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「ズルい」に縛られない - Not Be Bound by Being Called "Zurui"

私は一度、仕事でのストレスでメンタルが落ち込んだことがあります。
それは私がコミュ障なことと、他人と合わせるのが苦手なことが大きな要因だったと思います。その頃は会社の上司や先輩から「社会人といて常識だろ」という言葉を受け、無理をしてでも相手に合わせていることも多かったです。

メンタルが落ち込んでからは、合わせることを止めました。
行きたくない飲み会、職場のみんなで集まっての昼食、必要のない残業。
ひとりの時間を大切にすると自分のやりたいことに専念でき、次第にメンタも安定しました。

しかし、ある日いつも通り会社から帰ろうとすると「みんな残業しているのにズルくない?」と一言。私は衝撃を受けました。
仕事は終わらせているので、誰にも迷惑をかけていないはずなのに「ズルい」とはどういうことなんでしょう。

ズルいとは何か -What is ”Zurui”?-

野本響子さんの著書『東南アジア式 「まあいっか」で楽に生きる本』には、日本人の「ズルい」という感情についてこう書かれていました。

 日本では昔から、家でも学校でも職場でも「我慢すること」や「がんばること」はいいことだと教えられてきました。子どもの頃から刷り込まれてきたこの教えによって、他人に対して寛容になれず、「ズルい!」という発想になってしまうのではないでしょうか。

野本響子『東南アジア式 「まあいっか」で楽に生きる本』より引用

また、Chat-GPTにも「ズルい」とは何かと聞いてみました。

「ズルい」という言葉は、悪質な行為や不正な手段を使って他者をだます、欺く、不公平な方法で利益を得るなど、不正や不公正さを指す言葉です。また、約束やルールを守らずに自分に都合の良いやり方をすることや、他者に対して不利益をもたらす行為を指すこともあります。

Chat-GPTからの回答

以上のことから「ズルい」とは、他人の『抜け駆け』や『周りと違うこと』が認められなくて、不公平や不利益と感じることであると定義できます。

「あの人は我慢していないからズルい」
我慢している自分と、我慢していない(と感じる)他人との乖離が許せないのでしょう。

思い返せば、私に「ズルい」と言う人たちは、会社で鬱になって長期休養する人や不登校の学生に対しても「ズルい」「弱いだけだ」と言っています。
「自分はこんなに我慢しているのに」という不公平感から「ズルい」と言っていることに気づきました。

他人と比べない -I don't compare myself with others.-

もちろん私自身も「ズルい」と感じることはあります。

「ズルい」と感じないようにするにはどうするべきか。それは他人との比較をやめることです。

「ズルい」とは『抜け駆け』や『周りと違うこと』を許せない感情と先に述べました。それは、日本教育の「努力こそ正義だ」という努力主義の弊害ではないのでしょうか。

  • 必要以上に比べない

  • 他人を意識しない

もっと自分の内面と向き合って「自分は自分、他人は他人」と思えるようになれば、いちいち他人の言動が気にならなくなります。

心の中に「ズルい」という感情が湧いてきたら、心を落ち着け「今、他人と比較していたな」と自分の感情に気づくことが大事です。
まずはそこからで十分です。

おわりに -Finally-

自分らしく人生を送っていると、他人の「ズルい」の一言に傷ついてしまうことがあると思います。しかし、相手は自由なあなたが羨ましいいだけです。
つまり、「ズルい」=「あなたが羨ましい!」と解釈できます。

私は「ズルい」と言われたときは心の中でこのように変換しています。
「I want to imitate you(あなたの真似がしたい)」

他人の「ズルい」の一言に落ち込む必要なんてない、むしろ「褒めてくれてありがとう」という気持ちになればいいのです。
言われた瞬間にこう思うのは難しいですが、少し時間を空ければ意外とできます。

今日も自分らしく生きていきましょう。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ー Thank you for reading to the end. ー

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