見出し画像

結婚と言う儀式

以前、アセクシュアルの自覚を得た後に第三者から、

「お前はアセクシュアルと言う概念を建前に、自分磨きを怠り、結婚から逃避している」


と暴言を吐かれた旨を記した。

いつも思うのだが、マジョリティはどうして【結婚】と言う儀式を以て人生の最高の成功と決めつけたがるのだろうか。不思議でならない。
世の中には結婚したは良いものの、決して幸せとは言えない家庭がゴマンと溢れていると言うのに。
何なら、今すぐスマホでネットニュースをランダムで御覧になると宜しい。
毎日のように有名人の誰かが離婚した、親権はどうの財産分与はどうの、価値観の相違だの何だの…と言うニュースがひとつやふたつは散見される筈だ。
いや、流石に「別れる位なら最初からくっつくなよ」なんて暴言は吐きませんよ、ワタクシも良いオトナですから。
例えば、動物園でも稀少動物の繁殖に向けたカップリングが失敗する事はちょくちょくある。況して動物より遥かにパートナーに多くの条件を求める人間ならば何をか言わんや…である。

そもそも、ワタクシは結婚と言う儀式存在そのものを否定するつもりは毛頭無いのだ。
仲が良い人が結婚したと聞けば率直に嬉しいし、「おめでとう」と自然に口から出るし、仲が良さそうなカップルを見るのは寧ろ心が和む。

問題なのは、結婚どころか恋愛にすらリソースが割けないアセクシュアルの人間を捕まえて「結婚しろ」「自分磨きから逃げるな」と頭ごなしに言う人々の存在である。
そう言えば近頃は「恋愛至上主義」なる思想が幅を利かせているそうな。結婚≒幸せ(或いは【人生の最高の成功】)と言う方程式は確実にこの思想の延長線上にある。
ダイバーシティ(社会的多様性)が叫ばれるこの時代に、何と旧式で石頭な主張なんだろうとワタクシは心の底から叫ばざるを得ない。

もっと言わせて頂こう。
ワタクシに結婚を強いるマジョリティ諸兄。あなた方の言ってる主張は性的マイノリティを捕まえて処刑対象にしている何処かの国のマジョリティと根源が同じだよ。
嗚呼そう言えば、ポーランドでは性的マイノリティ排除を是とした政策を打ち立てて幾人もの性的マイノリティ当事者を自殺に追い込んだ挙句、周辺諸国から、

「そんな前時代的な政策続けると経済制裁加えるぞゴルァ!」


と脅されてやっと政策を撤回したんだっけね…と、敢えて思い出すまいと務めていた過去の哀しい事件まで思い出して一層気持ちが沈む。

結婚とは少し違うが、高校一年生の頃にこんな経験も味わった事がある。
中学時代からの友人で、同じ学校に進学した人物がいた。ある日、たまたまその友人の家に遊びに行った時の事…突然友人がワタクシを捕まえて、

「実はな、今日俺の後輩の女子を家に招いている。お前、その女子が来たらリビングでふたりきりになるようセッティングしてやるから、【恋人になってくれ】と告白しろ。しなかったらブン殴るぞ」

と宣った。

殴られるのは割に合わないので無精無精言われた通りにしたが、正直虚しいったら無かった。好きでもない女子に、暴力を以て告白するよう強要され、心にも無い告白をしたのだから。因みにこのセッティングは、結果的には失敗に終わった。
以前にもちらと書いたが、我が故郷・北海道函館市では30年程前、男子たる者二十歳前には童貞を捨てるのが当然と言う風潮があった。友人はどうやら【気を利かせた】つもりで、ワタクシに無理にでも恋人を作らせようと思い立ったものらしい。

ワタクシは結婚≒幸せ、と言う図式が未だに理解出来ないし、同様に恋愛≒幸せと言う図式も理解出来ないし、多分これからも(恐らく死ぬまで)理解出来ないのだろうと思う。
同時に、マジョリティ諸兄も「何でテクパンの奴、あんなに結婚とか恋愛とか嫌がるの?」と頭に疑問符を沢山浮かべているに違いない。
ワタクシ自身は面の皮が厚いので、マジョリティ諸兄の斯様な主張を差別とは思わないが、アセクシュアル当事者の中にはこうした声により傷つき、疲弊し、憔悴している方も少なからず存在するのである。誰が何と言おうとこれは揺るぎようがない事実である。
アセクシュアルとそうでない人間とでは、見える世界が何もかも違うのだ…そう割り切るしか無い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?