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【小説】 スクープ・ストライプ  vol.3

 中学生のわたしは、学校帰りに生地屋さんで青と白のしましまの布地とスナップボタンを買った。ママの医療用のブラを拝借して、見よう見まねで作ってみた。ミシンすら扱えないわたしはちくちくと手縫いをしていた。
 どんな布地が適しているか、とか、裏地を何にするか、とか、縫い代の部分を余計にとる、とか、そういうことをひとつもわかっていなかった。だから、それはブラジャーになどならなくて、ただの布切れだった。おまけにパッドを入れるポケットのことも考えていなかったし、スナップボタンもうまく縫い付けることができなかった。ぼろぼろの布だけが残った。

「さとみちゃんのブラだけどね」
 ティーカップの紅茶をすすってから冬夕が切り出す。
「わたし、作ってみたいと思っていたの。胸の大きい人がちょっと小ぶりに見えるようになるもの」
「まあ、わたしからしたらずいぶんぜいたくな悩みに思えるけど」
「雪綺、そんなこと言わないで。胸の大きい人はそれで悩んでいることもあるんだから。で、そういう人ってさらしを巻いたりして、すごく胸をしめつけて過ごしているんだよね。結局、わたしの考えるデザインも、考え方としては同じようなところに行き着くんだけれど、単純なさらしだと、痛くて苦しいし、とても味気ないんだよね」
 わたしは紅茶を飲みながら、冬夕の話を聞いている。
「胸の大きさって、姿勢が影響するって雪綺もわかっているでしょう? それで、背筋を少し立てるようにして、矯正するような感じかな。カップは大きめだけれど浅くして、無理なく、でも少し胸がやせるようにみせることができないかなって考えてるの」
 なるほど、とわたしは相槌を打つ。
「わたしのママも胸が大きいじゃない?」

 冬夕のママもサバイバーだ。幸い、がんの発見が早かったので、乳房を温存することができた。

 しこりに気がついたのは冬夕だった。

 冬夕のママには、わたしのママのブラの試作品を作っているときに、協力してもらっていた。
 本当に人の表情と同じように、胸の表情も十人十色。だから、厳密に言えば、役に立つとは言えないのだけれど、当時のわたしたちの胸は、役に立つ以前の問題だった。やせっぽちで、わたしなんかはまだ、スポーツブラで十分なくらいだった。
 もちろん、ママに直接採寸はお願いしていたけれど、正直に言うと、くぼんだ胸を見るのは、心が粟立った。
 そんなわたしを見かねた冬夕が、彼女のママにそれをお願いしたのだった。冬夕はいろいろな小物や刺繍を手縫いしていたけれど、ブラを作ったことはなかった。

 採寸しながら、指に奇妙にひっかかる場所があったの、と冬夕は言っている。
「ママの指を持って、その場所を触ってもらった」

「そうね、しこりがあるわね。検査に行ってみるわ」
 すぐに冬夕のママはそう答えたそうだ。
 検査の結果、乳がんの疑いがあると分かった。ほどなく手術が行われ、無事に成功。冬夕のママはステージ1の乳がんだったと確定した。

「松下さんに、わたしは助けられたと思っています」
 冬夕のママは手術の後、わざわざわたしの家までやってきてお礼してくれた。

 温存療法とはいえ、ブラジャーの選択肢はとても狭くなる。当時、医療用のブラでおしゃれなものは皆無だった。今はいくらかあるかもしれない。でも、やっぱり洗練されているかというと、まだ首を傾げるところがある。それで、わたしたちはより積極的にブラジャーづくりに専念するようになった。

 それでも、はじめてママのブラが完成したのは、中学3年の春。結構時間がかかった。今でもママはそれを大事に使ってくれている。ワイヤーレスだから大きく形が崩れることはないけれど、それでも伸びたりしないように、いつも手洗いをしてくれている。
 型がひとつできたので、それをいくつもつくることはできた。
 ただ、冬夕のママも治療をしなくてはならなかったし、わたしも冬夕と同じ高校にゆきたかったから(偏差値はなかなか高い)その1年はブラを作る余裕があまりなかった。
 本格的におしゃれなブラづくりをはじめたのは高校に入ってから。一年生の時は、先輩もいたから、伊藤先生の言っていたように文化祭や地域のバザーに出品するものを多く作っていた。だから主に、わたしの家で作ることが多かった。

 でもね、なんか、そうやってこそこそ作っているのが、いやだったんだ。

 悪いことなどしていないのに、恥ずかしいと感じなくちゃならないなんて、間違っているように思えた。それで、思い切って部活の時間にもブラジャーを作り始めることにしたんだ。
 そのことは、瞬く間に全校生徒に広がった。男子たちが群がるようにやってきては、いきなりドアを開け、にやにやしながら
「ここは、ピンク色の匂いがするなあ! 失礼しました!」
 なんて言って笑いながら去ってゆく。わたしと冬夕は堂々とやっていこうと思っていたけれど、部活から足が遠のいた子たちもたくさんいた。

 わたしは悔しくて涙をこぼしたけれど、毅然としていたのは冬夕と伊藤先生だった。ジェンダー・フリーの思想から遅れていることをかえって嘆いていたくらいだった。
 冬夕は、彼女のママの影響もあってか、政治的な思想をする。ノーベル賞の話も、本当に本気でしている。最年少受賞をすでに逸していることを悔しがっていたけれど、
「わたし、いけないな。ノーベル賞を獲ることを目標にするっていうのは、そういうことじゃないのにな。心を入れ替えなくちゃ。自分のやるべきことをやった結果でなくちゃいけないんだ」
 ノーベル賞受賞者の自伝を読んで、泣きながら、でも力強く、そう語っていた。

「わたしのママも胸が大きいじゃない?」
 冬夕の言葉にうなずくわたし。
「今は堂々としているけれど、学生の頃はやっぱり嫌だったんだって。だから、無意識に猫背になってしまっていたらしいの。ママは弓道を始めて、姿勢をしっかり立てることで、なんだか胸の重さが少し気にならなくなったって言っていた。それをヒントにしたいと思っているんだ」

 お茶の時間を終えると、冬夕は型紙をつくりはじめる。雲型定規もいまでは自在に扱えるようになった。それと、人間の体のことを考えるとき、物理的な法則は知識として必須となった。だから、わたしたちは理系のコースを選択している。てっきり同じクラスになると思っていたのだけれど、最近、プログラミングとかAIとかの流行のせいか、理系志望の人が増えて2クラスになってしまった。それで、わたしたちはなかなかクラスメイトにならない。中学の頃から一度もいっしょのクラスになることがなかった。

 冬夕が型紙を引く横で、わたしは授業の復習をしている。なにせ、元々の学力は高くないから、ぼーっとしているとあっという間に成績が下がってしまう。その点、冬夕はとても賢いから、がむしゃらに勉強しなくてもいつも上位の成績だ。それで、もし、冬夕と同じ大学にゆこうと考えるなら、わたし、すごくがんばらなくてはならない。ちょっとめまいがしてくるほどに。
 冬夕は勉強のことは何もしゃべらない。彼女にとって、成績は結果でしかない。冬夕なら、もしかして平和賞じゃなくたって、獲得できてしまうのかもしれない。

「サンプルの型紙ができた。これは、ただこんな形がいいんじゃないかっていうだけのものだけれどね。明日、採寸してそこから本格的にスタートだね」

***

 わたしたちは、部活中にスプスプのペナントを家庭科室のドアにかけ、ノックノック、という張り紙をした。やっぱりブラを作っているのはデリケートなことだと思うから。 
 コンコン、と控えめなノックが鳴る。
「どうぞ」
 おずおずとドアが開かれ、杉本さとみが顔を出す。
「いらっしゃい」
「こんにちは」
「どう?」
「うん、オーケーだった」
「それなら、早速採寸しようか。家庭科室準備室の鍵を伊藤先生に借りておいたんだ」

( Ⅰ. Proudly! 続く)

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