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日光と久能山を結ぶ徳川家康とイチゴ

結論:徳川家康の遺言によって建てられ、久能山は故郷、日光は幕府の祖として置かれた。イチゴは幕末に伝わり、栃木県の気候、久能山のふもとの地形にピッタリ。


徳川家康

2023年の大河ドラマ、「家康どうする?」の主人公になりました。1603年に征夷大将軍に任命されて開いた江戸幕府は15代将軍徳川慶喜が朝廷に政権を返還するまで、264年間続きました。

今回は、徳川家康を祀った東照宮について話します。

徳川家康の生涯

1542年、岡崎城で誕生し、竹千代と名づけられました。1547年、織田氏の元で過ごし、このときに織田信長を知りました。2年後、今川氏の人質になり、1560年の桶狭間の戦いによって今川義元が敗北するまで駿府(現在の静岡市)で過ごすことになりました。人質生活から解放された後、織田信長と同盟関係を結びました。

本能寺の変のとき、家康は堺で商人と茶会を開いていました。信長訃報の知らせを聞いたものの、軍勢が手薄だったため、自分を守ることで精いっぱい。そのため、明智光秀を討った豊臣秀吉の行動を見守ることになりました。豊臣秀吉が天下統一した1590年、駿府から江戸に異動します。

豊臣秀吉の死後、関ヶ原の戦いにより天下を取り、大坂の陣で豊臣家を滅亡させた徳川家康。1603年、征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開きました。

「死後は久能山に葬り、1年後、日光山に小堂を建てて神として祀ることりそして、八州の鎮守となろう。」という遺言を残し、1616年、この世を去りました。死後、東照大権現という神号を与えられました。

1月15日はイチゴの日

また、1月15日はイチゴの日。「いいイチゴ」という語呂合わせから、全国いちご消費拡大協議会によって制定されました。日光のある栃木県、久能山のある静岡県はイチゴの特産地。2023年のイチゴの生産量は、それぞれ、1位、6位を誇ります。

1月に入り、スーパーマケットにイチゴが出回るようになります。しかし、流通量が少ないため、価格は高め。2月に入ってから手軽に購入できるようになります。5月まで収穫されます。冬と春は、東照宮の参拝の時に、イチゴをお土産にするのもありです。栃木県と静岡県のイチゴの話は、こちらに書いてますので、ぜひお読みください。

イチゴは、江戸時代末期、オランダから日本に伝わりました。赤い実が血を思わせたため、食べようと思った人がほとんどおらず、当時は観賞用の植物として伝わりました。徳川家康とは一切つながりがありません。しかし、偶然にも、久能山東照宮、日光東照宮のある静岡県、栃木県は盛んにイチゴが栽培されています。

久能山東照宮

2010年、本殿は国宝に指定されました。拝観料は高校生以上500円、小中学生200円。

徳川家康が埋葬されており、奥に墓があります。2代目将軍、徳川秀忠が当時の最先端技術を駆使してたった1年7ヶ月で1617年に創建しました。きらびやかで鮮やかな色彩、細かな装飾品が印象に残ります。徳川家康が愛した鷹だけではなく、小鳥、魚、うさぎ、リス、トラ、昆虫など草花も書かれています。

久能山にある徳川家康の墓は西に向かって建てられました。西をたどると、生誕地の岡崎城、母が子授けに祈願した鳳来寺山があります。

久能山東照宮へ行く2つのルート

日本平側(日本平夢テラス)から久能山ロープウェイを利用すると5分間で行くことができます。体力に自信のない方は、日本平から行くことをオススメします。一方、駿河湾側から1159段もの石段を20分かけて歩きます。石段は東照宮に近づくにつれて、1段1段が高くなっていきますし、高さが不規則です。麓へ戻る頃には、脚がプルプル震え、筋肉痛になるでしょう。

久能山の麓に広がるイチゴ畑

駿河湾側へ降りると、イチゴの直売所、いちご狩りのできる農園が多く見られます。久能山の麓では、1月~5月、「石垣いちご」というブランドイチゴが生産されています。久能山東照宮博物館から、伊豆半島、駿河湾の手前に見えるビニールハウス群でイチゴが栽培されています。

久能山東照宮の境内入って石段の途中にある「赤い宝石」という宣伝されている常吉いちご農園が、石垣いちごの発祥です。石垣イチゴとは、久能山の斜面と石垣を利用して栽培されたイチゴのこと。境内から出たイチゴ街道沿いのイチゴと比べて高級です。

1~5月は、街道沿いのイチゴ園で、ジュース、ソフトクリーム、パフェなどいちごスイーツが食べられる直売所もあります。参拝帰りに食べると、より美味しく感じられます。お土産にイチゴ、イチゴジャムを買うことがオススメです。久能山周辺では、主に、章姫、紅ほっぺという品種が栽培されています。

日光東照宮

1996年、輪王寺、二荒山神社とともに世界遺産に登録された日光東照宮。日光東照宮は全国にある東照宮の総本山で、1617年に建てられました。当初は質素な小堂でした。
3代将軍徳川家光の時代の1634年、当時の最先端の建築技術と膨大な予算、人員を注ぎ込んで寛永の大造営という建て直しが行われました。全国から40万人もの職人を集め、200億〜400億円、1年5ヶ月の期間をかけました。完成後もメンテナンスや周囲の神社仏閣の建設に携わるために残った職人もいました。現在も残されている日光彫は、日光東照宮の建設に携わった職人によって誕生しました。

寛永の大造営に必要な費用は、庶民から一切受け取らず、すべて幕府が負担しました。幕府が、莫大なお金を日光東照宮に注ぎ込むことができた理由は、佐渡金山、土肥金山、石見銀山など産出量の多い鉱山をおさえていたこと、鎖国政策により戦争に巻き込まれず軍事費が抑えられたことなどが挙げられます。

徳川家康は、なぜ、日光に神として祀るように遺言をのこしたのか?

日光東照宮の主要な社殿は南北に配置され、日光は江戸の北、延長線上に北極星があります。北極星を中心に星は周ることから、古代中国では、北極星は宇宙の中心とされ、宇宙を支配する天帝がいると考えられていました。また、天帝から地上の支配者として選ばれたものが天下人と考えられていました。

江戸城は、この世の中心で日本を統治していました。北極星を背に幕府を見守り、天平泰平を確認する位置に日光山があります。江戸城から見ると日光山に祀られた徳川家康(東照大権現)は天帝と一体の存在です。そのため、徳川家康を神として祀る場所として最適でした。

日光東照宮に行ってきた

日光東照宮は、拝観料(高校生以上1300円、小中学生450円)を払ってから、207段もの石段を上ります。

仁王門と狛犬がセットになっているのは、奈良の東大寺と日光東照宮のみです。陽明門、仁王門など豪華絢爛かつ繊細な彫りが目に入ります。動物が多く描かれており、有名な「見ざる聞かざる言わざる」の三猿が有名です。実は、12匹の猿が描かれており、一つのストーリーがあります。当時、ごく一部の人しか見たことのなかったゾウも、想像とは思えないほど、そっくり描かれていました。有名な眠り猫の他にも、キジ、スズメも描かれています。日光東照宮に描かれた動物の話は、後日、別の記事で書きます。

日光のある栃木県のイチゴ

日光市のある栃木県はイチゴの生産量が54年連続全国1位です。日光市ではなく、栃木市などで県中南部で特に盛んに栽培されています。日中の寒暖差により甘いイチゴが育ち、東京など大都市が近く、収穫して新鮮なうちに運ばれます。とちおとめは、栃木県の主力の品種で、日本のイチゴで最も多く出荷されている品種です。栃木県では、新しい品種開発にも力を入れており、スカイベリー、とちあいかが誕生しています。

今回は、徳川家康の遺言によって造られた久能山東照宮、日光東照宮について話しました。石段が多いため、見学するには、体力も必要です。しかし、たどり着いたときには、圧巻されること間違いないです。また、どちらも周辺の地域ではイチゴの特産地となっているため、冬から春にかけてイチゴをお土産にするのもよいです。


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