見出し画像

シュラスコの思い出

ブラジルと聞いて、皆様は何を連想するだろうか。
常夏の国、リオのカーニバルで踊り狂う麗しのボニータの群れ、サッカー、大河アマゾンに育まれた豊かな大自然…etc、etc…。

そんなブラジルは、実は世界有数のコルネ(食肉文化)の国である。
日本人がコメを食べるのと同じ感覚で、ブラジルの人々は肉…特に牛肉をよく食べる。1日の食事のうち3度に2度は肉中心の献立だと言う。

ブラジルの肉への依存度を示す以下の言い回しがある。

『ブラジルでは肉の値段を吊り上げた政治家は、右翼・左翼の別を問わず三日以内に暗殺される』


ワタクシの知る限り、此処まで食資源を肉に依存する国は他に牧羊の盛んなモンゴルだけではないかと思う。

そんなブラジルを代表する肉料理がある。
名を【シュラスコ】と言う。
イメージはロシアのシャシリクをもっとバカでかい規模にし(串がフェンシングのレイピアみたいな感じである)、肉を牛肉に置き換えたものと見做してまず間違いはない。
味つけはシンプルに塩のみ(食べる時に【モーリョ】と呼ばれる細かく刻んだ野菜と酢を和えたものを添える)で、牛肉そのものの味が良くないとそれがストレートに料理に反映されるシビアな料理でもある。
ブリア・サヴァランは確か「スープには経験が必要だが焼き肉には才能が必要である」と記していたと思うが、シュラスコはその典型と言っても過言は無いだろう。因みにシュラスコの専門店は【シュラスカリア】と呼ばれる。

今から遡る事25年前、まだワタクシが世間知らずでネットのネの字も知らなかった頃の事。 
当時ワタクシは東京に進出したばかりの田舎者で、然る個人事務所に奉職していたのだが、この事務所に出入りしているひとりのお嬢さんがいた。 

そのお嬢さんがある日突然「ブラジルに旅行に行ってきます」と宣言、周囲の度肝を抜いたのであった。何でも親戚に海外旅行が趣味なるマダムがいるとかで、たまたまその折に旅先に選んだ国がブラジルであったとの話、後学の為にその旅行に腰巾着を決め込んだのだと言う。
「仕事は?」と訊ねれば「勉学の為なら退職も惜しくは無い」との返事。
つくづくその行動力に呆気に取られてグウの音も出なかったが、このお嬢さんがワタクシにこんな質問を投げ掛けてきた。 

「折角の一生に一度の経験なので、忘れられない体験を味わいたいです。ブラジルに行くにアタって、これは必ず体験せよと言うモノがあるなら、如何に些細な事でも構わないから御教示いただけますか」


其処でワタクシは、熟考の末に彼女にこう耳打ちした―――「ブラジルに行かれるのなら、是非とも本場のシュラスコを御賞味なさい」。 

実は過去にワタクシも、浜松のブラジル料理屋さんで一度だけシュラスコを賞味した経験があり、その滋味が忘れられないでいたのである。あれを食べてしまったら最後、やれ飛彈牛だ但馬牛だ神戸牛だと和牛のブランドに拘るのがアホらしくなる。牛肉の味を決定付けるのは飽くまで調理法であって銘柄でない事をまざまざと痛感するには至極打ってつけの料理であって、当時のワタクシはシュラスコこそ「牛肉を最も美味しく賞味するには最高の調理法だ」と信じて疑わないでいた。 

日本で食べる、恐らく日本産の安価な肉を用いたシュラスコでさえそう感じるのだから、本場ブラジルで賞味した時の感動たるや想像もつかない。…そう思ったのである。

斯様な理由にて、是非に本場のシュラスコを賞味してらっしゃい―――と強く勧めた所処、彼女も大いに興味をそそられたと見え「必ず賞味してきます」と言い残して旅立って行ったのだった。

ただ、惜しむらくはワタクシ、彼女が帰国する前にその職場を事情があって退職してしまった為に、彼女が本場のシュラスコを賞味してどんな感想を抱いたのか、遂に確認出来ぬままに終わってしまった。彼女はシュラスコを堪能出来ただろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?