼稚園につき、列に並んで息子を引き取った。すると、先生が、苦笑いしながら
「大丈夫だっていったんですけれどね、結構泣いていましたよ」
と私に報告してきた。息子は、私を見ると一瞬笑顔になったが、ホッとしたのか、涙を流し始めた。見るからに、何度も泣いた顔をしていた。

その《くま》の先生は、ちょっと体育会系で、女性だけれど厳しめだった。この幼稚園は、近所でもなかなか細やかな先生が多く、方針も、ひとりひとりの個性を大事にしてくれるはずだったけれど、そういった方針は、やはり、すみずみまでは行き通らないらしい。寄りによって、今日の《くま》はこの先生だったか……。

泣き腫らした息子を自転車の後部座席に乗せ、雨上がりの道をひたすら漕いだ。道中は、言葉は少なかったけれど、家に帰って、改めて
「今日は、ありがとう。雷が鳴って怖かったね。よく頑張ったね」
と気持ちを伝えたら、堰を切ったように出来事をしゃべりだした。

お昼前の大雨の時は、担任の先生に抱きついたこと。
《くま》の時、泣いていたら、先生に
「もう年長なんだから、大丈夫でしょ。泣いている人なんかいないよ」
って怒られたこと。
だけど、やっぱり泣いたこと。
もう、《くま》に行きたくないこと。

私は、
「そうだったんだね。大変だったね」
と言って
「でも、おかげでたくさん勉強できたよ。ありがとうね」
と言った。そういうしかなかった。

そのことがあったのもあって、それ以外の3日間は、母に応援を頼んだ。私の実家は、我が家から、バスと徒歩で20分くらいのところにある。母に都合をつけてもらって、どうにか3日間は、母に14時に迎えに行ってもらって、家で待っていてもらった。母には悪かったけれど、天気に関わらず、学びに集中できた。

もしかすると、働いていて、子どもを預けているママたちは、こうして拭いきれない罪悪感のようなものを抱えながら、日々働いているのかな?

それぞれの状況、ママの性格、子どもの性格、その他諸々が複雑に交差して、思いは様々だろうけれど、それでも、すっきり楽しく働けている人ばかりではないのかもしれないと感じた。

そんな息子も、小学生に上がった。小学校1年生の息子は、小学校の《くま》のような、《ひろば》にやはりあまり行きたがらず、年間を通して、数回しか行かなかった。ただ、《くま》の時代と違っていたのは、一緒に行く仲間が少しだけどできたこと。《ひろば》に行って、そこでは一緒に遊ばなくても、一緒に帰れる安心できる友だちがいたこと。まぁ、それが女の子なのがいいのか悪いのかそれは、また別の問題だけど。

小学2年生になって、やはり、どうしても《ひろば》に行ってほしい用事があった。《くま》の時よりは、まだ、ましだけれど、やはり渋って、一緒に帰る友だちが行くならとようやく了承した。

その日の天気は、少し怪しかった。案の定、息子が《ひろば》に行った頃、雨が降りだした。文字通り《夕立》だ。実は、この日は、息子を小学校へ送り出してから、自分の用事がキャンセルになり、私は家にいることになった。

小学校と我が家は、500メートルほどしか離れていない。つまり、我が家の近くに落ちる雷は、息子のいる小学校に近くでもあるわけだ。いざというときに抱きしめる距離にはいないけれど、同じ、天気を共有している珍しい状況。

一度、軽量鉄骨のアパートが揺れるほど、近くに雷が落ちた。さすがに私もびっくりした。

息子は泣いているのだろうか? 幼稚園とは違って、ボランティアのママたちはきっと抱きしめてはくれないだろう。耐えてくれ! 頑張ってくれ!

息子が実際に帰ってくる17時には、空はすっかり晴れていた。

「ただいま」
と帰ってきた息子に、
「雷、大丈夫だった?」
と聞いた。
「うん。びっくりしたけれど、大丈夫だったよ」
「泣かなかったの?」
「うん」
「そうかぁ。強くなったね」
そう言うと、息子はちょっと照れたように笑った。

もうひとつ、びっくりしたことがある。
「《ひろば》に行かないで帰っていたら、逆に、すごく濡れて、嫌だったかも。《ひろば》でラッキーだったよ」
と息子が言ったから!

へー! そんなこと、思えるようになったんだ!

「夕立」にあったときの息子の対応の変化を見ることによって、息子の成長を感じることができた。

あぁ、いつか
「お母さん、大丈夫?」
って私を気づかうくらいになってくれるのかもしれない。そうなったらいいなって、ふと、思った。


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