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乳癌と診断された時のこと

多くの人にとって、癌と診断されたときが、自分の死と向き合う最初の瞬間なんじゃないだろうか。

「死ぬことだってできる病気なんだ」

癌を告げられた時、はじめて「死」の可能性を鮮明に感じた。変な言い方だけど、ぼんやりしたイメージしかなかったものが、突然鮮やかに姿を現したような、鮮烈な印象だったのだ。

その時から「生」は当たり前に与えられて、なんとなく続いていくものではなく、自ら選択するものになった。

生きることを意識的に選ぶようになると、瞬間ごとの選択は妥協のないものになっていった。

死と向き合うことは、生と向き合うことだった。

「本当に、この生き方でいいの?」

癌は、自分自身の生き方を問う身体からのメッセージとして、わたしを殺すためではなく、もっと生かすために現れたのだと思えた。


わたしの癌は左胸の乳癌で、発見された時の診断はステージ2ぐらいということだった。5年以内の生存率は9割近いとも言われ、転移さえなければ、命の心配は無いとされている。

一般に、乳癌には「比較的治りやすい癌」というイメージがあるように思う。ただし、治療は女性に苦しみを強いるものだ。

それでも闘病の末に生還したという人たちの多くは、ある種の輝きを放っていて、そういった人たちはしばしばメディアに登場しては、人々に勇気を与えている。

それを眺めていると、乳癌の患者が治療の苦しみに耐えることに疑いを持ったりしないように、誰かが密かにプロモーションしているのではないかと疑いたくなってしまう。

彼女らは、強く美しいと同時に、どこか痛ましくも見えるのだ。


癌と診断される時点では、ほとんどの人は、癌についてよく知らないと思う。そしてその時、正常な判断ができる心の状態でいることは極めて難しいのではないだろうか。なにしろ死と向き合う最初の瞬間なのだから。

無知なうえに、平常心ではない、その状態で、医師からは治療を急かされる。癌の進行に遅れることのないように、早急に治療方針を決めなくてはならないと言われる。不安に駆られた患者は「溺れる者」となって「命が助かるなら」と、医師の言うままに治療することを決める。

非情に思えたとしても、医師は職務を果たしているに過ぎない。彼らのミッションは患者を死なせないことで、患者をよく生かすことではないのだ。


その日、乳癌の診断を聞きながら、わたしは違和感を感じていた。医師にとっては、おそらく日常なのだろう。専門用語が多く、わからないことも多かったけど、進行が早いから手術が先か、それとも先に抗がん剤で縮めるか、このサイズならどうにか温存でいけるだろうかなど、ぶつぶつ言いながら、医師は軽く高揚しているように見えた。

わたしが無知だったせいか(この時は温存の意味すらわからなかった)さして詳しい説明もなく、すぐに治療を始めたいと言う。

治療方針の決定に必要だからと、その日のうちに、さらに何種類もの追加の検査をした。大量の血を採ったせいか、疲れからか、終わるころにはぐったりして、最高に具合が悪くなっていた。

「こんなところに居たら、病人にされてしまう」

病人の自覚も無かったから、そんなことを思っていた。早く帰りたかった。自分に起こっていることを受け止めるための時間と、自分だけのスペースが必要だった。


検査がすべて終わると、再度、進行がとても早いから1日も早く治療を始めたいのだと言われ、次の約束をして診察室を後にした。

いつの間にか、すっかり夜になっていた。

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